ユーコさん勝手におしゃべり |
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1月28日 上野の都美術館にアーツ&クラフツ展を見に行く。 ウィリアム・モリスをはじめて知ったのは、小野二郎先生の教室だった。大きな体で大きな顔で、たのしそうに喋る方だった。先生の崇拝するウィリアム・モリスにひきこまれ、『世界のかなたの森』の本を買い、週に一度の講義を楽しみにしていた。かたい社会思想の話の中でも、「牛さん」「馬さん」となぜか動物の名前は「さん」付けで呼び、うんと年上の男性ながら、かわいい印象もあった。それが、ある週突然授業が休講になり、大学の掲示板に訃報の紙が貼られた。楽しみにしていた授業のかわりに、四谷の聖イグナチオ教会で行われた葬儀に一人で出かけた。比較文学の講義の教室に知り合いはひとりもいなかったので、小野二郎氏を悼む心を語る相手も伝える術もなかった。受付の「学生」の列に並び香典をさし出すだけでおわってしまう孤独を、イグナチオ教会の広さとともに今でも忘れない。しばらくして、『大きな顔 小野二郎の人と仕事』という本が送られてきて、「これで本当におわりなんだ」と淋しさはいっそう深くなった。 小野二郎先生がいなくても、モリスをどこかで私は知ったかもしれないし、好きになったかもしれない。でも、ウィリアム・モリスの名は、私の中で小野先生の授業の思い出や、夫人との夕食中いきなりの心筋梗塞でいってしまわれたという死の風景と重なり、まるでモリスの壁紙のような深く明るくからまりあった大きなかたまりになっている。 今回の展示で、モリスの手になる刺繍のクッションカバーがあった。「あ」と声がでそうになった。授業で小野氏が、「これから僕の趣味は刺繍だよ」「イスに座って休日は刺繍をする。君たちは刺繍なんて女性のものと思うかもしらんが、刺繍は男の趣味だよ」とおっしゃっていたのを思い出したから。 講義の全体は覚えていないのに、ささいな言動やしぐさは忘れないものだ。 今まで好きだったものは、これからもずっと好きだろう。そういうものがあることに、そしてそれを教えてくれた人にも感謝する。 線引きや書き込みでいっぱいの『世界のかなたの森』は、これからも私の書棚に鎮座する。 美術館の帰り、不忍池の方におりると、五條天神社の紅梅の芳香が、すばらしくひろがっていた。 1月25日 22日木曜日は朝から雨だった。雨の休日は美術館めぐりにちょうど良い。 午前中は、地元葛飾区郷土と天文の博物館へ「花の宴・堀切の夢」展を見に行く。それから電車で上野へ出て、腹ごしらえしてから国立博物館でたっぷり時を過ごす。「妙心寺展」と常設展を見たらもうくたくた。「福澤諭吉展」はまた次の機会に回すことにした。国立博物館はさすがに広い。 妙心寺展は、ちょうど木曜日に禅トークという企画があり禅僧のおはなしが聞ける。この日のテーマは「日々是好日」だった。今まで「ひびこれこうじつ」と読んで、「けっこう気楽にたのしくやってます」風に使っていた。昔、久しぶりに会った友人に「最近どう?」と聞かれて、何と答えていいかわからず、「十年一日。」と言ったら、「十年後もそう言ってそう」と笑われた。自分の中では、その「十年一日」と同じくくりにあった「日々是好日」が、「にちにちこれこうにち」となってあらわれ、果たしてそれは自己中心的な考えを廃したところにあることばであった。全身全霊自己中心的であった我が身を、反省いたしました。そのトークの後、虎や龍の絵を見てすぐ気を取り直し、通常展を見る頃にはいつもの私となる。 いっしょに行った店主が、国際子ども図書館の企画展「童画の世界」も見たいというので、足をのばす。企画展をみた後、2階の資料室へ行き、そこで大きな出合いがあった。特に目的もなく目を楽しませていると、店主が「この本見て。すごいいいよ」と言う。"