ユーコさん勝手におしゃべり

11月25日
 今年の亀の冬眠用の落ち葉は桜にした。
  今週は、皇居北の丸公園、井の頭公園、上野公園と出かける機会があって、ちょうど東京紅葉巡りとなった。桜の紅葉は色味も様々で、眺めも楽しい。北の丸・井の頭と歩いて、「桜にしよう」と決め、上野公園で拾い集めた。今年の基準は「きれい」。ガバッとは拾わずに、一枚ずつ色を吟味して集めた。「春になって、冬眠バケツのフタを開けたら亀が赤くなってたらどうしようか」なんて連れと話しながら。
  こんな発想が出たのは、一匹のトカゲの記憶のためだ。今秋、店の脇の小庭の模様替えをしたとき、木の板に半透明緑のペンキを塗った。カウンターにするような長い板を店の前の電柱に立てかけて、ペンキ缶に直接ハケをつっこんでペタペタ塗った。作業が終ってペンキ缶にフタをしようと地面に裏返しに置いたフタを手に取ると、缶ブタの方からスルスルと何かが動いた。私と目が合ったのは小さなトカゲだった。その色に驚いた。見たこともない色、透きとおるような青緑色だ。ペンキの半透明感を出そうと小さなトカゲが必死で努力した結果だろうか。それにしても缶ブタのどこにいたのか、べったりペンキがついている様子もなかった。誰かを呼ぶ暇もなく、トカゲはスルリと店の前の土手に入っていってしまった。それから一度も近所でトカゲの姿は見ないけれど、妙に印象深く忘れられない一匹との出会いだった。
 まあ、亀が赤くなることはないだろうが—。

11月23日
 もうすぐ師走、そろそろ来年のカレンダーも出回ってきました。あるサイトのカレンダープレゼントに応募しようとしたら、「来年のあなたの夢を書いてください」とあったので、「文才が天から脳におりてくる」と書いておいた。 ありえないから夢なのであった。
 夕べ見た夢はもっと現実的で、新聞を読む夢だった。
 夢の中で私は、新聞が小さくなったと誰かが言うのを聞く。「いつも読む一般紙は大きすぎる」と思っていた私は喜んで新聞を手に取り、開く。「アレ、変ってない」と思ったら、縦の長さが半分になっていた。ヤケに横長でヘンな形だが、今までのサイズより読みやすかった。ひざの上だけで納まる長さなので、座っていても広げて読める。タブロイド判を期待していたが、「何もしないよりは、これでも許せる」と夢の中の私は思った。
 中学生の頃から新聞読みは趣味の一つだった。たたみの部屋に新聞広げて、興味のおもむくままに時間をかけて読んでいた。その頃は新聞の判型が大きすぎるとは思わなかった。しかし今の住まいにたたみの居間はない。新聞はテーブルで読むのだが、片付いていないときれいに広げられない。昼食時に立ち寄るそば屋や食堂にも新聞が置いてあるが、やはり広げてみるわけにはいかない。カウンターに向かって小さく頁を繰る姿はいじましい。
 新聞がもう少し小さくなればいいなとは、常々思っていたのだが、夢に出て来た新聞の形には驚いた。常識のくくりのない睡眠後の頭の中を、夢はちょっぴり覗かせてくれる。

11月16日
 朝晩急に寒くなって、朝起きるのが自分との闘いという風になってきました。ふとん恋しや恋しやふとん、の季節です。晩夏から連日店の前の土手に咲いていた朝顔の花数が、2・3日前からめっきり減りました。店の前の地面は、夏から一気に冬にとんだようです。皆様のお住いの周りの様子はいかがですか。
 ちなみに、当店の目の前は京成電鉄の土手で、朝顔など植物は、ずっと以前に誰かが植えたものが勝手に自生しています。しかも7月に電鉄が草刈をして伸び始めに刈られるので、花期が遅めです。たくましさに脱帽します。
 朝スーパーの新聞折込チラシを見ていたら、家人が、一枚の紙の中にある語彙量に感嘆していました。
「お買い得」「ご奉仕」「セール」「特別企画」「ディスカウント」「フェア」「まつり」「特集」「全品OFF」
 安いということを、コーナーごとに重ならぬことばで表現しようとする情熱にうたれて、今日の買い物はそのお店の日替わりご奉仕品に決めました。

