ユーコさん勝手におしゃべり

12月22日
 もうすぐクリスマスがやってくる。
 テレビは今日も電気をありたけともした街をうつし出す。それも一面楽しいけれど、クリスマスはイルミネーションのためにあるのでも、モミの木のためにあるのでもなかろうと思う。
 昨日、宗教論の棚から、キリスト教系の本をアップした。ご注文いただき、今日発送メールを出したお客さまからの返信に、「自分へのいいクリスマスプレゼントになります。」と書いてあり、うれしかった。
 静かなホントのクリスマスに、おめでとう、そしてありがとう。

12月17日
 来年のカレンダーを目にする頃になった。
毎年、おしゃれではないが予定を書き込めるカレンダーを重宝している。今年も同じものを同じ方からいただいた。その次の日、店主が出合い頭に
 「めくったら使えるようにしといたよ」 と言うから、何のことかと思ったら、カレンダーだった。今年の12月の後ろに1月からの分が壁にかかっていた。
 不況のことや新型ウィルスの情報ばかりがマスコミを乱舞している中で、カレンダーが、来年も時が続くことへの安心を担保しているように感じた。
 今年の暮れも座右の銘として、この句を掲げたいと思う。
   去年今年 貫く 棒の如きもの      -高濱虚子-

12月6日
 寒風の候となり、ミニチューリップの芽も出そろった。
 今朝外に出ると、水槽のカメが手足を出して無防備に眠っていた。とうとう冬眠の時がきたかと冬眠用の小さい水槽を出して土と落ち葉を入れた。しかし、作業をしている間に陽が射し、カメはムックリ顔を出した。こちらを向きひなたぼっこの体勢をとっている。
 「いつでも寝れるからね」
と声をかけて、したくの出来た冬眠用水槽だけをまた日陰にしまった。

12月5日
 夢をみた。朝方夢を見ていることを意識しながら目が覚めた。
 場所は古本屋で、たぶんうちの店だ。私は一人で梱包された本の箱を開けている。箱はいくつも並んでいる。ダンボールをあけると、一箱に一冊くらいずつ特徴のある本があり、同じシリーズらしいその本だけを抜き出して集めている。少し大判の一冊を開くと、小さな白いキノコがポロポロ床に落ちた。ちょうどエノキダケの頭くらいの形と大きさだ。そして小さなキノコのひとつひとつが床についたとたんに飛び魚になってピンピンとはねて跳んでゆく。白い表紙のそのシリーズの本はどれも開くと同じことがおきる。
 飛び魚になった時に床が濡れてしまうので私は大きなバットを床に置いて、その上で本を開くことにした。キノコが出てきて飛び魚になる本だけを集めると、段ボール一箱分になった。夢の中で私はその一箱を一万円と査定した。どこかからの買い入れだったのだろうか…夢だからわからない。一箱あつめて一万円、高いのか安いのかもわからない。
 思い出すとおかしくて、ひとりでくつくつ笑っていると、店主にけげんな顔をされたので、「ヘンな夢をみたの」と夢の話をした。店主は
 「そんな本見たことないから、一千万円でも安い」 と言う。
一笑に付されるかと思ったら、夢の話なのに、「もし市場に出たら…」と現実のように反応している。
 すると私は更に考える。あの飛び魚になる現象は、本を開くたびにおきるのか、一度きりなのかわからない。もし一度きりなら、検証のために私がすでに一冊残らずやってしまったのでもう見られないはずだ。大変なことをした…。そしてもし開くたびにおこるのなら、飛び魚のゆくえは…。
 一日中、そのことが頭から離れなかった。たぶん明日も考えてしまうに違いない、インパクトのある夢だった。

12月4日
 好天。店主が「そばが食べたい」というので、昼前にそば喰い旅に出る。といっても往復小一時間の自転車旅だ。
 まずは店から堀切菖蒲園へ向かう。雪吊りの松の木の向うに冬桜が咲いている。今は何もない菖蒲田の向うに、冬囲いされた牡丹がつぼみを持っている。菖蒲園を出て荒川土手を渡り、隅田川を渡る。隅田川沿いを少し走り、銀杏並木・桜並木と紅葉ロードを通って南千住のそば屋へ入る。
 気のおけないそば屋で大もりそばを食べて、また川を渡って店に戻る。
 「庶民のしあわせっていやぁ、こんなもんだね」
と、行き帰りと店で耳にした下町口調が、ここちよく体の中で再生される。

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