ユーコさん勝手におしゃべり

3月30日
 25日に茨城古河の桃まつりに行ったのを皮切りに、毎日どこかしらへ花見物に出歩いた。といっても仕事を休むわけではなく、近隣の桜のある並木や公園へお茶を持って出向いては花を愛でて帰ってくる。昨日は、神田の古書市場へ行く途中、上野公園へ寄った。車で神田へ出るには、隅田川沿いを通って浅草・上野を経由するのがパターンなので珍しいものではないが、この時期の上野公園は平素とガラっと違う。桜もすばらしいが、人手もすごい。渋滞を避けて朝早めに出たので宴席は始まっておらず、場所取りの人々がブルーシートに座ったり寝転んだりしている。桜並木の両端はシートが敷き詰められ、並木道には大勢の人がさざめき歩き、まるで何かのカーニバルが始まる前のようだ。
 そして行き交うことばの半数は外国語だった。通りなれたいつもの道が桜と人手で目にも耳にも違うところになっていた。
 不忍池のほとりに下り、屋台をのぞいていたら、テキ屋のお兄さんの声が耳に入った。「ちょっと 小耳にはさんだんっすけど…」と、年長に人に何事が注進している。ことばに独特のリズム感があり、「今、下町にいる」と実感した。
 花散歩のあと一仕事終えて、店に帰る。店は、今は下町と呼ばれる地域にある。先日、近所へおつかいに出た帰り、店の横道で二人連れのおじさまとすれ違った。年若の方がもう一人に、「下町っていいですねぇ」と話しかけた。すると言下に「ここは下町じゃねぇ。」と返ってきた。少し驚いた相方を尻目に、「ここは下町の下だ」とことばを続けた。私は思わず振り返って、もう後ろ姿になった二人連れの方を見た。「うまい」と声をかけたかった。
 店のある葛飾堀切あたりは昔は郊外と呼ばれ、下町の範疇には入っていなかった。関東大震災と東京大空襲で、それぞれ焼け出された人が隅田川・荒川を渡って、この地に移り住み営みをはじめたところから自然と下町の範囲が拡がり、今どきは下町と呼ばれている。すれ違った二人の年上の方は地元の人で、年若の人に呑み屋さんでも案内しているところだったのだろう。はいて捨てるように言った「下町の下だ」には、自負やテレや様々な思いがこもっていた。
 店にいると時々、ほんのたまにだが、きっぷのいい下町弁を聞くことがある。先日初老のご婦人が店主に買い入れの相談に来た。昔だんなさんの買った「重くて困る」本を買ってくれるかという。
 「すーぐ買っちまうのよ。バカもバカ、大バカよ。」ご亭主をくさすのだが、全くイヤミがなく、「そんなこと言われたって見なくちゃわかんないわよねぇ。こんだ持ってくるわ」と帰っていかれた。ご婦人が去った後、店主が満面の笑顔で、「火焔太鼓だ。志ん生の火焔太鼓を聞いてるみたいだった」と興奮していた。「志ん生の落語に出てくる女房のしゃべりにそっくりだ。イヤいいもの聞いた」としばらくうれしそうだった。
 地域に根差す庶民のことばは、保存しようにも保存しようのない無形文化だ。この微妙なニュアンスは、耳に飛び込んできた瞬間にしか得られないが、深く記憶に残る。

3月22日
 チューリップが咲くよ。
 「暑さ寒さも彼岸まで」なんて言って数日来のあたたかさに浮かれていた気分をペチャンとへこますような、春の嵐がやってきた。おととい昨日は冷たい風雨が吹き荒れ、プランターに目をやることもなく過ぎた。
 そして今朝、まだまだ葉っぱと思っていたプランターのミニチューリップに紅く色づいたつぼみが頭をもたげているのを発見した。さいしょのひとつを見つけた後は、ここにもここにもと、ビオラのうしろにたくさんのつぼみがあった。「このよろこびを、誰に伝えよう」とワクワクする。
 一週間前、近所の街路樹のふくらんだ花芽に、「これは、たしかモクレンの木だったよな」と話しかけた。それが今は、見まごうかたなきモクレンの花盛りだ。あちらの街路でもこちらの庭先でも、春がうたっている。
 「見逃した」と思っても春は何度もやってくる。春の魅力のひとつは、はっきりと季節感をたずさえた花の分布が、目に見えて動いてゆくことだ。梅園はあちらで終わっても、次はこちらと、地方をかえて次々に姿を見せてくれる。
 先週は陽光に誘われて新宿御苑へ行った。来週あたり水元公園へサイクリングに出かけようと思っている。何が芽吹いているか楽しみだ。

3月12日
 陽光がそそぎ、慈雨がふる。
 昨日、早くに咲きだした陽あたりのよいご近所の沈丁花は満開になったが、うちの店の横のはまだ赤くふくらんだつぼみだった。
 午前中少し強く雨が降り、一日どんよりとした空が続いた。夕方から晴れて、店を閉める頃には、みごとな下弦の月が出た。黒い空をバックに、黄白く薄いお皿のような月で、梅・桃・水仙・菜の花と早春の花を盛りたくなった。
 そして、今朝階上の窓を開けて下を見ると、プランターの沈丁花がいくつか純白に開いていた。自然に顔がほころぶ。
 春は、さいしょの花をみるよろこびに支えられている。

3月7日
 ここ一週間位、沈丁花の動向が気になって、店舗から書庫や銀行への行き帰りにも、頭の中でいつも通る道の沈丁花マップをひろげてアンテナを立てていた。そして3月5日にさいしょの開花に出会った。花ひらくときは、さいしょのひとつが見たい。春は、これから次々そんな楽しみがやってくる。
 昨日は所用で出かけた。用事が終わって、夜駅ビルのフードコートでコーヒーを飲んだ。となりの座席にはとても小柄なおばあさまが腰かけていた。テーブルに白いノートをひろげて、何か書いている。見るともなしに目をやると、文は「本日は ○子の葬儀に参列いただいてありがとうございます。」と始まっていた。何だかとても切なくなって、焼きたてのメロンパンをかじった。白髪の小さなご婦人は、パン屋さんの袋から紙パックの100%オレンジジュースを出してゆっくりストローをさした。
 帰宅して就寝。明け方、鋭い「ニャーゴォ」という声で目が覚めた。ネコの恋鳴きだ。暖かさとともに盛りのついたネコが鳴き交わしているらしい。
 悲喜こもごもの、春がくる。

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