いざ

ユーコさん勝手におしゃべり

11月9日
 9月のような11月から、一気に11月並みの11月になった。「寒い」と感じる朝が来た。
 ところが、地面の下へは、寒さが急激には伝わらないようだ。
 先週、山梨の昇仙峡へ出かけた。秋空と渓谷が美しかったが、もみじはおおむねイキイキと緑だった。ほんのり紅く色づいた木のもとで、スマホやカメラを構えた人が撮影の順番待ちをしていた。
 道の駅でパンジーやビオラの苗を買った。寒暖差のある地域の花は、発色がいい。
 植え替えを楽しみにしているが、小庭のプランターには夏の花が勢いよく咲いていて、抜けない。買ってきた苗は予備棚に置き、「ちょっと待っててね」と水をやった。

11月2日
 10月最終日と11月1日、秋日和が続いた。
 小庭ではメスのショウリョウバッタが、キク科のガーデンマムを終焉の地と決め、葉の上でここ数日動かない。夏の間ずっと背負っていたオスは、秋になる前に姿を見なくなった。
 黒い小さなテントウムシが、日日草の叢の中で仕事をしている。今秋うちの小庭で生まれた子だ。
 朝晩冷え込むようになってきて、店主は店が終わると飼いカメを家の中へ連れてくる。もう来年30歳になるカメは、家の中の構造をすっかり認識していて、ぐるりと探検した後、自分の入るべきあったかい場所へ移動し、動かない。晴れた昼間は日向ぼっこに出るが、もう何も食べない。身体は冬眠に向かって調整中なのだ。
 夕べから降り出した雨が、今日も一日降り続く予報である。こんな天気の時思い出すのは、
 「テキヤ殺すにゃ刃物はいらぬ 雨の三日も降ればいい」 というセリフだ。
 20年位前、私は家庭教師の派遣会社に登録していた。そこで生徒として紹介されたのが、当時私よりはるか年上の女性だった。子ども二人を立派に育て上げたシングルマザーで、彼女の育った家の家業がテキヤさんだった。彼女自身、幼少期から20代まではバリバリの下町のテキヤ業をやっていて、口調が滑らかなうえに美人で、なかなか評判だったらしい。旅の仕事の時は学校を休まなくてはならず、勉強には縁が無かったのが、今になって後悔していると言っていた。
 ただ人生の経験値は抜群で、芸事もこなし絵も上手だった。テキヤさんとしての実績から、勧められて本も出した。そしたら、「勉強というものをしてみたい」という欲求がムクムクわいてきて、息子が中学生の時に依頼していた家庭教師会社に電話して、私に結びついたそうだ。
 彼女との授業は楽しかった。
 小中高の生徒の授業は経験があったが、大人相手は初めてである。教材指定も何もなく、派遣会社からは、
「適宜に選んで、実費を請求してください。」
 としか言われない。手掛かりは、「最初の電話の時、ファンタジーとメルヘンの違いは何かって、言ってました。」だけである。
 とりあえず、中学受験用の詩の本を買ってみた。緊張しながら彼女のもとへ行ったが、彼女の解答のユニークなことに、私の方がのめりこみ、あっという間に一日目が過ぎた。宿題も意欲的にこなし、週に一度の授業が待ち遠しい日々だった。彼女が病を得るまで、楽しいことばや、出会ったことのない知見をたくさんいただいた。
 「テキヤ殺すにゃ…」のセリフも、幼少期、雨で商売ができない日に、彼女の家につどっていたテキヤのおじさんたちのことばの一つである。
 今は昔の、まるで寅さんの世界だ。彼女を取材に来て記事にした朝日新聞の当時の下町担当の名物記者さんが亡くなったことを、先月新聞の訃報欄で知った。
 今日明日は、柴又で寅さんサミットが開かれるそうである。明日は予報通りすっきり晴れるといいな。
 

10月のユーコさん勝手におしゃべり
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