ユーコさん勝手におしゃべり

1月25日
 今日、学生時代の恩師の書いた本が売れていった。
 講義の時、「もう大学なんかやめて、印税生活だ、ハッハッハ……、年に三万円じゃ暮せないな。 もう死んじゃおうかな」と言っていた。「死にたい」が口癖のように出る方だったが、シニカルなユーモアに包まれていて講義は面白かった。アメリカ南部が専門の先生の当時の最新刊を購入した。小さな出版社から出た本は大学の生協にもおいておらず注文してからずいぶん待たされた覚えがある。楽しみにして手に入れたが、あの時の自分には読みこなせなかった。だいたい土台となるアメリカ南部文学を、数冊のフォークナー以外読んでいなかったのだから。
 いつかいつかのあとまわし、で結局通読に至らなかった故、店に置き、売れてほしくないから高めに値をつけた。しかしそのまま長い時を経て、当時高くつけたはずの値は、今となっては高くなくなっていた。
 求めて読む方がいることを、誇らしいように思う反面、店の一角からその本が抜けて出ていくことを淋しくも感じた。

1月14日
 本日は成人の日である。これを御覧のお客様の中にも今年成人式をむかえた方がおられるかと思う。おめでとうございます。
 お子さんやお孫さんが成人式の方も、多くいらっしゃることと思います。また、曾孫さんが成人式という方もあることでしょう。 みなさんおめでとうございます。
 書店の中では地位や立場を超えて、皆一律に読者、あるいは一コレクターであることを、貴重なことだと感じ、同じように尊いお客様として接せられることに感謝しています。
 普段は本を書いていらっしゃる方も、本を購入する時には一読者となる。その人の本を参考文献として買う人と、同じ日に同じ店で交差しているかもしれない。
 人はみんな徒であり師である。昨日まで徒と思っていた人がある日師に見えることも、場面や場合で立場が逆転することもよくあることだ。
 以前、あるお客様が、「読まねばならないと思っていた本が、古書で出ていてよかった」とおっしゃった。自分と主張の違う論客の本を、読まずに批判することはできないが、彼に印税が入るのはちょっと悔しいと思っていたそうだ。お金の問題ではなく微妙なプライドの問題らしい。ともあれ、「何かを軽蔑するためには、まずそれを手に入れなければならない」と『贈る言葉』のなかで柴田翔も言っていた。意にそまないからといって背を向けているわけにはいかない。不肖私も、なるべく好き嫌いせずに、これからも様々な分野の棚に手をのばして、皆様と本との橋渡しをしてゆきたいと思っております。

1月8日
 ここのところ、年があらたまったことに気付いたかのように、プランターのパンジー・ビオラがにぎやかに開きだしている。今日は陽も明るく穏やかに晴れた。堀切菖蒲園まで散歩に行く。
 「冬桜くらいしか見るものはないだろうが」とたかをくくっていたが、うれしく裏切られた。園内に入り満開の水仙が芳香を放っている足もとから目をあげると、もう梅が咲き始めている。紅梅に蝋梅。わらの雪がこいの中では牡丹のつぼみが重そうに頭を垂れていた。
 忙しさにかまけて目をつぶっているうちの季節のすすみに、ハッと胸をつかれた。
 すぐそばにあったこんなことに気付かずに日々を過ごしてきたなんて、何ともったいないことだろう。季節の小さな変化をつかまえて、今日は得した気分だ。

1月6日
 「つれて こまる」
 自転車で散策中、街角の電柱の下の方に白い小さな紙が貼ってあった。「ここにゴミを出さないでください」といった告知かなと思ってみると、手書きの墨字で、「つれて こまる」と書いてある。「何だろう」と一瞬考えた。
 縦書きの「つれて こまる」の下に小さく横書きで「つり堀 曳舟園」と書いてあった。ちょっと笑えて、つい見てしまうステキなキャッチコピーだった。

1月3日
 あけましておめでとうございます。
全国的に寒さの厳しい年頭のようですが、いかがお過ごしでしょうか。私はといえば、1日は横浜の実家へ行き、お抹茶を飲みお雑煮をいただきました。2日は江戸東京博物館で北斎漫画を観て筝曲の合奏を聴きました。3日は銀座松屋で小堀遠州美の出会い展、上野松坂屋で現代書道展と展覧会のはしごで過ごしました。普段より多く着物姿の人を見たジャポネスクな3日間でした。
 展覧会の帰りに、暮れに割れてしまい難儀していたサイフォンを買いました。店に帰って早速コーヒーをいれ、明日から始まる注文書籍の発送準備にかかりました。年始で郵便も混み合っていることでしょうが、週明けにはお手許に今年の初荷がお届けできると存じます。
 また今年も ご愛顧のほど よろしくお願いいたします。

12月のユーコさん勝手におしゃべり
11月のおしゃべり
それ以前の「おしゃべり」