『ユーコさん勝手におしゃべり』 バックナンバー目次

7月30日
 あ…と思ってからもう一ヶ月以上たってしまった。カーラジオから聞こえてきたある情報に「あれ?」とひっかかり、たまたまカバンに入っていたDMの封書の裏にメモ書きした。DMの封書のきれっぱしの走り書きが今も手許にある—「56年前の6月24日、UFOはじめて発見。」
 6月24日に「今日はどんな日か」というような話題の中で出てきたことばだった。私は「エッ? たった56年前?」と驚いたのだった。「その前はUFOはなかったんだ…人、あるいは人みたいなものが乗っかっている何物かは、飛んでいなかったか、あるいはみつかっていなかったのか。」 私は思いついたことをメモした。
 「古代の人…星占い、雲の名前、空の色、  なぜみつけなかったのか」と走り書きは続く。昔の人は世界中でよく空を見た。詳細な星占いがつくられ、星の動きと人の性格の関係まで体系化した。雲に名前をつけ、空の色や状態にいろいろな名前をつけた。昔の人はよく空を見ていたなぁと感心する。その人たちが、空を飛ぶ何か変ったもの、いつもと違うものをみつけたら、きっと名前をつけただろうと思う。だから、
「その形状や動きから、古代『○○雲』と呼ばれていたものは、実はUFOのことだったのです。」という人がいてもいいだろうと思ったのだ。
 そこから、「乗物」の定義は何だろう、とか、空飛ぶものを何者かが運転したり操縦しているって思いつきは、地球人がそれをできるようになってから広まったのかしら、などととりとめもなく考えは続いた。マヤやインカの古代文明は宇宙人の仕業という説もあるけれど、すると宇宙人は、古代地球に足しげく通い、そのあとずっと来なくて、56年前位からまた来はじめたのかしら。
 たいていの思いつきは考えているうちに飽きちゃうんだけれど、これはなかなか飽きない。まだもう少し、このメモのきれっぱしは机の上に置かれるだろう。

7月27日
 おみやげ、おみやげ。
 こんなにおみやげが楽しみだったことはない。自分が旅先で買うのは「お気に入り」で、「おみやげ」ではない。旅行に行っても「おみやげ」というものを買ったことがない。だから「○○に行ったの、おみやげあるよ」と言われても「おみやげ」に期待はしなかった。でも、今回はそうじゃない。おみやげをくれると言った人は、おみやげではなく、自分のお気に入りを買って帰ってくるに違いなかったから。どこへ行ったっていいのだ。地球上、どこへ行ったって「いいなぁ」と思う瞬間はある。
 誰かが、どこかへ行った。そしてその土地で、自分風のものをうまいことみっけて来た。それを私にくれるという、そのことがうれしい。とってもうれしい、もらう前からうれしい。もらったらもっとうれしかった。
 とすると、おみやげは、金額ではなく、その土地の名物でもなく、買った人がどれだけそこを楽しめる人かにかかっているのかもしれない。

7月17日
 お昼を食べに中華屋さんに行ったら、スープの入ったお碗が、ツーと机の上を滑った。テーブルが濡れていると時々こういうことがある。それを見て、幼い頃の一つの記憶がよみがえった。
 私は小学生だった。一人で自宅の一階の台所にいた。母は二階で洋裁の仕事をしていた。母は洋裁を生業としていて二階は仕事場だった。ガッチャーンと大きな音がして台所の流し台の上においてあったガラスのコップが床に落ちて割れた。私は自分の手はくだしていないのに何故か「おこられちゃう」と思い、流しの三角コーナーの後ろに割れたコップを隠すように置いた。母が二階から私を呼んだ。
 「音がしたけど、どうしたの」「別に、何でもない」「うそ おっしゃい。何か割れる音だったでしょ」
 母が下りて来た。私は焦った。
 「コップが一人でに動いて割れたんだもの」
状況は私に不利だった。
 「コップが自分で勝手に落ちるわけないでしょ」
何だか切ない記憶だ。登場人物の二人は、二人とも少しずつ間違っている。うそをついてはいけない、とか決め付けてはいけない、とか教訓的なことを引き出してみたところで、何でもかんでも割り切れるもんじゃない。こういう小さな記憶の蓄積が、今の自分をつくっているんだろうなと思う。
 テレビが何ともやりきれない事件をおこした少年の環境や言動を次々と調べ上げ暴きたてている。どこかで線を引き割り切りたいのだろう。
 空しい気持ちになる。

