ユーコさん勝手におしゃべり

12月30日
 仕事納めである。本日で今年の発送はおわり、新年は4日から始業します。
 昨日、大型ホームセンターへ買い物に行きました。目的の買い物を済ませ、プランターに少しすき間があるので、1つか2つ苗を買おうと園芸コーナーへ。ひととおり見て歩くと、1ケース300円の処分品コーナーにバコバが入っているのを発見。花期が長くて丈夫なバコバは、寄せ植えに重宝だ。が、処分品の1ケースは量が多すぎる。正価のコーナーで1つだけ買おうと思い直して売り場へ戻る。しかし、普通に買えば同種のバコバは198円、これもお気に入りのビオラ種フィオリーナは298円だ。少し切り戻してやれば充分美しいものを、次の入荷があったからとて、年末売れなければ捨ててしまうのかと思うとやりきれない気がして、処分品の方を買って帰った。今朝数えたら、1ケースにバコバとフィオリーナ、合わせて21株入っていた。あちこちやりくりして埋め込み、思いがけず半日園芸デイとなった。おかげでお正月はにぎやかな花壇でむかえられる。「絶対枯らさない。君たちに後悔はさせない」と苗たちの里親気分で来年の春への決意も新たな年末となった。
 皆様もどうか良いお年を。来年もよろしくお願いいたします。

12月20日
 「言葉使い」がはやっている。
こんな日本語はまちがっているとか、ことばの使い方がヘンです、とテレビでも本でもいっている。
 でもそもそも現実とことばはそんなに寄り添っているものなのかしら。同じ言葉を、片方は脅迫と感じ、もう一方は「そんなつもりはない」と言って国会や裁判所で争っている。ことばの内容がいつも字面通りとは限らない。
 立派な学校を出た人や、独学でたいそう勉強した人が、習い覚えた言語を駆使してわけのわからない工作をしたりする。
 今春、弥生美術館へ行った時、展示されていた色紙額の文面がよかったので、メモしてきた。
 「子によする
      学校へゆかねば
      ばかになりますぞ
      卒業しても
      馬鹿はばかだが
           竹久夢二」(時期不詳色紙)
竹久夢二が自分の子どもにあてた色紙だ。学問をする=書かれたり語られたりした言語によって学ぶこと、の大切さとアテにならなさを暗示していて、心に残った。
 でたらめ鼻歌を歌う人は、歌詞のつじつまは全然合っていないのに、ちゃんとその歌の気分にひたれている。メロディにつつまれた中で、ことばは単なる音でもある。
 字面と中身が違うといえば、さっき郵便局へ出かけたとき、商店街を自転車で買い物中の若奥様が、その母親らしき人にこぼしていたグチの断片が耳に入った。
 「……して、私はもう眠いのに、『何かご飯 ない?』って言っていらっしゃる! もうイヤんなっちゃった…」
 というもの。「言っていらっしゃる」は確かに敬語だ。
 敬語だけに、最近聞いたことばの中で一番怖い響きがあった。

12月19日
 寒波お見舞い申し上げます。
 日本は四季があって素晴らしい、とはいうものの、こんなにメリハリつつけなくても、という程の猛暑の夏と寒さの冬です。このあと年始まで寒く、年明け後は暖冬化するという気象予報士のコメントをテレビで聞きました。まだもうしばらくは寒い日が続くようです。
 雪の降っているところも多いようですが、日本列島を覆う雪雲は箱根の山を越えることができずに南関東には寒風だけをもってきました。毎日乾燥した晴天で、そこらじゅう静電気だらけです。
 大雪のニュースをきくと、受注した一冊一冊の本の行く先が気になります。配送のトラックは無事動くかしら、濡れずに配達車に乗せ換えられるかしら。世の中がいくら便利になっても、人の手がなければ、実際のものは動いていかない。本の行方にかかわる全ての人に感謝。

12月13日
 寒い冬です。ウォームビズを提唱する業界を応援するように、冬らしい冬がやってきました。知らぬ間に東京にも初雪が降りました。雪の降るサッカー中継のテレビ画面でそれを知りました。中継が終ってしばらくして外を見ても雪の痕跡はなく、その時外にいた何人かからあとで雪の話を聞きました。お話だけの幻の初雪でした。
 急に寒くなって、色鮮やかだった紅葉も終り、落葉樹は丸坊主です。でも、桜の枝には小さな芽がびっしりついていて、冬は春のひとつ前の季節だとわかります。ムスカリも水仙も元気な芽で、冬の間にすべき作業を着々とこなして、もう次の春を準備しているようです。
 みな様のところはどんな冬がやってきているでしょうか。

12月1日
 ここ2・3日急に寒くなってきた。昼食にラーメン店で店主と並んで湯気の立つあつあつラーメンを食べながら、フト先日のことを思い出した。
 用事で出た帰り、南千住のそば屋へ向かう車内で店主が言った。
 「寒くなったな、あったかいの食べたいな」
 「カレーうどんですか? あそこのおいしいですよね」
 「イヤ、だめだ。大もり、だ」
 「あったかいの食べたいんでしょ。いいじゃないですか」
 「イヤ、だめだね。そば屋へ行ったら大もり、それ以外は食ったことねぇんだから」
 「エ、そうなんですか」
といいながら、食にはずい分冒険している店主だが、日本そば屋でもりそば以外のものを頼むのを見たことはないなと思いたった。しかもメニューにあろうとなかろうと、店に入ると、「大もり」と言う。特に行きつけのそば屋では、本人いわく、「大もり以外のもの頼んだら、ダンナに『体の具合でも悪いんですか』って言われちゃうよ」だそうだ。
「そんなことはないと思いますけど」と言いつつ、妙に納得。店に入り、いつものおばちゃんの「いらっしゃーい」という明るい声につられて、「大もり二枚」と注文。そういえば私も、他の人たちと大人数で行くときは別のものも頼むけど、店主と二人のときは「大もり」なのだった。食べるといつもおいしいし、適度に混んでいて活気のある店に大もりはよく似合う。
 と、そんなことを考えつつ、これも好物の熱いラーメンを食べ終わり、店を出た。
 「ひ」と「し」を区別できないだけじゃないんだな。別に他人に何の利害も及ばないところで変なガマンをしているところに、何だか江戸っ子風味を感じた。今まで意識したことはなかったが、たぶんこれが江戸っ子なんであろ。
 ちなみに、「ひ」と「し」は字面と頭ではわかっているが、口に出すと脳内で理解したこととは違った風になっているようだ。

2005年11月のユーコさん勝手におしゃべり
2005年10月のユーコさん勝手におしゃべり
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