『ユーコさん勝手におしゃべり』 バックナンバー目次

11月30日
 少し前ラジオで、マイクテストの時に言う「本日は晴天なり」は英語の”Today is a fine day. ”を当時直訳したものだと言っていた。「英語ではTとFは息の多く出る音で、それでマイクが正常に働いているか判断できる音だが、直訳の『本日は晴天なり』にはマイク判断上の意味がない。」という話だった。面白い話で何となく心にひっかかっていた。一つは日本語の変遷で、”Today is a fine day.”は今でも通じると思うが、「本日は晴天なり」はいかにも古い言い方で、”Today is a fine day.”をこう訳す人は今ではいないだろうということだ。「日本語の乱れ」が、ものごころついた時からしょっちゅう言われていた気がするが、日本語は常に変化して、変化しながら核のところは変らない言葉なんだなと思う。(この核のところを文化というのかもしれない。)
 それからもう一つの疑問は、「なんで直訳したんだろう」ということだ。この言葉、これだけ普及したんだから当時の随分偉い人が訳したんだと思うが、なぜ、ことばの意味を、聞かなかったんだろう。「フッ フッ」とか「ボッ ボッ」のように息の出る破裂音を入れたくて”Today is a fine day.”といったのに、そうしなかったなんて。「ハッピを着てボォとフエふいた」とか「フスマをスッとあけました」のほうが役にたったと思うけど…。上辺の意味だけ訳して役にたたない、文章の干物みたい。 それとも、何か深い意味があるのかしら、とここ数日折にふれいろいろ考えております。

11月27日
 腹をたてたらおしまいだ、と思う。世の中いろいろ腹のたつことは多いけれど、たった腹をそのまま相手にぶつけては、相手の腹をたたせるだけだ。怒りや不機嫌は伝染する。その後すぐにカラッと忘れてお互いに御破算にできる自信がなければその気持ち、いったんおさめてもらえないだろうかと思う。怒りの一陣がおさまった後、順序だてて、ゆっくり言い分は聞くから、ね、と。
 そもそもおこるのもおこられるのも嫌いなので、新聞や雑誌のコラムやインターネットの掲示板でも一方的な怒りの論調には懐疑的になる。「そんなこと言っても…」と思ってしまうのだ。「今時の○○は…」なんて、文字で書き記す歴史の初めの方からあった最も使い古された言い回しなのだから今更言っても遅いですよと思ってしまう。 「ほーんと ひどいよねぇ」と言い合えば、そこに一種あたたかいコミュニティが生まれる。友人の多い人というのは、誰かがおこっているとそのおこった気持ちに同調できる人なのではないかと思う。でも私は誰かがおこっていると、ついおこられている人の側にたってしまう。その点で私は友人失格だ。何も言えず、一人で勝手に暗い穴の中に落ちてゆき、怖い夢を見るのがせいぜいだ。 私はおこり下手なのだろう。「ここはおこるところだよ。ちゃんと強く言わなきゃだめだよ。」と叱られることしばしばである。きちんと明るいおこり上手になれればいいと憧れることもあるけれど、ここまでこうやって育っちゃったんだから、これはこれでいいところもあるんじゃないかと思い直したりもする。
 とりあえず、なるべく、腹をたてたりたてられたりしないように過ごしてゆきたいものです。

11月20日
 昨日、昔の「暮しの手帖」(1号~100号)をアップした。パラパラと検品していると、昭和20から30年代に生活がどんどん新しくなっていく様子がわかりおもしろかった。一方、昨日読んだ新聞の投稿欄と同じような記事もある。「男ものと女ものの大きさになぜ違いがあるのか」という疑問は、何十年も折にふれ語られてきたのに、いまだにあまり変っていないらしい。「電話のかけ方のマナー」もとりあげられていた。今なら「ケータイの活用法」となるのだろう。
 仕事をしながらいくつかの豆知識も手に入れることができた。こんな役得が、立ち読みじゃなくて座り読み、しかも机付きでできるのだから、本屋稼業も悪くない。一番役にたった豆知識は、「太い大根のおろし方」だ。常々太くて立派な大根を大根おろしにする時不便を感じていたのだ。記事によると、大根を縦に二つに切ればよいという。それでも太ければ更に縦二つに切りましょう、とある。昨日早速やってみた。なるほど、むりやり持たなくても自分のグリップに合わせた太さに縦割りすれば良かったのだ。こんな簡単なこと、なぜ今まで気付かなかったのだろう。読んだらすぐ役にたつなんて、す て き。 人間て進歩しているようで進歩していないんだなぁ。

