『ユーコさん勝手におしゃべり』 バックナンバー目次

11月30日
別に何をしているわけでもない時、TVをつけているが番組のはざ間で、文庫本を持っているが短篇がちょうど終わったところで、なんて時、TVからコーヒーのコマーシャルが流れてくるとたまらない。いくら重たいおしりでも、持ち上げてお湯を沸かす気になる。サイフォンがコポコポ音をたてて、くるくるかき回して、アルコールランプのふたをして、待つ。
 忙しい忙しいと言っていると、逆に何もしないうちに時がたってしまう気がする。何もしないでバタバタと走り回っているうちに自分の髪が全部白髪になっているんじゃないかとイメージしてしまう。
 そんなときは、わざと自分を一人にして、しばらくノートパソコンのふたをしめて、コーヒーをたてて、鏡を見よう。
 「なーんだ いつもと同じじゃん。まだ大丈夫(?)だ。」
 次の春が来て、お誕生日がくるまで、どんなに焦ったって歳はとらないんだから。

11月28日
晩秋だなあと感じいった。あちらでもこちらでもハラハラと枯葉が落ちてくる。花吹雪でなく葉っぱ吹雪だ。暖かい陽射しを浴びつつ、もう秋はおわりなんだと落葉樹たちも感無量だろう。以前カメを飼っていた時は、毎年この時期、公園へ落ち葉拾いに行ったものだ。大きな容器に泥と枯葉を詰め込んで一冬の寝床をこしらえて、室内から外の日蔭へ出した。春になると何度もふたを開けて、「まだ起きないのかな」と確かめる。ある日ひょっこり顔を出したカメのかわいかったこと。
 自転車に乗って、わざわざ枯葉集めに出かけなければならないなんて、少し郊外に暮らしていれば考えられないことかもしれない。あるいは都会でも木々豊かな庭のある家に住んでいれば—。家々が軒を連ねる東京下町に住んでいると、土にふれることもけっこう不自由だ。数年前、近所の中学生が公園で焚き火をして消防署に通報された。危険だということでめちゃくちゃ怒られたようだけど、ちょっとかわいそうな気もした。管理されたキャンプ場で、しっかりした管理者に見守られてしか火を扱ったことのない、いや見たことのない、子供たちが、都市部では大量に生産されている。
 「知識は教えることができるけど、意欲は教えることができない」って、誰かが言ってたなぁ。『自由な時間』や『冒険』が今、一番高くて手に入れ難いものになってしまったのですね。

11月19日
今日開店前、紅葉を見に近所の公園へ行った。陽射しはポカポカ暖かく、いろんなものを見た。
 たとえば、カラのマヨネーズチューブを奪い合うカラス。
 冬眠前のひとときを楽しむ大亀2匹。
 大きい鯉の泳ぎに夢中になる子供。足元に来た鳩を見て、「ハトは入らないの?」と聞き「入らないの」と言われると、低い柵をまたいで自分が池に入ろうとして慌てておばあちゃまに止められた。自分と他の’もの’に境はなくて、まして自分が’人間’だなんて意識したこともないのだろう。
 鳩はいつもどん欲。途中で買ったコーヒーの入った白いビニール袋の脇で、「クルルルルゥーン」とのどを鳴らして私によりそってくる。
 池の淵をしのび足で通る黒ネコ、鯉を狙っている。人目をしのんで橋の下にもぐりこんだが、いつの間にかいなくなった。
 そして、本日の大当たりは、白茶ネコ劇場。水の枯れた噴水の跡は、一番日当たりがよく、そこでせっせとお股の手入れをしていた。私が真正面に座り込んでもビクともせず、「自分が一番かわいい。どうよ。」といったかんじでせっせと自分の手入れをしている。それをたっぷり見て、満足して帰ってきた。充電したので、今日は一生懸命働きます。あ、今日も、だった。

11月18日
もうずっとずっと長いこと、私の、主に劣等感部分を支配してきた言葉がある。出所はわからない、耳にしたのは大学野球の球場であった。生まれてからその言葉を聞くまでよりも、その言葉を聞いてから今までの方が長く生きてしまった。その言葉を聞いた時、「言い当てられた」感じがしたのを思い出す。そして今も、折りにふれ思い出される。
 「一周遅れのトップランナー!」
学生が対戦校の学生に向け、明るく相手を茶化す決まり文句の一つだったろう。でもそれは、自分に向けられたように感じられた。自分の努力の足りなさへの言い訳、才能の無さへの逆恨みを、笑ってごまかすこの言葉。ここまでは行けるのに、ここから先にどうしても行くことが出来ないと感じる時、この言葉は顔を出す。
 これからもきっと、私は一周遅れで、とどかぬ遥か前を見ながら、おたおたと、諦めもせず走っていくんだろうな。

