6月26日 夜、床に就き本を読み、本を閉じて目をとじる。完全な眠りに入る前のうつらうつらした頭で、ふと思い浮かんだことを考えている。昨晩のテーマはこれだった。 「はじめて地球(日本)に来た宇宙人に、頭髪とわき毛の違いを説明する。」 片方は恥ずかしくなくて、片方は多くの女性にとって存在すら恥ずかしい。これは何だ。その文化的本質は、と、延々考えていた。真剣になりすぎて、目も覚めてしまった。 思いつきを忘れないようにしようにとメモに書いて本に挿んでまた寝たが、うっかりこの紙を挿んだまま本を売ってしまうと恥ずかしいので、朝捨てました。しかし、忘れてしまうには惜しい気がして、ここに書いています。なんで夢うつつの時間帯って、あとで口に出すとふき出してしまうようなことを懸命に考えているのだろう。 6月22日 台風一過の晴天に、ムクゲの花がいっせいに咲いた。プランターで花いじりをしながら、口ずさんでいるのは、アンパンマンのうた。先日ふいに思い出してうたってみた。この歌を作った時、作者のやなせたかしさんは69歳となっていたことを思うと、この詩は痛い。 「何が君のしあわせ、何をしてよろこぶ わからないままおわる、そんなのはいやだ」 アニメの明るいテンポよりずっとスローにして、「わからないままおわる」の「おわる」と、「イヤダ」のところをスタッカートぎみにうたうと、この歌は子どもの歌じゃない。 うたいながらなぜか遠くをみてしまうのでした。 6月19日 カバーイラストがうちの店の外観の「古本屋五十年」(ちくま文庫)が発売されて、うちにも何人かお客様が買いに来てくださった。昨日来られた方は著者青木正美と同世代で、自分も何十年も毎日日記をつけていると言っていた。「自分史を書きなよと言われるけど、オレのケーケンや心情はみんなこの人の本に書いてあるからイインだ」と、『昭和少年懐古』を十数年来の愛読書にしているというその方は言った。「おんなじビンボーから立ち上がったからね」と千住から来たその人は他の本と一緒に『青春さまよい日記』『二十歳の日記』も買って行った。ちょうど本の発送作業に追われる時間帯で、おじさまの気持ちのいい下町弁をゆっくり聞くことができなかったのが悔やまれる。またいつか来てくださいね。 そんなことを思い出したら、先日その青木正美氏としゃべったことばが浮かんできた。北千住の話だった。 「今駅は、北千住と南千住だけだけど、昔は、その間にもうひとつ駅があったのよ。北千住の大踏み切りのあたりに中千住って駅がね。前にこのへんだなと思って行ってみたんだけど、跡地もなかったね。」 と言う。「千住と言う駅がないのになぜ北と南なのか」「千住1丁目にあるのになぜ北なのか」という話が以前TVでされていたけれど、昔は中千住があったという話を聞いて合点がいった。 「エエェ知らなかったです。こんどその場所教えてくださいよ。ぜひ行ってみたいです。」 と言ったけれど、本気度が足りなかったのか軽くあしらわれてしまった。 そしてその話につなげて、こう言っていた。 「オレより前の世代の人はもっと知ってるハズなんだ。ここらへんが今と全然違っていたこと。でもね、記憶はアテにならないもんなんだ。具体的な場所や時間はみんな忘れちゃってる。オレが言っても『そうだったかな』『そうだったかもしれない』ってね…。 オレは17歳の時にそれに気付いたんだ。15から日記をつけ始めたんだけど、記憶はアテにならない、書かなければ忘れたことはナカッタと同じだって、17の時に思ったんだ。それから、特に書くことのない日の日記には、日記をつける以前のこと、子供の頃の出来事をできる限り細かく書いた。ある時に、『14歳までのことで、もうこれ以上思い出せることはなにもない』って思うまでね。だから自分には何かある種の自信があるんだ。小さな世界だけど、子供の頃出合ったことは全部書いたってね。」 へえぇと感心して、ただ聞いていた。 「でもねぇ、資料にしようと思って調べても、量が多すぎて、この辺に書いたはずだと思ってもどうしてもそれが見つからないこともあるんだよねぇ。