『ユーコさん勝手におしゃべり』 バックナンバー目次

4月30日
 みつけたものは、あじさいの花芽。冬は丸坊主だった鉢植えのあじさいは、すっかり緑につつまれた。
「今年も咲くかしら」とのぞいたら、小さなつぼみ集団が葉にくるまれて眠っていた。
 季節は春から初夏へと移ってゆく。春を謳歌する満開パンジーの後ろ側で、次の季節はせっせと準備を整えているのでした。

4月22日
 「今日はあたたかいですね」
 「そうね、今日が一番いい日だねぇ」
と道ゆく人の声が聞こえた。すれ違いざまに何気なく交わしたあいさつの言葉だけれど、「アラ、何てすてき」と思わずニンマリした。
 今日が一番、か。その通りだ。今年の春は肌寒い日が多い。ポカポカのひなたぼっこのできる日は、まだ数えるほどだ。でも、これから「今日が一番」の日が連続してあらわれるようになり、日本が一番美しい(と私は思っている)ゴールデンウィークの頃に突入していくのだろう。

4月19日
 花が、「もう咲くよ、もう咲くよ」と予告してから実際に咲きだすまでの数日間が好きだ。プランターの草花と毎朝ひとしきり話をする。
 そして今日は、木々の話を聞きに八重桜が満開の公園へ行った。28種類の桜が植えてあるという公園は色とりどりの花吹雪でいっぱいだった。存分に楽しんで、店に帰る。店舗では、店内で本の噂話をするとその本が売れる、というジンクスがある。そして、棚も。店は本でいっぱいで、棚に収まりきらぬ本が平台に積んである。何とか収納場所を探して書棚の上にも積み上げる。その本の取りにくいところの在庫を、ある日、「ここの本はとりにくくて」と店主に言ったら、次の日から、何故か毎日一冊ずつその棚の本にネット注文が入った。同じ分野の本は他の棚にも並んでいるのに不思議なことだ。「きっとこの棚を噂にしたからだわ」と笑っていた。そしたら今日、その店内のかくれた部分にあるような棚に、お客さんがやってきた。脚立の最上段に乗って、崩さぬように慎重に、棚ならぬ位置の棚から2冊引き抜き、お買い上げ下さった。誰も聞いていないはずの店内の噂話なのに、噂力はすごい、と思った。

4月13日
 石川啄木がちょっとしたブームである。うちの店内だけではあるが—。啄木関係の書籍の整理をしているので、何となく店番机ふきんが啄木しているのであった。 書棚に
 「本を買ひたし、本を買ひたしと
  あてつけのつもりではなけれど、
  妻に言ひてみる。     啄木」
という啄木筆跡のコピーが貼ってある。古本屋に十年一日、百年一日の空気が流れる。
 この雰囲気も、啄木本を整理しおわり、書誌データをアップしてしまうと終了し、次に開かれる新たな段ボール箱の中の本のにおいにのまれてゆくのだろう。

4月13日
 許せないか許せるか、どちらかしかないのかなぁ。
 数日前から、きれいに咲いたチューリップを切って持っていく人がいる。夜、店の外に出るときには異常なしなのに、朝には切られている。折りとるのではなく切りとる形になっているので、人と道具の仕業である。酔人のいたずらなら「しょうがないなあ」とストレートに怒ることができ、心は痛まない。わざわざ道具を使って、連日、一本二本という「使える量」だけもっていく行為に、それをした人の心の闇を見たようで、暗くなる。花が消え根本の茎だけ残っているチューリップの姿を見た最初の日は、「花泥棒に罪はない」と思っていた。こんなにきれいなんだから、衝動的に採っただけ、持ち帰られた花は、その人の淋しい食卓を彩ってくれているのかも—。 二日目、三日目と続き、心は重くなり、「花泥棒に罪はない」の初心を貫くことが苦しくなってきた。
 花は私が育てたんじゃない、自分で育ったんだ、と思おうとしている。防衛のために花壇の周りにぐるりとフェンスを作ることはできるけれど、それはしたくない。道ゆく人に見てもらってこその、私の小さな花壇だと思っているから。
 私は偽善者だ。最初は「花泥棒に罪はない」と鼻先で言いながら、今は、切り去った人に会って問いたいと思っている。いや、本当に会いたいのだろうか。「見たい」だけじゃないだろうか。実際面と向かって「どうして?」と問う勇気がなければ、それはただの好奇心だ。「卑しい人」と思いたいだけになってしまうだろう。
 盗られたのは私のほうだけれど、問いは自分に返ってくる。私の器量を試されている気がする。

4月9日
 すっっっきり。
 雨上がりの朝、陽射しはまっすぐで、洗われた舗装道路も輝いてみえる。昨秋、園芸店でどれにしようか迷いに迷って決めたチューリップの色は、赤、白、黄色。先週末に赤が一番に咲き、今日は、赤白黄そろって咲いた。様々な色や形の花の写真が並んでいる球根売り場から選んだ色は大正解。見るたびに「あか しろ きいろぉ」と心の中がうたっているのを感じる。
 北向きに建った古本屋の建物の横の三角のスペースで、それでもそれなりに、緑は育っている。欲を言えばきりがない。限られているからその中で工夫をし、それなりの幸せが手に入る。無限大の幸せが手に入る環境が整っていたとしても、無条件に無限大の幸せを手に入れられるものではないだろうと思えば、「それなりの幸せ」も価値のあることに思えてくる。
 今年も店の前の電柱の、「50 6000V」と書かれた変圧器の下にすずめの夫妻が巣をつくった。
 陽の光は人を前向きにしてくれる。

4月7日
 いちごジャムを作ったら うれしくて。
 先日近所のスーパーの店頭に小粒のいちごが、4パック298円(!)で並んでいた。「ああ、今年もいちごジャムの作れる幸せに感謝」と天を仰ぎ、抱えて帰る。砂糖をかけてレモン汁をかける。いちごは火を入れるにつれ、つやを増しかおりたつ。 一晩おいて、翌朝はコーヒーにトースト、いちごジャムの朝食。つやつやの春がうれしい。
 ここ半月程、朝眠くて「春眠暁を覚えずだからね」と言っていたのに、いちごジャムを作ってからは、何故か朝起きられる。「春が私を目覚めさせてくれたんだ」などと言ってみる。 冷蔵庫で待っている輝くいちごジャムの朝食が楽しみなだけなんだろうけどね。
 プランターのチューリップは咲きだしたけれど、街路のポプラ並木はまだ裸だ。まだまだ次々春のたのしみはやってくる。

4月4日
 桜が咲いた。鳥が春をうたっている。二度もお花見に行った。私の好きな春が来た、はずなのに、空一面を染める桜の花が一番好きなはずなのに、今年は心が弾まない。何かがブレーキをかけている。個人の心がどこにあろうとも、例年のように春はすすみ、花は咲き、私は手入れに追われ、うれしい忙しさの中で日々を送っている。
 先日、冬中閉めっきりだった亀の冬眠用バケツのふたを開けた。泥をまとった体を歯ブラシで洗ってもらって、陽射しを浴びている。弾みきらない気持ちを小さな亀の姿が慰めてくれる。すぐそばに、平和な命のあることをありがたく感じる。

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