2月28日 今日で2月が終ります。今日はまるで神様から短い2月へのプレゼントのような好天です。数日前に最初の一つが咲きだした沈丁花は、咲いたとたんに雪に降られ、いったん開くのをやめたようです。この暖かさでまた開きだすでしょうか。今週末はまた雪の予報が出ています。行きつ戻りつしつつ、確実に進んでいるんでしょうね。 今店は本で本で本で、ダンボール積みの本だらけです。書庫へ収納しようにも、一気に運ぶのはムリなので、まだしばらくは棚の見づらい状況が続くと思います。(鋭意努力中なので今少しお客様にはご辛抱を。) 明日店主は書庫に入れる柱を買いにホームセンターへ行きます。店舗は鉄筋ですが、書庫は木造家屋なので、重い本を入れるには更なる補強が必要なのです。 「柱って、個人で買う人少ないだろうな。一生にそう何本も買うもんじゃないよな」とは店主の弁。その通り文字通りだと思います。 2月22日 読めない字がある。主に漢字である。本を読む時はたいてい適当にあてずっぽ読みして通り過ぎてしまう。自分ひとりで読んでいるだけなら何の問題も無い。でも人にその本のことを喋ろうとするとそれは大きな壁になる。特に人名だったりするとアウトだ。登場人物の名前も知らない本の、いったい何を語ろうというのか。読めない、あるいは読まない字は、漢字だけではない。カタカナの長いのもそうだ。欧米小説の人物名や地名を雰囲気で眺めとばしている。その文字列を目が認識しているので自分の中では混乱はない、が、読み終わって整理しようとすると、紙に書けないし口に出せない。もう一度本を開いて一文字ずつ追うことになる。学生時代はじめてドストエフスキーを読んだ時もそうだった。おもしろく惹き込まれるように読んだのに、「ドストエフスキー」だか「ドフトエフスキー」だか混乱して、今何を読んでいるのか言えなかった。やっと言えたのは「アリョーシャのはなし」だった。印象的な登場人物名でよかった。たまたま、部活の友人に「ありよし君」がいたので覚えやすかったのだった。 読めない字はなるべく減らしたいものだ。が、読めてないことに気付いてもいないことが多いので、そんな字や文字列がどれ位あるのかはわからない。 2月21日 本が呼ぶ、ことがある。新刊書店に入って棚をずずずーっと見上げて見下ろしていると、棚から声がかかる。 半月前そういう出会いがあった。「次はコレ読も」と決めたが、その日は買わなかった。きれいな色のカバーなのに本が少し痛んでいて在庫が一冊しかなかったから。 その次行ったのは古本屋で別の本を買った。そのあとは、自分の店に入ってきた本で気になるのがあった。今はそれを読んでいる。とてもおもしろい。 そして今朝、また半月前の新刊書店へ行った。別の本が私を呼んだ。「オレを読め、オレを読むべきだ」と言っている、のでその力に負けて購入。半月前魅かれた本も手にとったが、前と同じものだったので見合わせる。 今、今朝買ったのを読んでいる。題名と装丁だけ見て買ったのだが、出版社をみたら、半月前気になって、結局また書棚に戻した一冊と同じところだった。私を呼ぶ本を出してくれる出版社と、自分のチョイスにうれしくなった。 2月19日 先日、「2月19日(土)夜9時から、テレビ東京「出没! アド街ック天国」で「堀切(堀切菖蒲園)」が特集されます。当店の地元です。「どんなところから本が送られてくるのかな」とご興味のある方はぜひご覧ください。当店も出る予定(?)になっております。」 と告知をして、今日放映を見た。13位にランクされていてホッと一息。告知しておいて全然出なかったらどうしようかと思っていたので。そして、自らの店よりうれしかったのは、「薬丸印の新名物」のコーナーに「どらやきの皮」が選ばれたこと。アド街の番組スタッフが取材に来た時、「薬丸印の新名物」に「どらやきの皮」を推薦したのは私だったから。「どらやきは、皮がどらやきなんだってわかりますよ。