5月29日
本のデータ入力をしていて、「ほんとに昭和という時代は長かったんだな」と思った。同じシリーズの叢書の奥付が、ある時期まで昭和○年と書かれ、突然19○○年となる。必ずしも平成に変わった年にというわけではない。昭和はあまりにも長く続き、いつか終わる日が来るなんて思いつかない程だったのだろうか。ある時、すでに何巻か刊行した後で「この方式だと後世の人に発行順がわかりにくいのでは」と、年号の変わる日の近い事に気付き、(縁起でもないが)会議の末、西暦で表示することになったのだろうか。そういえば、平成に変わった直後の一時期、食料品の賞味期限が昭和表示のままで問題になったことがあった。
2000年になって、「ミレニアム、ミレニアム」なんて言われているうちにだんだん、西暦表示比率がほうぼうで増えている気がする。別に私はどちらでもかまわないのだが、自分の子供の頃は「何年生まれ?」と生年月日を問われると「昭和○年」と、年号で答えるのが当たり前だった事を思うと、隔世の感がある。私もそのころは、昭和はずっと続くと思っていたのかもしれない。
5月25日
2・3日重たい雨の日が続きました。その間に少しずついろいろな花のつぼみが膨らんで、快晴の今朝は花盛り。時計草も最初の1輪が咲き、何時何分だか分からない謎の時間を指しているし、名も知らぬ(名前を忘れてしまった)黄色の花やピンクの花も咲き出した。
と、いきなり話は変わって、郵便局。ここ数日郵便局の窓口に列ができている。胸に『研修生』とバッチをつけた青年が座っているからです。彼が新人らしくマニュアル通りで、私も初日に冊子小包のレクチャーを受けてしまいました。「中がわかる様に窓を開けて・・・」とか。最初は「なんだ?」と思ったけど、数日を過ごしているうちに、いつもはできない列に並んで、彼が料金表を見たり手順をミスって先輩に呆れられたりしているのを眺めているのも楽しみになってきました。「みんなあんな時代があったんだよな。」とオババな感想を持ちながら、昨日は、彼のレシート発行のミスにより、局員手書きの領収書をもらってきました。今日もいて、冊子小包の窓を点検するのかな。
5月22日
わびしいものは、後から咲く花だよね。
ジャスミンは花の時期が終わり、純白だった花びらも薄茶色に変色してわずかに枝に残るばかり。香りもなくなり見向きもされないんだけど、その中に二つ三つ、遅くつぼみをつけた花が白く残っているんだよ。なんだかかわいそうになって、「私は見てるからね」と一応声をかけてみる。
一応というのは、隣の鉢で蔓を伸ばし、びっしりつぼみをつけている時計草に、心はすでに向いてしまっているからです。旬、って何だ。
ちなみに、時計草は、時計のような花をつけます。
5月19日
今日は天気予報どおり「晴れのち曇り、ところにより雷雨」というトリッキーな天気で、古本屋泣かせだ。外に出した本が焼けないように日除けを出したり、暗くなってきた空模様に本をしまったり。寝ている暇もありゃしない、というわけで、外にでている店主から「なんだか雨降りそうだから、外の本入れとけば」という電話がかかってきた時、わたくしの意識レベルは20パーセント程でした。詳しく言うと、かろうじて目を開けつつも脳みそは夢を見ているという状態。雷のおかげで目が醒めたよ、ありがとう。
天気予報といえば、昨日「釧路の桜が開花しました。」と言っていた。1月4日に沖縄で咲き始めた各地の桜が品種を少しずつ変えつつ、いくつかの海を渡り、北海道の北部まで達して、今年の桜前線のお仕事が終わった。
と、書いているうちに雨が上がり、地面も乾いてきた。腰をあげて本を出そう。雨の日、売上は少ないが労働は多い。
5月18日
今朝の新聞で1番興味を引いたのは何と言っても、社会面最後ページの下のほう、告知広告のところ。幻冬社の”中島みゆき『ウィンター・ガーデン』の回収と交換のお知らせ”だ。ミスによる誤植とある。私はこの本の存在自体知らなかったし、この詞も知らないんだけど、”「足の元から雪が吹き込み 私は常に風邪をひきます」は正しくは「足の下に何かがあるので 私は気になって俯むきます」です。”と、唐突に書かれたら、なぜこんなにも違う誤植が起こったのか興味がわいちゃいますよね。単に1番と2番の取り違えなのか、それとも推敲の跡なのか。そしてなぜこの単純ミスの発見回収に発売から2ヶ月もかかったのか。発売は3月31日と書いてあるので、余計気になる。そんなことはありえないけど、もしこれが、新手の宣伝だったとしたら、すごい効果だ(私的には)。本見たくなったもん。