7月16日
 素人園芸ファンである。朝新聞を取りに外に出ると、郵便受けの上にぶら下げてあるサフィニアに声をかける。するとしぼんだ花を摘まずにはおれない。しぼんだ花を摘み終わると、今日しぼみそうな花も気になってくる。「次に咲く後進のために道を譲っていただきたい」とか言いつつ、摘みとっている。毎日少しずつ仕事はある。でも、それでも…梅雨時は何かもの足りない。雨の日、雨の次の日とつづけて水やりはお休み。今年東京は定期的に雨がふり、うすら寒い日の多い7月で、特に日照りによるトラブルもなし—。
 そこで、仕事がないなら自分で作ろう、と園芸本をパラパラめくり「あじさいの梅雨挿し」なる言葉を発見。「そうか よしよし」とエプロンをつけて、花の終わったあじさいに鋏を入れる。水を入れたバケツに一杯分の挿し穂ができた。たっぷり水あげをしたら挿し木で増やすのだ。作業が一段落ついて意気揚々と開店した。すると数時間で雨が落ちてきた。そしてあじさいのことはすっかり忘れて閉店。次の日の朝、バケツはなみなみと水をたたえ、あじさいの葉は水没していた。水もしたたる良いあじさい、水からすくい上げて土に挿す。来年の楽しみがまたひとつ増えた。

7月7日
 「人の趣味に戸はたてられない」としみじみ思うのだ。仕事柄、様々な趣味やこだわりのある方をお見うけする。「ハァ、そんなところを見ていたのか、人の趣味に戸はたてられないなぁ」と思うのだ。
 人は自分に興味のあることにしか反応しない。義務教育時代は誰しもムリムリ全教科をインプットされるけど、結局各個人の中に残っていくのは自分が関心を寄せたことだけなんだろうと思う。周りに起こる全てを見ているようで、実は上辺に目をすべらせただけで見ていなかったことに、後で気付くこともある。
 私はかけっこの遅い子供だった。小中学校といつも限りなくビリ近くを走っていた。それがとてもいやだった、特に運動会が近くなると。でも今は、本当にそれがいやだったのかどうか疑問である。だって、私は知らなかったのだ、走る時の手はグーよりパーの方が速いってことを。先日テレビで、短距離走の実験をやっていて初めて知った。そのことに感心して家人に話すと、「そんなことは当たり前だ。短距離走の時の手はパーだ。」という。「速い人はみんなパーだったよ」という声もあった。走ることに感心のある人には常識だったらしい。つまり私は、運動会の時に体裁が悪いから、「遅いのはイヤだ」と思っていただけで、本当に「速くなりたい」とかそのために努力研究しようとは思っちゃいなかったのだ、きっと。そのことを数日考え続けて、先日ふと思いついて、「じゃあ リレーの時は、バトンもらう時はグーで、そのあとはパーにして走るの?」と聞いた。てっきり冗談を言っているのだと思われて取り上げてもらえなかった。なぜ反応がないのかと思って再び聞くと、「本気で聞いているのか」とあきれられて、やっと気付いた。パーじゃバトンは持てないのだ。私は次の人にバトンを渡すことなど考えてもいなかったのだ。リレーの選手にはならなかったはずである。
 人はみんな一人一人ちがう。道ゆく人もみんな一人ずつ欠けていたり見事だったりする部分を持っているのだろうなぁと思うと、愉しくなってくる。

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