『ユーコさん勝手におしゃべり』 バックナンバー目次

 

 

6月30日
金曜日の夕方の郵便局は、華やいでいる。本局は年中無休だけれど、いつも行ってる地元の郵便局は土日がお休み。いつもはかかっていない音楽がかかり、局員も皆幸せそうだ。4時半ともなると、貯金の窓口はもう終了していて、昨日は手の空いた局員さんが各机にコーヒーを配っていた。いつもはカウンターの奥で、ベテラン風に座っている局員さんが出てきてゴミ箱の片付けなど始める。たぶん最後の客のこちらまで幸せ感が伝わって、気持ちよく代金を払って帰店することになる。
 今日で、今年もちょうど半分が過ぎた。半年前は寒かったなあ。パンジーの花の上に雪が積もっちゃったこともあったなあ。チューリップの芽が出たときうれしかったなあ、と、こんなことしか浮かばないんだから、個人的には平和な半年だったのでしょう。感謝。

6月28日
今まで体力がなく、高さを25度に設定してもなかなか跳べずに、たまにクリアすると「よくやったね」なんて言われていた夏が、がぜん力をつけてきた。ハードルの高さを30度に設定しても楽々クリアし続ける。見守るこちらの方がヘトヘトだ。
 東京は連日30度を越す暑さです。真夏になってしまえば暑さに体が慣れているので平気ですが、今頃は本当につらい。まず朝、いったい何を着ればいいのか悩みます。夏だけは裸で歩いてもいいってことにならないか、とも思うけど、窓から道ゆく人を眺めその光景を想像すると、ちょっと受け入れられない。仕方なく洋服を着て、分別のあるふりをして一日を過ごし、この気候に体が慣れるのをじっと待っています。でも、梅雨明けまでにもう一度や二度は涼しい日が来るのでしょう。アメとムチだな。

6月23日
倉庫に本をとりに行った。倉庫の前に自転車を止め、シャッターを開けようとすると、上からポトンと何かふってきた。赤ちゃんが食べるような柔らかいおせんべのかけらだった。上を見ると、2階の窓のひさしから雀の子が飛び立って、道路におりた。2羽の雀がいた。
 用事が終わって、シャッターを閉めていると、倉庫のおとなりの家の2階の窓から、「マンマ」「キャハー」と赤ちゃんの高い声が聞こえた。自然に顔がほころぶ。「雀の子を、犬きが逃がしつる」と若紫が訴えている源氏物語のシーンが浮かぶ。新聞紙にくるんだ文学書を前かごにのせて、なんだか楽しい気分で自転車をこいだ。

6月20日
よく新聞を使う。本を束にしてしばる時、はじにきた本の角が痛まないように新聞を入れるし、本がまとまって入荷した時、一時的に床に敷いてその上に本を置く。もちろん古新聞である。これがちょっと面白い。しばってある本をほどいた時、未読の記事があるとつい読んでしまう。昔から新聞読みは趣味なのだけれど、いつも見る記事はだいたい決まっているので、ランダムに出てくる古新聞のページに新しい発見があることも多い。そんなことで豆知識を得ても別に何の得になるわけではないけれど、出会いのきっかけがなければ知りえなかったことを、偶然知る事が出来たってのに、喜びがあるでしょ。
 それから、本がまとまって入ってきた時、床に新聞を敷いて、本は必ずその上に置くので、車が店に横付けされると積んである本の量を見て、適量の新聞を店の奥に敷く。床がそう汚れているわけでもないのにと思い理由を聞いたことがある。店主が言うには、「何年か前、買い入れに行ったんだ。車いっぱいの量の本があったんだけど、そのお宅の近くにも古本屋があるのを見かけたので、なぜそこに頼まなかったんですかって聞いたんだ。そしたら、あそこは地べたに直接本をおくのよ、自分の本はそういう扱いをされたくなかったの、って言うんだ。うちなら大丈夫って思ってもらったんだな。」ということだった。何にでも理由がある。人それぞれのこだわりがある。今日もおままごとのように新聞を敷いて、本のお客様が来るのを待っている。