5月17日
10日前に今年初めての芽を出したむくげの葉が、もうずっと前からはえてたような顔をして生い茂っている。そこに、どこから情報を手に入れたのか、もう大量のアブラムシだ。葉っぱの裏に棲息するやつらをちょっと脅してやろうとして、水遣りホースをシャワーにして上に向けた。すると、引力の法則により自分が濡れた。こういう行為を「思慮が足りない」と言うんだろう。自分にしぶきがかかったのはいいんだけど、そばを通っていたおばさまが、迷惑そうにチラッとこちらを見た。「水のしぶきによるマイナスイオンは、美容にいいんですよ」と心の中でおばさまに言い訳をする。
5月15日
昨日、お店に来たお客様が「○○に関する本ないですか?」と聞かれた。店主が「んー、いつ頃の○○?」などと二・三の会話をかわし、一見雑然と並んでいる書棚の中から魔法のように数冊の本をぬきだす。お客様はそれらの本を買われることになり、店主は「また、そういった関連の本があったら、心がけといてあげるよ」と言って見送る。お客様が帰った後、店主が、「ちょっと前にも来たんだけど、その時はここの棚の前に、本がいっぱいぶっ積んであって、分からなかったって言われたよ」と言う。(ぶっ積んである、は店主の言。お客様はそうは言わなかったと思うけど。)
確かに、古本屋だから、平積みの本が山積みになって、棚の本は出し入れ不可能になってたり、仕入の山でドア1つ閉鎖になってたりもするけど、でも、きちっと整理されてたら、数万の中からあの数冊をものの数分で引き出せたかは疑問だとも思う。時間のたっぷりある時に、ゆっくり棚を眺めるのも良し、たまには聞いちゃって、店主の頭の中の棚を利用するのも手だと思う。店主の気が向いたら、無いはずの本もどこかから表われてきたりして。
5月12日
誰も問わないから自分でいうけど、もし「このホームページで一押しは?」と問われたら、迷わず「金子光晴詩稿/若さに」です。買ってほしいんじゃなくて、みてほしいの。これはもともと倉庫の2階に、額に入って飾ってあったんだけど、初めて見たとき「うぉっ、」と思った。目で読んでから、思わずもう一度声を出して読んだ。泣いた。しばらくは、倉庫に行く度、眺めていたんだけど、独り占め(?)しているのがもったいないような気がしてきて、店主に「これ、ネットに出しましょうよ、ね。」と頼んで店に持ってきた。今も時々、声に出して読んで、じわっと涙が浮かぶのを楽しんでいる。買わなくていいから、見て、良かったら、声を出して読んでみてほしいな。(もともとファンだった方がこれを見ていらしたら、本当にごめんなさい。画像は申し訳程度なので、活字で詩を書かせていただいております。)
*詩稿は2003年2月にお客様のお手許に渡りました。
5月11日
雨上がり、色んなものがキラキラと音をたてているようです。
店の横のプランターを覗き、朝顔の芽が出ているのを発見。朝顔は、花が終わったあと方々にからみついた枯れた蔓をはずすのが面倒で、去年は植えなかった。でも今年は、お花屋さんで大輪朝顔の種詰め合わせを見かけて、つい買ってしまった。今年は野放図にあちこち蔓をからませないようにすればいいんだから、と思って(思うだけなら何でも簡単)。
双葉でて 竹の棒たてて 夏をまつ
5月9日
起床/朝食/洗面/家事/観察/受信/送信/開店…とこんな風に書いてしまうと、私の1日はなんてつまらないんだろう。本の状態を書き込んでデータベースに打ち込みながら、少しむなしくなって手を止める。函背ヤケ・小口シミ、と書かれれば、立派なB級品の出来上がりで、そんなはずじゃなかったのに、という本の叫びが聞こえそうだ。マーカーで引かれたもうお手上げの線引も、1ページの1箇所に控えめに引かれた線も、打ち込む時は同じ「線引」。やはり手にとって重さを確かめて欲しい本もあり、ネットに出すのはやめて、書棚に戻っていく本もある。お店にきたお客さんに見つけてもらうか、誰かに探求書に出してもらうまで、待ってなさいね。ま、ずっとここにいてもいいし。
5月8日
