3月28日 数日前シーズンオフの堀切菖蒲園へ行った。時々見に行くが、冬の間は枯れがれとした菖蒲田があるばかりで寒々としていた。それが今回は、園の柵の外からも見える鮮やかな若緑色。シーズンが終わって枯れたような切り株となっていたものたちが、すっかり芽をふいていた。職員の方が4人、弱った株のところに新たな苗を植えている。菖蒲田の裏手では、常に多数の苗を育成しているそうだ。ポットから地に植えて次々名札を立てていた。菖蒲田から目を上げると、染井吉野がチラホラ咲いている。冬桜もまだ名残の花を咲かせていて、どちらの桜も、2・3分咲き。冬と春が、ちょうど同じくらいの均衡を保っている、貴重な一日を見せてもらった。 3月21日 気温がカーンと上ったかと思うとゴーンと下がり、 「何だか自分でもよくわからないの」 という恋愛初期の少女のような様子を呈しはじめた。こうして季節は振動しつつ、少しずつ振り幅を冬域から春域へ変えてくる。桜もチラホラ咲き始め、もう誰もが「春」と感じるところまで来た。 2週間くらい前まではまだ、春は、「期待される近い将来像」だった。終わってしまった冬を惜しみ、今年の冬の思い出を2つ。 ひとつめは、水かぶり事件。店を開け、いつものように私は店の前のプランターに水をまいた。高い位置にあるものには、じょうろに水を満たして、背伸びして、水をかける。店の横の道ではおばさまが2人、熱心に立ち話をしていた。私は水いっぱいのじょうろを持って両腕を上へ伸ばす。その時、何故かバランスを崩し、アッと言う間もなくじょうろの水をかぶってしまった。「冷たい」と思うよりも先に「恥ずかしっ」と「どうしよっ」が先に来た。恥ずかしいは、自分のマヌケ行為のために、で「どうしよう」は、水しぶきが、均一台の本にかかってやしないかの心配だった。髪と身をしぼるようにゆすり、雑巾とタオルを取りに店内へ。幸い本は無事だった。頭と服を軽く拭いて、ぬれてしまった店のドアを拭いた。店の前にできてしまった水たまりも、ほうきで掃きやった。 驚いたのは、そういう冬にもあるまじき騒動を1人でおこしている傍らで、店の横のおばさま2人の立ち話が、こちらに顔を向けるでもなく続けられていたことだ。いったい何の話をしているのだろうか。おそるべし噂話力。 もうひとつは、バリ古本屋話。私が店の前でひとり水をかぶっていた時、店主はバリにいた。9日間の休みをとり、例によってレンタルバイクを借りて、走り回っていた。土産話はいっぱいでいろいろ喋ったが、数日後、「そういえば、」と思い出したように話してくれた。 「バリにも古本屋があったぞ」 古本屋があれば入ってしまうのが、仕事柄ゆえのサガだ。 「観光客が置いていった本を、次の観光客用に適当な値段で並べて売ってるんだ。 フランス語、英語、ドイツ語は区別が付くらしく、区分されて棚に入っているんだが、韓国語と中国語と日本語は、違いがわからなくて、ごっっちゃになってるんだ。それで、オレが分けて棚を直してやったら、すっごいよろこんでくれたんだよ」 と言う。 「でも、何でバリまで来てオレは本の棚整理をしてるんだろう、と不思議な気がした」 ってさ。 ちっとも不思議じゃないゾ、と私は思った。 南国の、すっかり力の抜けた古本屋で、「この棚は許せない」とばかりに、本を詰めかえる店主の姿は、見ていなくても充分想像できるのだった。 3月14日 あじさいの新芽が力強く萌えています。3月のなかばとなり、春がズンズンと音をたててやってくるようです。モクレンが歌い、桃はすっかり終わりました。パンジーは勢いをつけ、ひらひらひらひら笑っています。 「あったかくなったらやろう」と人ごとのように考えていたことに、具体的な計画を立てねばなりません。そうしないと、今年もどこも行かず何もせずに、大好きな春が行き過ぎてしまうからです。とりあえず、お花見は月末に、横浜・鶴見の三ッ池公園へ行こうと思います。(この公園は池と、その周りの丘からなり、アップダウンがたくさんあります。)見上げても見下ろしても一面薄ピンクの世界にひたり、その後のことは、それから考えましょう。新緑の奥日光もいいな。 3月10日 食べれば元気になる。 ちょっと落ち込むことがあった。たまった疲れが身体中を覆うような気がして、力が出ない。「ああきたな」と思う。母親が以前二度ほどうつを患った経験があり、それを身近に見てきた。母の身体からりんかく線がなくなって、まわりの空気とまぜ合わさっていくような気がした。