ユーコさん勝手におしゃべり

12月20日
 12月8日に葛西臨海水族園へ行った。大きいまぐろの回遊から小さいトビハゼまで、半日水槽群を見て回った。
 まぐろ水槽の前で、「年末年始といえば大間のまぐろ、だよね。今年もがんばっているんだろうね」 と言いながら、まぐろ一本釣りの映像を見た。
 その朝駅前のやおやさんで青森のサンふじりんごを買った。青森は身近で美味しいところだった。
 堀切から葛西までは川沿いを海へ、自転車に乗って 移りゆく晩秋の景色を楽しみながら行った。たくさん自転車をこいで疲れたので、夜は早目に寝室に入り横になって本を読んでいた。
 カタカタと音がして、「地震?」と思った。道路一本はさんで線路がある駅前に住んでいるので、スカイライナーなどが通過すると家が揺れることがある。でもそれより揺れは長く続いた。地震と確信して報道を見ると、津波警報が発令されていた。
 眠れぬ一夜を過ごしてから1週間たち、後発地震注意情報は解除された。
 予測できない天変地異に不安は尽きないけれど、平穏な日々が戻ってきた。
 夕べはでたらめ鼻歌をうたいながら眠った。一日忙しく過ごして本を持って布団に入る。まぶたが重くなって活字を追えなくなると読書灯を消す。その時でたらめなメロディを鼻で歌っていることがある。無意識なのだが、気付くと口角も上がっていて、
 「私って、寝るのが好きなんだなぁ」 と思う。鼻歌をとめて顔筋を脱力して、気分よく眠りにつく。そういえば亡くなった母もよく、「寝るより楽はなかりけり」っていってたなあ。
 朝、「ああ、おもしろい夢だった」と思いながら起きることもある。目が覚める寸前、半覚醒の時にははっきりしていたのに、目覚めた瞬間に霧散して 見えていた世界がもう見えない。ありえないシチュエーションでも上手に話を転がしていたはずが、どう転がっていたのかすら覚えていない。ほんの断片だけが残っていて誰とも分かち合えない不思議な夢の世界。
 つかみきれない夢の話にモヤモヤしつつも、眠ったら起きて活動できることを幸運と納得して、朝食の支度にかかった。

12月3日
 「師走寒波がやってくる」と気象予報士が等圧線を指さした。
 飼いカメの本格的な冬眠時期になった。朝、自分の布団にくるまってもう何日も出てこない彼女を布団ごと外に出す。
 数日前から用意しておいた冬眠バケツには水を張った黒土が泥田状になっている。水と新しいさらさらの黒土を足し準備万端。
 各地で拾ってきた落ち葉のビニール袋を開くと、桜のいい香りがする。旅と地元の思い出がつまった桜にイチョウにモミジと椚だ。
 そっと布団をはいで外気に触れるとカメは 「えっ? えっ?」 ときょろきょろしたが、バケツに入れ、泥水と落葉に包まれると、すぐ静かになった。
 さいごに山梨・笛吹の八田家書院を見学に行った時いただいた無患子(ムクロジ)の実を入れてバケツの蓋をした。実の入った小袋に「子どもが病気をしませんようにというお守りです」と書いてあった。
 一日仕事をして、五時に郵便局へ行った帰り、空に浮かんだ大きな月に見惚れた。
 夏は七時まで明るかったのに、夏は遠くなった。
 空を見ていたら、昨日ニュージーランドのお客様に本を送ったことを思い出した。暗くなった空の向こう、冬の街から夏の国へ、税関を通り赤道を渡って、本は飛んでゆくんだな。
 

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