6月18日
駅でカップルが話をしていて、別れ話でも出ているのか彼女が(または彼が)泣いている、なんて光景は時々見かけるけど、最近はそれも様変わりした。今日、駅の階段の踊り場の隅で何か喋りながら泣いている女性を見た。手にしているのは携帯電話。彼女はそこにいるべき人に向かって、ひとりで喋っているのである。手をとることも髪をかきあげてもらうこともなく、通話が終わったら瞬時にしてほんとの一人ぼっちになってしまうのだな、と思った。街を歩いていて、後ろから急に笑われたり、「だってぇ〜」と反論されたりする。「え?」っと思って振り向くと、だいたいケータイ通話中である。例えば、駅を降り立ってから自宅までの数分か数十分の間の孤独を我慢できない人は、「いったん外出したら連絡はとれませーん」という自由を享受することもできないんだろうな。

6月17日
魔法だね。 梅雨時は、プランターの水遣りをしなくてすんでしまうので、手入れもおろそかになる。今朝ゴミを出す時に、パンジーが目に入り、花の終わった枝を切ってあげた。「最近さぼっててごめんね」などといいながら。その後、店を開ける時、ふと見ると、いくつも新しい花が咲いている。その間たった2時間。開く予定だったつぼみが開いただけのことなのだろうけれど、たった2時間で朝方とは様相を変えてしまう花の姿に魔法を感じた。「育て」なくても自分で「育つ」んだけれど、ちょっと手をかけると、「私が育てた」ような気分になれるから、花いじりはやめられないんだろうか。
 話は変わって、近所に今年廃校になった小学校が2つある。少子化で都内は子供が減り学校の統廃合が進んでいるのだけれど、子供のいなくなった学校の校庭にも、花が咲いている。よく植物も聴覚があるから声かけをしたり音楽を聞かせると良いというけれど、誰も通わなくなった校庭でも、去年と同じように季節の花が咲いている。あの花や木たちは子供の歓声が聞こえなくなったことを、感じているんだろうか。

6月15日
世の中には自分と似た人が3人いるなんていうけど、考えてみれば顔なんてものは、土台となる顔面の上に、目2つ 鼻1つ 口1つ の5つの部品が配置されているだけのものだから、似たパターンの人が何人か出てきたっておかしくはない。絶世の美女は、「絶世」なんだからなかなかいないにしても、普通の目鼻の並びだったら、「あ、誰々にそっくり」なんてことよくあるんだろうな。というのも、今うちに毎月いろいろな子供の写真が載ってるカレンダーがあるんだけれど、めくるたびに、「ああ、誰彼に似てる」って思うんだよね。そう思うと、時々テレビでやってる「芸能人そっくりさん」なんていうのも、「いてあたりまえ」なんだな…

6月14日
昨日スーパーでプラムを見た。うれしくなって、今日は違うスーパーにもプラムの顔を見に行った。まだ青くて高いー。庶民としては、ポターっと熟れたのが安く出回るのをもう少し待ちたいところだ。でも見るだけで、赤く熟したプラムを口に含んだ時の感触が広がる。1年ぶりの初夏との再会だな。これがほんとの、「機が熟するのを待つ」だなと雨の中、楽しく帰宅した。

6月13日
お客様とは普通、電話回線とかブロードバンドとかそういうものだけでつながっている。店舗もあり、店に座ってもいるが、私は自分からお客様に声をかけることはないので、ネットで購入してくださる方との方がやりとり密度は高いかもしれない。と、思ったのは、こんなかわいいメールをいただいたからです。そして、「かわいい!」と思った自分がちょっと不思議だった。もしかして、それって、メールを通じて自分が勝手にイメージを作り上げているだけではないかって。でも、このメールはうれしい。
「私は本屋にはよくいきますが古本屋には行ったことがなく、古本屋での初購入はインターネットですよ。また、宜しくお願いします。大阪は今、蒸し暑いですよ〜」
 何でも初めてはあり、それに関わられたことは、こちらもうれしいです。