それは誤算だったな。年とったら見て振り返ろうと思ってたんだけど、物理的にムリだから。」 と笑った。 一緒に黙って笑いながら、私は、今度もう一度おねだりして、中千住駅の跡地あたりの昔の下町ツアーへ連れてってもらおうと、決心していた。 6月17日 朝少し時間があったので横になって本を読んだ。そのうち本を目の前に掲げ持ったまま眠ってしまった。目が覚めると姿勢は眠る前と同じだったが、夢をみていた。目が覚めた時には夢の内容をまだ覚えていて、「本読みながら寝たのに何で、全然違う夢をみるのだろう」などと考えていた。面白かったので書きとめようと思ったが、しばらく雑用をしてさて書こうとすると、何も覚えていない。「夢をみた」という感覚なく目覚めた時と同じに真っ白だ。夢をみたのに「こんな夢をみた」と報告する前に忘れてしまったという負の気持ちが残るばかりだ。何だか損した気がする。 夢をみて損した気がするのは、やはり本を読みながら寝てしまって、目が覚めると本はしおりも挿まず閉じてあり、読んだところから先の話は夢の中で勝手に作っていて、どこまでが読んだところで、どこから勝手に進めたところかわからない時だ。勝手に作ったお話は、眠っている間は何の不思議もなく進行していくが、起きるとどこかつじつまが合っていない。でも、その境い目が微妙でわからず、結局その日床に就く時に読み始めた所まで戻ったりする。別に一冊を早く読み終えたからとて何のごほうびがあるわけでもないが、やっぱり損した気がする。 6月7日 今日は目が覚めた時から雨降りで、時折雷も聞こえた。それが10時頃雨が上がったので、「今のうちに」と自転車でお使いに出た。買い物を済ませて帰る頃には、パッと日が射して気温も上がり、帰りがけついでに寄った菖蒲園の木道は急にあっためられて湯気が立っていた。お店に帰り花壇の脇に自転車をとめていると、目の前の時計草のつぼみが少し動いた気がした。「アレ」と思って見つめると、しっかりつぼんだ額が、「ポン」とひらいた。そして、見る間に花びらをひろげている。まるで教育テレビの微速度撮影ムービーを見ているようだ。 花壇が私にごほうびをくれた。 「ほうらね」と得意気にはじめての通信簿を渡す一年生、はじめてつくった必死の手作りビーズアクセサリーを母の日に差し出す小さな手、いろんなものが連想される、直径10センチ程の、花の開花の瞬間でした。 6月3日 「春になったら行こう」と早春の頃思っていた奥日光へ行ってきました。東北自動車道に入ると、目に入ってきたのは田んぼ。田植えをしたばかりの田に、しゃきんと背筋を伸ばして整列している稲の苗たち。田植え準備でトラクターが入っている田の輝く泥色。少し伸びて、もう地面が見えなくなっている田も並んでいて、これからの成長を思うとワクワクしてきます。 日頃、「生まれ変わるならイタリア人か中国人」と言っているけれど、この風景を見ると、「やっぱりお茶碗を持った日本人もいい」と思います。左手にお茶碗、右手にお箸を持って生まれてきたい、と。 車が高速をおりて、いろは坂を登ると、菜の花に似たあざやかな黄色の花とハルジョーンがひろがり、「春だ春だ」と心がさわぎます。ふもとから一ヵ月半ほど季節は逆行して、一台の車がまるでタイムマシーンのようでした。 奥日光に入り、いつも行く定食屋さんが開くまで旧イタリア大使館別荘でひと休み。レンゲつつじ大満開、クリンソウも満開でした。のんびりしすぎて定食屋さんに戻ったら既に満席で、外で待ちました。もう身動きできない、と思うほど食べて、さらに坂を上り、湯元まで—。湯の湖畔ではまだレンゲつつじはつぼみでした。「タイムマシン、タイムマシン」と呪文のようにとなえて、いおうの温泉につかり、ハルゼミの声で耳をいっぱいにして、帰ってきました。 初夏の東京から、春景色の奥日光へ行き、一日の旅で、また一季節分の元気をもらいました。
2004年5月のユーコさん勝手におしゃべり |
トップに戻る |