11月9日
 よい天気。この季節、よい天気がなによりのごちそう。
 少しずつ季節はすすみ、長袖を着る日が多くなる。もう一回着ようかなと思ってカベに掛けておいた半袖ワンピース、もう出番はないと観念して、ハンガーからおろした。
 薄手のセーターを着る機会が増えた。「この秋一番の冷え込みです。風邪をひかないように」という天気予報のコメントをよく聞くようになった。
 でも今日は朝からこんなにいい天気。こんな日は出かけずにいられない。色づく木々を見に足立都市農業公園へ。陽を浴びて、「今年の亀の冬眠用の落ち葉はどこの何にしようかな。」と考える。飼っている亀はまだ眠る気配はないものの、冷え込む夜などガサゴソ落ち着かない。そろそろもぐり込む落ち葉布団がほしそうだ。さあ、どこに出かけよう。
 帰宅すると、テレビには札幌に降った初雪が映っていた。
 この夏、開高健初版本のデータをパソコンに打ち込んでいるとき、「かぜにきけ」と打ったら、「風邪に効け」と変換された。あまりに突飛な変換ミスでパソコン画面に「オイオイ、」とつっこんだ。でも、今なら、「あら思いやりのあるパソコンね」と思ったかもしれない。
 周囲に風邪ひきさんも増えてまいりました。皆様、風邪など召しませぬようご自愛ください。

11月2日
 バイク便がやってくる。年に5・6回といったところか。まず書名を確認する電話があって取り置きを頼まれ、30分位でとりにくる。支払われた代金に領収書を書く時、宛名で報道機関だとわかる。ほどなくして、その本を書いたタレントさんや作家氏の訃報が流れたり、その本に関連した事件報道があったりする。
 今日も一台、バイク便が本をとりに来た。その後一時間位して夕方のテレビニュースを見ていた店主が、
 「これだ、出るぞ」 と言い、「ホラ、見てみ」 と私を呼ぶ。
 ある事件を起こした容疑者が参考にした本としてテレビに映っているのは、さっきまで書棚に眠っていた本の表紙と口絵だ。チャンネルを確かめると、たしかに領収書をきったところだった。チャンネルを変える。すると隣のチャンネルにも同書が映る。これも、どこかの古本屋から検索されてその局に納められたに違いない。都内の古本屋からテレビ局へ、新聞社へと、一冊の本が数時間のうちに集結したわけだ。
 以前、フィリピンに旧日本兵が残留しているのでは、という報道があった時は、数日のうちに30年位前の南洋諸島旧日本兵関連の書籍が無くなった。その後どうも今回はデマらしいということになり、問い合わせはピタリとやんだ。ああいう本たちは今、どうなっているのだろうか。
 報道ではないけれど、こんなこともあった。入荷した本を整理し値をつける際、よくわからないものがあった。ある人物の伝記だが、その人名を調べても何者だかわからない。日系二世か渡米した日本人らしいくすぐったいような名前だった。古い本だが口絵写真がたくさん入っている。最近の本なら何ということはないが当時としては贅沢なつくりなので、資料にもなるし捨てるには惜しいということで、そこそこ高くなく安くない値をつけて出品した。しばらくして注文が入り、売った。そしてある日、たまたまつけていたテレビのバラエティかクイズの番組から、聞いたことのある名前がきこえた。
 「こないだ、この人の本売ったね」
なんて話していたら、ワゴンに乗せられてうやうやしく登場したのは、まさにその本だった。司会者が白手袋をはめてページをめくり口絵写真をひらいた。「ハァー」なんてのぞきこんだゲストがため息をついている。手袋をはめて扱われるにはゼロがひとつふたつ少ない価格で売った本だった。
 「惜しいことしたかもね」
 と、こっちもため息をついた。

2005年10月のユーコさん勝手におしゃべり
2005年9月のユーコさん勝手におしゃべり
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