あんこが入っていなくても、ちゃんとどらやきの味がするんです。」って熱く語ってしまった記憶がある。 (番組をご覧にならなかった方や、ご覧になれなかった方、分からない話でごめんなさい。上記の話しは、アド街ック天国のホームページwww.tv-tokyo.co.jp/adomachi/でご確認いただけます。) 2月15日 冬晴れの堀切菖蒲園へ行く。何もない。生垣の外から見てもせいせいと空間が拡がるばかり。菖蒲田は完全に水が抜かれ株があるばかり。亀の池もただの小沼となっている。冬桜はおわり、梅は遅咲きなのかまだ花がない。牡丹のつぼみが少し—。柳は丸裸、萩のトンネルは鉄わくのみ。ただ陽ざしだけがあたたかくさしている。視界をさえぎる草花がなく狭い園内を見わたせる中央のベンチに腰掛けて、せいせいと、気持ちよかった。 帰り道、近所の沈丁花のつぼみが今にも開かんばかりにはりきっている。春への期待に胸がふくらむ。 店を開けると、買入の連絡が入った。受け入れ空間を準備する。車が店の前に止まり、本のお客様がやってくる。本のお客様はひもで縛られたり、ダンボール箱の中に重ねて入っていたりする。店主がダンボールを次々開き、値踏みしていく。本の定価とも、発売時の評価とも無関係の個々の古書店基準がある。店内は季節にかかわりなくいつもの風景が続いていく。 2月7日 あと一ヶ月ほどで私にも誕生日がくる。家人から「何か欲しいものある?」と聞かれて、「ものより思い出」とpricelessのコマーシャルのように答えようとして、なぜか「ものよりオカネ」と口走ってしまった。一瞬時が止まった。「イヤちがう。『ものより思い出』って言おうとしたのよ。歌って欲しい歌があるの」といくら取り繕っても、一度口から出たものは取り戻せない。心と口は違うものなのか。それともこれが私の品性というものなのでしょうか。 2月6日 今日、たまたま、うちのホームページに行ったら、カウンターが「111112」を表示していた。私のひとり前の人は「111111」だったんだなぁと思ったら、以前、やっぱりうちのホームページをのぞきに行った時「11111」だったことを思い出した。その時は「もったいない」と思ったのだった。別にイチ並びに何のごほうびがあるわけでもないけれど、せっかくだからお客さんに見せてあげたかったなと思ったのだった。全くの偶然だけれどイチに何かのご縁があるらしい。 2月3日 先日首相が国会で野党の追及に対して「自分のことは棚に上げて」と逆ギレ答弁をしていた。資金の流れだの政治体質だのということはよくわからないが、「自分のことは棚に上げてもいいかどうか」は気になるところだ。(政治家は自分のこと棚に上げちゃいけないに決まってるが) 高校1年生の時、3年生が、当時所属していた演劇部の部室で「自分のことは棚に上げてもいいかどうか」を巡って討論していた。今でも、説得力はどちらも半々だったその二人の話を思い出す。 「自分のことを棚に上げなくては、批評なんて何もできない。忌憚なく話し合ってこそ進歩がある。」 「イヤ、口に出す前に自分にそれが言えるかどうか考えるべきだ。自分に厳しくしてこそ説得力がある。」 青くさく、責任なく、たいへんいいディベートだった。 あるキーワードによって導き出された記憶の断片である。 2月2日 寒中お見舞い申し上げます。 大雪お見舞い申し上げます。 寒いですね。天気予報を見ると今は日本中どこもかしこも寒いようです。今年は暖冬だとばかり思っていたので、油断してました。ホントの冬がやってきた感があります。 出不精になるし、あまりいいことはありませんが、唯一収穫は夜のニュースで見た「冠雪の金閣寺」の映像。きれいでした。欲を言えば雪の清水寺っていうのも見てみたかったです。
2005年1月のユーコさん勝手におしゃべり |
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