ユーコさん勝手におしゃべり

1月29日
 寒い日が続きますが、いかがお過ごしですか。
 気温はまだ冬ですが、室内飼いのうさぎは、はや換毛をはじめています。もう冬を脱ぎすてて春毛になろうというのでしょうか。いったい何を察知しているのでしょう。
 店舗から書庫へ行く道で、子猫の姿をよく見かけるようになりました。野良の子猫が母猫にうながされて、日なたを陣取るおとな猫に「ニャァ」とあいさつして回っていました。猫界でも、もう子育てできるという判断がおりたのでしょう。 風の冷たさは変らなくても、何となくウキウキします。
 先週末の積雪ですっかりしなびてしまった葉っぱたちにも、復活の芽吹きがみえてきました。
 季節の進みを感じ、力のわいてくる1月末です。(2月はバーゲンシーズンだしね。) 皆様のところはどんな様子ですか。

1月23日
 先日父が目の手術のために5日ほど入院することになり、病院へ見舞いに行った。術後の経過は順調で、思ったより元気そうだった。入院中は禁酒禁煙になるのが、体調に良いようだ。お酒はともかく、タバコはやめた方がいいと以前から医者に言われていたが、今までやめられずにいた。それがこの入院の3日ほど前から吸っていないのだ、しかも今回はこのまま禁煙できそうだと言う。
 「良かったね。きっかけは何?」
と聞くと、タバコがきれた時に、「エコー」を買ってきたのだと教えてくれた。(エコーは昭和43年発売のタバコの銘柄)
 「(今吸うと)まずいんだ、これが。吸いたくなったらこれを吸う。でも辛くて、こんなんなら吸わない方がましだ、と思うよ。それで結局、20本入りを一箱買って、3本は吸ったけど、あとはそのまま置いてあるんだ。」と言う。
 やめて手許に一本もタバコがないと思うと淋しい。でも吸いたくなったらいつでも吸える17本があればその淋しさはない。ただ手が出ないだけだ。
 「へぇ、よくそんなアイディア思いついたね。自分で考えたの?」
と聞くと、
 「兄さんのこと思い出したんだ。」と言った。
 父は5人兄弟の末っ子で、尊敬をこめた感じで「兄さん」というと長兄のことだ。他の兄弟のことは「アニキ」と呼ぶが、長兄のことはいつも「兄さん」という。その兄さんが、晩年医者から、もうタバコはやめるようにと言われて、思いついたのが「エコー作戦」だったそうで、いつものタバコのかわりに、エコーと、ちょっとつまめるお菓子を用意して禁煙に成功したという。随分以前に聞いたその話をフト思い出し、真似してみたのだそうだ。数年前に87歳で亡くなった兄さんを偲んで、何だかうれしそうだった。
 長兄は、ずっと歳の離れた末っ子の父をとても可愛がってくれた。頭が良くてスラッとした兄を父も大好きだった。戦前満州鉄道に就職し家を出るが、列車事故で両足を失い、戦中は実家に戻り療養していた。他の兄は兵隊に行き、母親は体を壊しており、10代の父は家事と牛馬、農地の世話をして過ごした。
 その後父も少年志願兵となり、家を後にする。1945年8月、人間魚雷として特攻出発することが決まる。最後の休暇で新潟の実家に戻り、可愛がってきた牛や馬と共に過ごした。8月15日の朝も、馬を連れて海岸まで行き昼過ぎに戻った。すると長兄が、「お前行かなくても良くなったぞ」と伝えてくれた。
 終戦の翌日に母親が亡くなり、戦後の農地解放で家督の多くを失う。父は兄弟の中で一人だけ上級の学校に進学することができなかった。やがて兄たちが兵隊から戻り、農業のできない長兄は、税理士の資格を取り家を出た。戦中、牛や馬のめんどうを見、父親を助け病母の世話をした父も職を求めて東京へ出る。時代の割をくったような末弟を、その後も長兄は気にかけてくれた。
 私が子どもの頃、父と、長野に住むおじさんの家に遊びに行くと、おじさんは父を「ちゃんづけ」の子どもの頃のあだ名で呼んでいた。あまりにも可愛いその呼び名が、もう頭の薄い父に似合わなくて、よく覚えている。長兄にとって父は、いくつになっても、ちょっと不憫な末の弟だった。
 おじさんが天寿をまっとうした時、父は体調を崩していて葬儀に出席できなかった。その後も墓参に行きたいと言っているが、長野善光寺のそばの墓所は、アップダウンの多いところにあり、なかなか出かけられずにいる。
 でも、実際体は行かれなくても、こうして昔の兄さんの真似をしてうれしそうにしている父を見れば、天国で、兄さんはきっとわかってくれると思うよ。思い出すのが何よりの供養だって聞いたことがあるから。
 禁煙、成功するといいね。