むくげに芽が出た。これが本日のトップニュース(私の中では)。むくげは夏に綺麗な花をたくさんつけるのだけれど、落葉樹で枯葉がたくさん落ちる。去年までは本の倉庫の建物の方に植わっていたのだけれど、手入れの悪い枯葉がご近所の迷惑にもなっているようなので、昨秋お店の方に移植した。地面から植木鉢へ入れられて、しかも植え替えはずぶの素人に単なる勘で施された。枝も散々切られて、丸坊主の一冬を過ごし春も半ばを過ぎ、「ああ、だめにしてしまったか」と思っていたところに、さていつの間に準備していたのやら、今朝見ると、本当にいっせいに、芽をふいている。「よくがんばったねえ。それにしてもお人が悪い。」と何だか分かったような分からないような声をむくげさんにかけて、お店を開ける。今日は午後から雨の予報なので、水遣りはお休み。昨日は忘れてお休み。毎日眺めては楽しんでるくせに、手入れは手抜きなのでした。ま、丈夫に育てる秘訣でしょ、なんちゃって。
5月7日
よく「夜にラブレターを書いたらいけない」っていうよね。翌朝出す前に必ずもう一度読みなさい、恥ずかしくて出せないからって。今日の話題はそれとは全然違うんだけど、似た様な話。
いつも、本を買ってくださったお客様に、自分の趣味で簡単なカードを書いてるんだけど、昨日いつもパッパと出てくる文句が出てこなかったの。でも、なんとか終えて、今日は元通り、快調。違いは何だろ、と考えたら、時間帯だった。昨日はシャッターの閉まったお店で夜書いた。今日はお日様を背に受けて、ペンを執っていたのでした。ほんの数行の、何の決まりも無いものなのに、こんなにもその時の気分が反映するのかと、少し驚いた。それに筆記具。お気に入りのパイロットの0.05DRAWING
PEN買いに行きました。 カバンに、まだ未使用の幸せが入っている。
5月4日
今日は、良い天気で、店の横の小さなスペースで小さな鉢から2階の窓の所まで伸びて純白の花を咲かせているジャスミンに「よくがんばったね、きれいだよ」と声をかけ、他の花たちにもそれぞれ声かけをして開店。今日は店主外出で一人で店番。
そういえば以前店主から「もっと厳しく見てなさい」と言われた事がある。古書好きには有名なT書店の奥様は、大変厳しくお客様を見ていて、本の上にカバンでも置こうものなら、即叱責が飛んでくるんだそうだ。「でもその本屋のカウンターで本を買う時のお客の顔は、俺はT書店で本を買ってるんだぞ、って感じでみんな嬉しげで誇らしげなんだよ。一種のステータスになってるんだな」ということでした。なるほど。すてきな話だが私には程遠く、私の店番の後は、店主は美術書の棚のずれを神経質に直し、「帯がずれてるじゃないか、いったい誰だ!」と憤りつつパラフィンをかけ直すのでした。
5月3日
夕べから雨降りで、今日も朝から本降り。で、青木書店はお休みに決定!晴耕雨読じゃないけれど、今のところ定休日のない青木書店は、時々雨の日休業があります。理由は、本は濡れるのが嫌いだから、とわかりやすい。先日も、よく来るお客さんに店主が「お客さん、傘は持って入らないで。外の傘立てに入れてよ」と声をかけ、その方が「これでもか?」と、よくスーパーにあるビニールに入った傘を持ち上げ、店主の「そうだ、それでもだめだ」の返事に一発触発の雰囲気、ということがあった。まあ、いわゆる東京下町の言葉の投げあいというやつで、別にお互い根に持つこともなく、その日は買わずに怒って帰っておしまい、だったんだけど、私は何年たってもなかなか慣れる事が出来ず、なんだか自分が怒られているような気分になることがある。でも基本的には、すっごく気楽で、住み心地のいい街です。みんな元気が良くて、魚屋の前で買物も出来ずにボーゼンと立ち尽くしてしまった昔を思えば、私も随分鍛えられていることだと思うけど。
5月1日
ニュースで札幌の桜の開花を見る。先日は弘前桜祭りで、その後新潟のチューリップ。日本は広いなあ。なんだかタイムスリップしているようです。1ヶ月前の光景が今日のニュースになっている。
真夏は、さすがに何処へ行ってもたいてい暑いし、真冬は、まあ何処へ行ってもたいてい寒い。でも春の来るのは日本列島の中でこんなに違う。
小さな不思議は、どこにでもある。
2001年4月のユーコさん勝手におしゃべり
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