L'ultima spiaggia"というイタリアの絵本で、一ページずつ絵の力に引き込まれていくのだが、いかんせんイタリア語なのでストーリーはわからない。よくわからないが、すこぶるおもしろい。画家の名前はRoberto Innocenti(ロベルト・インノチェンティ)、図書館員の方に他の本も出していただくが"L'ultima spiaggia"が一番だった。 カラー絵本の中でただ一人白黒だった人が、カラーになったとたんに逮捕される。旅人あり人魚あり海賊船長あり、崖あり海あり飛行機に車に…。 どこか日本語版を出してくれる出版社があれば、すぐ購入します。ぜひ読んでみたいものです。 今週は、東京都美術館「アーツ&クラフツ展」でまた上野へ行きます。実は今はこれが何より楽しみです。久しぶりにウィリアム・モリスが見られると、今からワクワクしています。ご報告は、また後日。 1月19日 ことしの冬はめっぽう寒い。が、時々、日ざしのあたたかい日があらわれるようになった。先日は、近所の民家の梅の木にひよどりが遊びに来ていた。自転車で買い物に行く途中だったが、自転車をとめて、大きな体で梅の枝の間をくぐって跳ぶひよどりを、しばし楽しんだ。 水仙や梅は、一年の花カレンダーのさきがけだ。派手ではないが、そういった花々をきっかけに次々と今年も暦がめくれていくと思うと、たいへんありがたい花だ。香りも、いい。 花の記憶は、幼時の記憶と重なる。子どもの頃、庭には花や実のつく木が少しずつ多種植えてあった。その頃は別に楽しみとも思わなかったが、自然とそんなことが今の私をつくっているのだろう。 家人が、根津神社の赤い鳥居の連なりを写真に撮りに出かけた。幼い頃よく祖母に、上野浅草方面へ散歩に連れて行ってもらった。その時は何故だか風景を「こわい」と感じた。大人になってから幼時のぼんやりしたおそれの記憶を追体験したいのだという。 人はみな、それぞれ違うそれぞれの要素の重なりでできている。 先週、実家の地元でチェーン展開している新刊書店へ行った。そこで買った本を今寝室で読んでいる。そこの包装紙の色合いが枕元で目に入る。学生時代の自分の本棚、小さいながら自分の宇宙だった本棚を思い出した。 未来の自分がこうして古本屋のはしくれの片隅にいることなど考えもしなかった頃にもう、古本屋に向かって私はつくられていたのかもしれない。 1月5日 みなさんもう2009年、平成21年には慣れましたか。 私は年末から「気をつけよう 気をつけよう」と念じていたのに、やはりなかなか慣れません。パソコンに向かうと指が勝手に2008と打っていて、「どうだ仕事したぞ」というのですが、そのたびに指に「2009だから」といいきかせて打ちなおします。 今年最初の伝票に12と書いてあわてて1月と書き直しました。毎年何度同じことをしたでしょうか。 「毎日新鮮な気持ちで朝を迎えよう」などと意気込んでいても、昨日の記憶があるから人間なので、一年間つちかった習慣はなかなか一朝一夕ではなくなりません。 そしていつもここにこういうことを書いて自分を戒めることをきっかけに、新しい年に入っていけるのだと気付きました。もう大丈夫。おかげで、2009年に順応できます。 1月2日 あけましておめでとうございます。 「去年今年 貫く 棒の如きもの」を信条としているつもりでも、やはりおとといは、小さなことでも何かやるたびに「今年最後の○○だ」と思ってしまいました。節・節を守ってきた土着のDNAがあるのでしょうか。 明けて1月1日、在住の東京・葛飾から実家の横浜まで車で移動しました。よく晴れた空、橋を渡るたびにビルの合間から、海から、富士山が見えます。今年は雪が多く真っ白に輝いています。何度も何度も消えてはあらわれる富士山とともに2009年の朝がはじまりました。 本年も、お客様のもとへ、一冊一冊を大切に届けてゆきたいと思います。 変わらぬご愛顧を よろしくお願いします。 12月のユーコさん勝手におしゃべり |