1月18日
 日に何度時計を見るか、ということを意識せずに過ごしている。具合が悪くならないと内臓のありかを意識しないように。
 昨日、店主が店舗上階書庫の時計を、隣の部屋へ移した。時計・温度計・湿度計が一枚の板についているもので、書庫のコンディションを保つのに欠かせない。開店前に書庫にいる時、フトいつもの壁を見た。特に時刻を知る必要があったわけではない。やらなければいけないことや、それにかかる時間は、毎日そう変らない。それでも、いつもあるところに時計がないと、自分の位置がわからなくなるようで不安になる。丸一日たって、今日書庫へ行った時もフト時計があったところを見上げ、同じように不安になった。ひとつドアを開けて隣室へ行けば同じ時計が動いている。時を確認して何故か安心する、自分が思った通りの時刻だったから。いつもの作業をしていていつもの時刻であるだけで安心するなんて、こんなにも時間に縛られて生活しているのかと、改めて驚いた。
 冬至のときも夏至の日にも同じ時刻を使っていることを不思議に感じる。年始に江戸東京博物館へ行った時、季節によって時間が変化する和時計(万年自鳴鐘)の展示を見て、「江戸時代の日本は偉い」とうなった。日の出・日の入りの時が変れば、人の気分は随分かわるはずなのだから。(ゆっくりじっくり時刻がずれていくところが、懸案のサマータイム制との違いである)
 昔、私の通っていた高校は冬時間というのがあって、2学期の終わり頃から3学期終了まで始業時間が15分遅くなった。冬の朝は暗くて寒い。その15分がとてもありがたかった。そして4月になってまた8時30分登校になると「ああ、春が来たんだな」と明るく身のしまる思いがしたものだった。
 いつもあった所に時計がなくなっただけで、高校時代にまでタイムスリップしてしまった。時間って、ホント、不思議。

1月15日
 出た出た チューリップの芽が出たよ。
 昨日、今年はじめての雨が降った。季節を揺り動かすような静かな雨だった。「本当にカレンダーがすすめば、今年も夏が来るのかしら」と疑ってしまうくらい今冬は冬が板についていた。
 連日の寒風に近所の沈丁花のつぼみもふくらむにふくらめず、ここ1ヶ月じっと凍りついたようにしている。でもこの雨がきっかけで、少し木の芽もほぐれるかしら、と思っていたら、今朝プランターにチューリップの芽を発見した。
 寒いのはどうも苦手で、行動範囲が狭くなる。「忙しい」ことをいいわけに、ものぐさな心が勝ってしまう。人はどんどん貪欲になっていくのに、安易にもなっていく。世の中は便利になり、いろんなことが簡単に出来る。仕組みがわからなくてもテレビは映り、電波をとばして通信できる。浅い知識ならインターネット検索だけでも十分だ。簡単解説本はいくらでもある。深い満足感を得たい欲望と、深い満足感を得る為に必要な努力のめんどくささが、天秤の両側にのっている。それに気付きなんてこったと自分に失望する。幾晩でもベットを共にしたいと思えるような作品や作家との出会いは、宣伝された安易な感動や、読み易いばかりの本の中にはない。
 お日様を見たり雨を見たりして、心は自分で動かさなきゃね。

  「雨」
 雨は土をうるおしてゆく
 雨というもののそばにしゃがんで
 雨のすることをみていたい

  「梅」
 ひとつの気持ちをもっていて
 暖かくなったので
 梅がさいた
 その気持がそのままよい香いにもなるのだろう
                2編とも八木重吉詩集より

2005年12月のユーコさん勝手におしゃべり
2005年11月のユーコさん勝手におしゃべり
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