 11月8日
昨日、郵便局から帰って来ると、店の横に女の子が二人、「どうしようか」「入ってみようか」と、もじょもじょしている。その脇を通り過ぎて、店に入るとしばらくして、その二人がおずおず入ってきて、「あの、小学3年生なんですけどぉ、お店屋さん調べを、あの、学校の宿題でやっててぇ…」と言って、かばんから、『社会科でお店調べの勉強をしています。うんぬん』という担任の先生によるプリントを差し出した。「へェ、社会勉強か。」と思いながら、黙って様子をみていると、ノートと鉛筆を出し、二人で相談しながら、質問を始めた。「本は何冊くらいあるんですか」がひとつ目で、その質問とこちらの答えを、そのまま口語体で、まさに言文一致でノートに書く。3年生はまだ、まとめて書くとか、要領よく書くということを知らないのだった。こうやって人は学んでいくんだな、という進化の過程を見せてもらった。教科書では箇条書きとか、カードを作るとか見たことがあっても、実際知らない大人にいきなり質問する場面で、すぐに学んだことが出てくる子は少数だろう。「どうしてお店やってるんですか」という簡単だが深い質問もあって、とりあえず、ノートが埋まり質問が終わる。女の子の一人が、店に置いてある少し大きめの地球儀に興味を示す。「初めて見た、こんなの」と手を伸ばし、もう一人が「触っちゃだめだよ」と言う。「まわしてもいいよ、そうっとね」と声をかけると、触っちゃだめと言った子が「アフガニスタンはどこだろう」と言う。もう一人が「わかんない。アメリカのそばじゃない?」と言って地球儀を回し、「あ、あったパキスタン。アフガニスタンもあった。」と言う。「アメリカは?」「無いねぇ」…「あった。遠いね。ここからブーンって行くんだね。」 私はその言葉にはっとした。ブーンって行くのか。子供はすごいなと思った。私はミサイルという言葉や、絨毯爆撃という言葉を知っている。しかしその言葉を使う時、そこへ行く過程のことやその当事者の心を、この子ほど考えたろうか。言葉を手に入れて想像力を失った気がした。 さらに二人の会話は続く。「日本はどこ?」「わかんない。アメリカのとなりじゃない?」…「あ、あった。小さいねぇ」など、二人の小さな旅は終わり(たぶん知っている国名が尽きたので)、「ありがとうございました」と口々に言い帰って行った。お店の名刺を持っていったが、自分は名乗らなかった。たぶん先生に「ちゃんと質問する時、自分の名前を言った?」と聞かれるのかな。全部勉強だね。

11月6日
あす立冬ということで、カレンダーに忠実に、律儀に寒気がやってきました。夕べは一晩中冷たい雨が降り、その音を聞きながら、もっと寒くなったら音がやみ、シーン、として目が覚めたら雪、という朝がやってくるのだろうなと想像しました。
 唐突ですが、私の前職は家庭教師です。塾講師もやってました。今でもその時のなごりで、家庭教師の口の電話がかかってきます。現職が忙しいのでお断りしていますが、こう急に寒くなってくると、その時の習い性でわけもなく「ガンバレ、ガンバレ」と何者かを応援したくなります。大丈夫、大丈夫、よくやったね。誰にでも、みんなに、きっと、春がくるよ。

11月2日
夕べ顔を洗っていて「イテッ」と思い手を見ると、両手の小指の第一関節の内側が切れていた。左右両方同じ場所で両方とも石鹸がしみるまで気付かない位の小さな傷…。何で切ったのか見当がつかない。でも、こういうことはよくあることなので(年齢の割にケガが多い)、気にしなかった。「まあ 小指だからいいや。」と手当てもせずに寝た。今朝、洗顔をして鏡の前に立ち、顔にクリームを塗ろうとして気付く。「あ、小指を使ってる…」 ちょっとしみる。私はどうやら毎朝、無意識のうちにこの場面で小指を使っていたらしいのだ。
 「小指だからあんまり使わないし、いいや」と思っていた自分を反省。身体に不要な場所なんてないのね。バンソコセットの中で一番使わない一番小さいサイズのバンソコを2つ出し、ていねいに左右の小指にはりました。  しみじみ、小さな小指に ありがとう。

2001年10月のユーコさん勝手におしゃべり
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