『ユーコさん勝手におしゃべり』 バックナンバー目次

8月27日
 今日、肉まんを食べた。スーパーのパン売り場にあったので何気なく買って来たのだけれど、一個目を食べ終わる頃、「ああ、1年たったんだな」と感じた。
 季節の一巡りを感じる時はいろいろある。数日前、初さんまを食べた。
さんま漁が始まった直後に台風が来たせいかお値段も高めだったけど、丸々としたそれを大事においしくいただいた。その時は季節を意識して買ったので、逆に今日のような感銘はなかった。「さんまに大根で、秋ですよ。どうだ!」という気分ですね。
 今日のは本当に何気なく買ったので、食べて初めて思いついたのだった。肉まんにおでんは、コンビニの普及で寒い季節の定番となった。そういえば近所のよく行くお惣菜屋さんも、ずっとおでんがメインだったのに、夏になってからおでん鍋にはふたをしている。来月くらいからまたおでん鍋に火を入れるのかな。
 今日、うちの冷蔵庫には、たぶん今年最後の丸ごとのスイカと、今秋最初の肉まんが両方入っている。冷蔵庫は二つの季節のせめぎあいを内包しているのだった。

8月25日
 数人で車に乗る。「隣の客はよく柿食う客だ」と「となりの柿はよく客食う柿だ」はどちらが早口言葉として難しいか、なんて話をしていた。話が発展して濁点のつけられるすべての音に濁点をつけたらどうかという事になり「どなりのぎゃぐば、よぐがぎぐうぎゃぐだ。」 更に半濁点のつけられるものはすべて半濁点をつけるとなると「どなりのぎゃぐぱ…。」 書けば簡単そうだが字面は見ずに口に出して言うとなるとちょっと難しい。色んな文言でしばらく楽しめた。
 車窓からは様々な看板が見える。すべての看板の文字の中で半濁点をつけられるものに頭の中で半濁点をつけて読んでみる。「フタバ自動車」という看板を見つけた。このルールを適用した後、たとえばここに何かの用事で電話をかけるとすると、相手側の電話の第一声は「ハイ、プタパ自動車です」だな、と考える。その音のあまりの可愛さに電話から聞こえる声まで想像されて一人で笑いが止まらなくなってしまった。音とイメージの結びつきって、おもしろい。

8月17日
 台風がやってきているそうで、それが涼風をもたらしてくれたのか、昨日今日と快い風が吹いています。台風が来て雨が降ったら青木書店はお休みだ。
 おとといは8月15日でした。たまたま実家に行っていた私は、父に「昭和20年の今日はどうしてた?」と聞いてみました。
 「田舎の家にいた。」 少年志願兵だった父は、人間魚雷として特攻することが決まっていた。当時近衛兵だった2番目の兄はもう戦争の終わりが近いことを知っていた。密かに日本はごく近いうちに負けることと、「お前は23日に出発することになっている」のを教えてくれた。いよいよ特攻に行く前の最後の休暇をもらい、新潟の実家に戻った。具合の悪かった母の世話をし、小さい頃から可愛がっていた牛と馬の世話を充分にやってすごした。その日は朝から馬に乗って海へ行ってきた。午後帰ってくると、長兄が「お前行かなくてもよくなったぞ」と言った。その後、上官から「期待するに及ばず」という電報が来た。負けて終わったことを受け入れられずにつっこんでしまった者も複数いたそうだ。その晩は、盆踊りで夜7時から朝方まで踊り明かした。毎朝4時には牛と馬を連れて牧草とりに出ていたので4時には帰宅して、牛と馬を連れて出た。そして、
「8月16日におふくろが死んだ。その後は葬式の準備で忙しかった。」
  母は15歳だった。飛行機工場へ配置されて、20年4月から3ヶ月間は実習を受けた。「テスト、テストだったよ」 見習い期間が終わり工員と事務員に振り分けられ、母は事務所勤務となった。工場と隣接する町は空襲で燃えたが工場は無事だった。8月15日、午前中は皆忙しく働いていたのに、午後は急にすることがなくなって、「工場の人たちは、みんなうろうろしていたよ。」
 二人ともたんたんと語った。その後もたくさんの出来事があり、人生のページは次々と埋まり、あの8月のことも多くのページのうちの1枚になっているようだった。そのページのうちの何枚かは私も一緒に見ているが、のぞいたことのないページの方が多いことに気付いた。
 ドラマのない人はいない。
 しばらくして思い出したように父が付け加えた。「地元の学校の教頭は熱心な満蒙開拓推進者で、家にも末っ子の俺を是非満洲にって来たんだ。親父は話を聞いて乗り気になり、はんこをつこうとしたんだけど、うしろから普段はおとなしいおふくろが、『この子はあんただけの子じゃない、私の子でもある。私は絶対はんこはつかせない!』って言った。それでこの話は終わりになったんだ。その時行った奴は一人も帰ってこなかった。」 お母さんよかったね。あなたの末の息子は私の父となり、今も元気です。

8月8日
 やっぱり夏は冷やしトマトだよね。盛夏も後半、トマトは真っ赤で甘い。昼間のうちに大皿にサラダ菜をしいて、薄くスライスしたトマトを並べ、きざみパセリをたっぷりのせる。ラップをして冷蔵庫へ。夕食の食卓に皿ごと冷えたそれをのせて、イタリアンドレッシングをかければもう、トマトパラダイス!
 こういう小さな幸せは大きな心の励みになる。好きなものがあるって幸せだね。年を経るごとに、嫌いなものより好きなものの数が多くなっていくようになったらいいなと思う。
 …今の政治や国際状況に文句ばかりを数え上げている時、青年に「じゃあ、今大統領になったらどんな国をつくるの?」と聞かれて、にわかには答えられなかった。 好きな花を咲かせたり、おいしい食卓に喜んだりしながら、その宿題も考えるよ。何となく心にあるユートピアじゃ、具体的に生きてゆけない。押し潰されそうな現実に押し潰されないために、小さな幸せをたのしみながら、もっと色んなことを考えたり学んだりしていくよ。

8月5日
 「暑中お見舞い申し上げたい!
お客様に、そして私に。暑い夜が続きここのところ徹夜で眠れた事がない。何度も起きては、扇風機をつけたり消したり、窓を開けたり閉めたり、家人とクーラーの温度設定でもめたり…」
 と、書こうと思っていました、2・3日前まで。こう書こうと思いつつ時を過ごしているうちに、季節の方が少し早く動き出しました。夕べは一晩すっかり眠り、朝方開け放した窓からの涼風で目を覚ましました。ちょっと喉が痛いくらいで、うがいをしてまた少し寝ました。このところ毎日のように雷雨があり「これはスコールよ、日本はもう熱帯なのよ」などと考えていましたが、あの雨がすこしずつ涼しさを呼んで来たのでしょうか。昼間はまだ圧倒的に暑いのですが、明け方は「風の音にぞおどろかれぬる」です。このまま夏が終わってしまうのも淋しいような気もします。


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