『ユーコさん勝手におしゃべり』 バックナンバー目次

1月29日
 店番の席に座っていて、ふっと世の中の風を感じる時がある。人の興味の向く方向とでもいうような。
 今それは、松本清張。テレビでドラマが始まったことは新聞で知っていたが、見たことはなかった。自分にも影響はなかった。それが先日、松本清張の「砂の器」ないですかと尋ねる御婦人が来て文庫の棚に案内したのをきっかけに、少し扉があいたかんじで、そこから風が吹いてきた。初版本を求めて男性が来店し、数冊のご注文をいただく。一冊から、または、過去の読書の記憶から喚起されて、興味が拡がっていく。今まで読んだ記憶とかイメージが、年を経て新たに読むことで崩れたり新しく構築されたりすることがあるものだ。
 今、私の小さなブームは、遠藤周作。文庫の棚から何気なく「牧歌」を手にしたのがきっかけで、初期の頃の遠藤周作に魅き込まれた。「白い人黄色い人」「留学」…と系列の作品を読む手がとまらない。寝る前の読書タイム、暗い寝室で、彼の世界に入りこみ、自分の中に暗く重い、でも心地よいブームの風が吹いているのを感じる。

1月24日
 「人間は動いていないと腐る」と思っているらしい店主は、お気に入りの革鞄に半ズボンを入れて、タイへ行った。電車で座席に少しでも隙間があると、そこにムリムリお尻をつっこんでくる人の様に、間隙をぬって休みをとっているので、短い滞在期間である。それでも「旅の準備をしている時も旅のうち」と考えているようで、出発の10日くらい前から持ち物リストを作って少しずつ揃えていた。
 帽子専門店のトラヤへ行って、「パナマ帽はないですか」と聞いたが、「パナマは、まだ3月からですね」と言われてしまい、あきらめきれずに銀座を歩く。するとあるブランドショップがウィンドウを春夏バージョンにかえる準備をしていたそうで、そのレイアウト用に用意されていた帽子を、「それがほしい」と店の人に交渉して手に入れてきた。まだタグも何もついていない夏の布帽子を、たたんで鞄に入れ、愉しそうだった。
 レンタルバイクでプーケットを走り、怪しいものをたくさん食べて、おみやげ話をたずさえて帰ってくるだろう。
 私は、といえば、上司のいない職場を満喫して、今これを書いている。さぁ、仕事しよう。

1月18日
 先日、招待券をいただいたので、映画を観に行った。感動作とのふれ込みで、期待していた。銀座へ行き腹ごしらえもして、「イザ」とほぼ満員の映画館の座席についた。泣いた。確かに私は泣いた。ハンカチが手放せなかったし、隣の席の人もティッシュを何枚もとり出していた。
 でも、感動したかと問われれば、イイエだ。いい映画だったかと聞かれても首をたてにはふれない。泣きはした。それは泣くようにできていたから。「ああいう風にもっていかれれば、それは誰だって泣くでしょう。」が泣いた理由だ。「たたかれれば痛い」と同じ原理だ。
 もしかしたら私は映画に不感症なんじゃなかろうかと心配したが、好きな映画はあるし、今回の映画のどこが不満かも羅列することができるので、不感症ではないと思う。
 「泣く」ことと「感動する」ことは違うのよ、が、この映画を見て気付いたことだ。「泣いてください」「ハンカチが手放せません」と宣伝して、客が皆泣けば「ホラ感動大作でしょう」と胸を張るのは大間違いだ。観る方も、「泣いてストレスを解消したい」と割り切って行くのならいいが、「泣く=感動」と思い込んじゃったら、感動の大安売りになっちゃうよ。
 「何が、と問われても、よくわからないけど、とてもよかった」という作品をもっと自分の底に溜めていきたい。ずっと後になって「ああそうか」と気付くような感動を欲している。

1月9日
 今、街を歩く時のたのしみはボケの花。次々と咲く朱色の花が小さい頃から好きだった。暮れにお年賀用にと鉢植えを一つ選んだ。玄関に飾れる小さな鉢植えをと園芸屋さんに行き、目についたものは、ボケ、梅、金のなる木の3つ。どれももうすぐ開くつぼみをつけて贈り物には最適の状態だった。ボケは一番気に入っていたが、中年以上の人には贈りにくい名前だ。新年いきなり「ボケ」と書かれたネームプレートのついた鉢を渡すのは気がひけてやめた。金のなる木の薄いピンクの星型の花は素敵だったが、こちらは逆にネーミングがねらいすぎでやめた。結局枝ぶりも良かった梅に決めたが、名前って大切だよな、とボケに少し心を残しつつ店を後にした。以前、やはり今頃、盛んに花をつけるカランコエの鉢植えをプレゼント用に買ったことがある。本名はカランコエだと思うが、「頭のよくなる木」とネームプレートに書いてあったのだ。売るために業者がつけた別名だが、受験期に咲く花にぴったりで、思わず買ってしまった。丈夫な花で、中3だった贈り先の娘さんの部屋で彼女が20歳になった今も毎年咲いている。ボケにもうまい別名があればいいのになと思った。
 先日ラジオで、「ことばは多少乱れていても、生き生きしていればいい」と詩人の谷川俊太郎さんがおっしゃったと言っていた。それを聞いてすぐ思いたったことばがある。昨年の秋に、横浜に住む母と散歩していた時のことだ。横浜は坂が多い。少し歩くと丘にあたり、その日も、散歩の帰り「この山を越えて帰れば近道だよ」と母が言うので、坂を上った。住宅地の続く坂の頂上に近いところで、少し先の空間を指して母が言う。
 「あそこ、あそこはすごく眺めがいいのよ。晴れていれば富士山丸出しだよ。」
 エ…富士山丸出し—。一瞬絶句してから爆笑した。母お勧めの絶景ポイントにたどり着く前に足がふるえて歩けなくなるほど笑った。こんなに家が立ち並ぶところにありながら、たまたまパッと視界がひらけ、富士山がよく見える場所があるなんて、最初に見つけたときは感動したろう。「でも、富士山に『丸見え』や『丸出し』ってことばをつなげる人はいないと思うよ。それじゃまるで銭湯でのぞきをしているようだもの。富士山はわいせつ物じゃないんだから」と話しながら、私はこの人が好きだなぁと、しみじみ思った。

1月5日
 おととしの1月の最初のこの欄に、「パソコンに向かって年月日を打とうとするとだいたい2001と打っている。考える前に手が仕事をしてしまっているのですね。」と書いた。その次の年も「ああ、またやっちゃった。」と思った。そういう自分をかえて、今年は自分をしっかり者と呼んでやろうと決めた。何かしら自分に、「今年は2004年」とインプットするものがないかなあと考えていたら、夜の街に大きな2004が輝いていた。昨晩、横浜から東京へと車を走らせていたら、東京タワーの側面に、2004と大書してあった。年始サービスだろうか。
 「これだこれだ きれいだな 2004年は東京タワーでインプット」
 これで間違えることもない、ふふふ、と思っていたら、今日、今年初書きの伝票に12月と書いてしまった。年号はうまくいったのに、月のところに去年が残っていたとは…。12月はいっぱい書いたからな。
 習慣おそるべし。

2003年12月のユーコさん勝手におしゃべり
2003年11月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の「ユーコさん勝手におしゃべり」

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