自尊心と共に存在感がなくなっていくのだろうか。「このまま死んでしまうのではないか」とずい分心配した。今は全快してエネルギッシュに暮らしているが、体質的に自分にも来るかもしれないと考え、自分の心の中を観察する癖がついている。 ふだんは食べることが好きなのに、作ろうとか口に入れようという気がしない。頭が痛い。このまま頭痛薬を飲んで寝てしまおうかと思ったが、「ダメダメ、食べなさい」と自分の中の自分が言う。食卓に食物を並べて、口に運び、味を感じて咀嚼する。機械的におなかはいっぱいになる。そして、心も少し落ち着く。「ああ食べることは重要だなあ」と単純な肉体の機構に感心して、昨夜は片付けは何もせずに寝る。 明けて今日、重い身体をおこしてドロドロ朝を過ごし、それでも食べようと、パンを一枚焼く。ハチミツトーストで力を出し、洗いものも片付ける。 「食べれば元気になる」 がんばれカラダ、がんばるなカラダ。自分を励ましたり、「励ましは一番のマイナス」といううつマニュアルを思い出して苦笑いしたりしている。昼食も食べたら、何か少し元気が出てきた。今これを書き、新しい仕事にも手をつける気になってきた。 食べること、書くこと、読むこと、どれもありがたいなぁと実感している。ふだんあたりまえと思っていることが、全て重なって偶然となって、私のまわりを構成している。自分の周囲に起こることは、「たまたま」だけれど必然だ。自分の環境がありがたいと思うのなら、たまたま起こった不幸も環境の一部なのだから受け入れなければならないのだな、と思った。 そして今、私は、元気です。 3月9日 広告が脅迫する春がやってきた。 新聞読みは私の趣味で、毎朝楽しみにしている。が、この時期ドサリと入る折り込み広告はちょっと怖い。のんびり一息つけるはずの春休みを前に、夥しい数の塾広告。地元の学校の名前を連ねて、「○○中学から○○高へ」「○○高校から○○大学へ」と商品見本が並ぶ。 「○○大学に入った人の2人に1人は当校から」「○○大生のうち○%は当校生」と各社が言うからには、○○大に入るには、複数の塾や通信講座をかけもちでやらねばならないのでしょう。 成人しても、男は頭髪を増やし体毛を減らせ、女は体重を減らしつつメリハリボディをつくれ、とめくってもめくっても広告だ。アレを食べろ、アレを着ろと迫ってくる。きれいな広告は、見ているだけで忙しい気持ちにさせられる。本誌を見ても、毎日、毎週、毎月それぞれそそるキャッチコピーを書き、記事を埋めなければならないテレビの人、雑誌関係の人たちもたいへんだろうなぁと思う。最近すてきなスローライフの情報も多いけれど、スローライフの記事を、締め切り前にラインに載せるために必死で原稿を書く人が裏におられるのでしょう。 各地で共産主義は崩壊し、ウィリアム・モリスのいうようなユートピアは築けないことが明らかになった。自由競争、資本主義とはそういうものだから仕方がないとは思いつつも、より目立たなければならない宿命の、ゴミとなる紙束たちがもったいない。「ゲームは自分が勝ったところでやめたい」と考える人の性が、どこかで歯止めが必要なのではという内なる声を、押さえ込んでいるのでしょうか。 3月3日 おだやかに晴れて、ひたすら乾燥した2月が終わり、少し湿った3月がやってきた。少しずつ雨の日があらわれ、春に向かう。今日よく行くパン屋さんへお昼を買いに行ったら、いちごサンドが出ていた。生クリームの中に切ったいちごが並んでいる。「春だ春だ」とひとつ購入。店を開け、コーヒーを入れて春を食べた。 自然に顔がほころぶのは、最近知った寺田寅彦のことばが浮かぶから。 「好きなもの、苺、珈琲、花、美人、 ふところ手して宇宙見物」 そうローマ字で書いた掛け物が東大の寺田氏の研究室に飾ってあったそうだ。好きなものが重なる人がいて、その人がまぁ手の届かないとっても偉い人だなんて、何とすてきなことでしょうか。 寺田寅彦の随筆5冊組の古い岩波文庫をひっぱり出して、読み始めた。 菜の花のことを、「ひばりの声を思わせるような強い香」とあって、ぜひ確かめたい衝動に駆られる。菜の花の香りといわれて、思い浮かばず、まだそれを知らなかったことに恥ずかしさとうれしさのダブルショックをうけた。
2004年2月のユーコさん勝手におしゃべり
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