6月7日
アメリカから本が来た。注文したんだから当たり前だが、自分はネット通販をやっていても、ネット通販で本を買う機会はないので、なんだか新鮮だ。包装を開けて、ペーパーバックの本を出す。店主が「アメリカの匂いがする」というので、「何を言ってるんだか」と思って、本を手にとったが普通のペーパーバックだった。「匂い、嗅いでごらん、インクの匂い。」と言われて、開いたページに鼻を近づける。「日本のインクと違うでしょ。」そういえば、そうだね。この匂いの本が並んでれば、日本の本屋の匂いと違う匂いの店になるね。なんだか、本も旅をしてきたことに思い至り、旅をしている気分になった。
 匂いといえば、中学生のころ、親に百科事典がほしいとねだった。当時ちょうど、発刊準備中の百科事典があり、第一回配本から毎月1冊ずつ、近所の本屋さんが配達してくれることになった。さすがに、読む巻と見もしない巻があったが、配達された日に、本を開いて新しいインクの匂いを嗅ぐのは欠かさなかった。インクの匂いと、新しい本で時々指先を切ってしまったことを鮮やかに思い出し、1500円のペーパーバックで、中学生の自分にタイムスリップすることができた。ネット通販もわるくない。

6月3日
電車に乗りに、もよりの駅に行った。びっくりした。
「堀切菖蒲園駅いきなり観光地化実施中」だ。当地は東京のはずれで、弱小私鉄沿線で、普段は静かなのに、6月になると、いきなり人がやってくる。「堀切菖蒲園」は区立の小さな公園で、一面の菖蒲田を眺めて半日ゆったり過ごすなら、他の場所のほうがいい。葛飾区内にもそうした大きな公園はある。「それでも堀切」なのは、例えばカメラマンなら、枠内に手入れよくびっしり咲いた花の中で、たった一輪、「自分の被写体」をみつければ、それが何よりだからだろう。絵を描く人にとってもそうだろう。ここは菖蒲のための公園なので、さすがに品種は多く、6月中は常に何かが見頃で手入れもよい。まるで、本の検索システムのようだ。
 私のように無目的な人は、堀切菖蒲園より水元公園。(超ローカルな話題ですいません。水元公園は江戸川沿いの都立公園で、釣りもできるし野鳥もいます。もちろん菖蒲田もゆったりー。) というわけで、当分、青木書店内に検索の窓はあきません。

6月2日
すぐ反省するたちである。考えず軽はずみな事を言っては勝手に自己批判し、すぐめげる。先日もお客様へのカードに「雨の降る日は静かに読書…もいいですよね」と書いた。けっこう気に入ってたんだけど、ふと「今時、晴耕雨読な人なんて、そういないよなあ」という思いがよぎった。みんな、雨が降ろうと風が吹こうと、お仕事に学校にと忙しい日々を送っているのだろうな。「雨が降る日は…」なんて暢気なこと書かれたら、かえって不愉快かも、と深みにはまってしまった。
 そしたら、今日、郵便局からの振込票の通信欄に、「梅酒を水割りにし長い梅雨を読書で楽しみたいと思います」という書き込みがあって、不安解消! 「ふっふっふ」とひとりで笑い、店主から気味悪がられる。こういう心遣いのできる方ってほんとに、すてき。今日はうれしかったので、お仕事いっぱいします、(のつもり)。

6月1日
もう春も終わりだというのに、最近なんだかやたらと眠い。夕べも、風呂に入って目をつぶったら、そのまま湯舟の中で口を開けて眠ってしまった。「イケナイ、イケナイ。これでは水死体だ。」と気を取り直し、髪を洗おうとしたら、掌にリンスを出してしまった。仕方なくそれを洗い流し、ボトルを確かめてシャンプーを出す。そしてリンス、と思ったら頭につけたのは再びシャンプー。ああ無為な時間が過ぎてゆくー。「花粉症で自律神経失調だけど、不眠症と便秘だけは無縁なのよね、私。」
 こんなに眠い夜でも、ふとんの中に必ず本は持っていくのだが、1ページと進まぬ内に、本を開いたまま寝てしまう。そんな時、紙の栞はほんとに不便。次の朝ふとんの上にむなしく落ちていて、どこまで読んだか分からない。読みながら眠ってしまうと、たいてい勝手に夢の中で続きを作っているので余計始末が悪い。かくて次の晩は、昨晩読み終わったとこ探しから始まる。というわけで、シオリ大賞は、はずさないとはずれないヒモのしおりに軍配をあげたい。でも、難点は、彼は目立たないので、ついてる事に気付かず、さんざん紙の栞を使った後、中間ページ位になって現れ、「あら、ついてたんだ、そーお、知ぃらなかった。」となることが多々あるということだな。



2001年5月のユーコさん勝手におしゃべり
2001年4月のユーコさん勝手におしゃべり

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