11月17日
 飼い亀の冬眠のために枯葉を集めに公園へ行った。区立公園は掃除されたばかりで、作業の方たちが一服しているところだった。そういうわけで公園はサッパリしており、山のような落葉を両手でガサッと集めるというわけにはいかなかった。紅葉した木の根本でせっせと落葉を拾いビニール袋につめこんだ。帰宅してポリバケツの中に土と水を入れ泥を作り小さな亀君をのせ落葉おふとんをバケツいっぱいに入れてふたをした。花壇の日蔭において「春までおやすみ」とあいさつした。同室で飼っているうさぎの方は亀がいなくなったことに気付いてもいないようだ。この2匹を見ていると童話の「うさぎとカメ」はどうも違和感がある。うさぎは草食で、室内飼いであまり警戒心もないので、自分の食べられるものと生殖活動以外に興味はない。新聞紙を入れるとせっせせっせと巣作りをしている。 一方亀は体は小さくうさぎの尻尾ほどしかないが、顔つきは「肉食だぞ」といっており、体の割に大きい口で固形のエサに果敢に闘いを挑んでいた。うさぎのゲージの上に亀の水槽をのせておくと、うさぎの動きを砂利石の間から亀が目で追っていることもしばしばで、大きさのバランス的にはとてもおかしい図となっている。私の目には、おっとりして勤勉なうさぎと、野心家でずるがしこい亀に見える。
(ちなみに、うさぎの主な生殖活動の相手は、内緒ですが、なぜか店主の腕です。)

11月10日
 「ああ 気持ちいい…」とお風呂に入って思わず声が出た。3日間続いた偏頭痛が去った。「どっこも痛くないって素敵!」 昨日の夕方までおでこの上右半分をつかんでとっちゃいたいと思っていたが、今はとらなくて良かったと思う。 しかも、今朝は何といい天気。開店前にお散歩に出る。
 堀切菖蒲園には、大きなウシガエル。足先で触れると焦げ茶色の体を丸々と膨らませて沼へ逃走。どこからか白サギが飛んできて小さな水路へ入り、しばらくして飛び去る。白サギのいたところをのぞきに行くと、ザリガニの爪だけが2つあった。
 ゆっくり歩きベンチに座り陽を浴びる。帰りに書庫に寄り、少し作業をして店へ向かうと、お客様が待っていた。
「11時に開店かと思って…」
「ああ、すいません。ちょっと遅くなっちゃって。」 と恐縮しつつ開店。
 生きる喜びに満ちた1日だ。どっこも痛くないって素敵!
「さぁ 働きましょう。」と言いつつ、内緒でこっそりこのコーナーを書く昼下がり。

11月2日
 おとといカレンダーをめくったら、2ヶ月1枚のカレンダーが最後の1枚になったので驚いた。きのうは郵便局に行ったら窓口で万円単位で年賀状を買う人の列に驚いた。時の進みがどうも早いとは思っていたが、ここまで早いとは—。ちょっと焦って去年11月の「勝手におしゃべり」を読み直してみた。今と何もかわらない自分がいた。去年の私と今年の私、入れ替わってもたいして違いはないのかも、と思い少し安心した。年賀状は出してみたり出さなかったりしているので今年はどうなるものやらまだわからない。薄いカレンダーが2ヵ月後に再び厚いカレンダーにかけかわっても、また変わらぬ1年が通過しますように。

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