ユーコさん勝手におしゃべり

8月29日
 夏がゆく。
 あんなにうるさかった朝のカラスの鳴き交わしがなくなり、セミの声にかわった。それも束の間、朝目がさめるほどのセミしぐれは、もうない。今年、夏がいってしまうのを最初に感じさせたのは、音だった。
 先日は、店の前の土手で猫たちの恋鳴きがやかましくはじまった。暑さも峠を越えたので、子作りに励もうというのか。最近よくテレビで動物のことばがわかる人というのを見るけれど、彼女をこの場に立たせたらきっと赤面してしまうにちがいない。あまりにあからさまな猫の愛の表現—。
 今年の夏は短かった。避暑する暇もなく過ぎる夏を惜しんで、奥日光へ行ってきた。毎年何度も足を運ぶ奥日光だけれど、はじまってもう12年にもなるという森のコンサートなるものを拝聴したことがなく、今回はそれが目的のひとつだった。幸い好天に恵まれて、金精峠から切刈湖までハイキングを楽しんだ。5時に湯の湖に戻り、朝中禅寺湖のお気に入りのパン屋さんで買い込んだデニッシュやくるみパンを食べていると、さっと雨が降った。見上げると、金精峠側の山の木々の間から空に向かって大きな虹がでている。こんな大きな虹を、はじめからおわりまできれいな半円で見たのは、初めてかもしれない。第一東京にはこんな大きな空がないもの。好天、通り雨、虹、と夏のなごりのフルコースをいただいた。
 いおうの温泉にゆっくりつかり、暗くなってから光徳まで山を下りる。奥日光森のコンサート最終夜は、アストリアホテルのロビーでフルートのデュオとピアノのコンサートでした。
 今年の夏よ ごちそうさま。また秋に、新しい顔でお会いしましょう。

8月14日
 お盆に入り、都内の車通りがスムーズになった。店主が空を見て、
 「夏の雲だ、きれいな空だな。山の雲みたいだ。東京の空にあるのはもったいないよ、誰も空なんか見ないのに。」 と言った。
 輝く空にきれいな白い雲が浮かんでいた。盆と正月は、東京の空気も捨てたもんじゃない。
 店主のことばといえば、先日おもしろいことを言ったのでメモしておいた。食後満腹時のことばだ。
 「食べて寝るっていいよねぇ。
 なんで昔の人は『食べて寝ると牛になる』なんて言ったんだろう。いったいそんな人いたんだろうか。」
 いなかったと思いますけど…。 真剣に言われるといろいろと想像してしまいます。

8月4日
 念力の ゆるめば死ぬる  大暑かな
                  村上鬼城

 暑中お見舞い申し上げます。例年より梅雨明けが10日遅れてやってきてそれに遅れること数日で、急に暑くなりました。この句は、春からいいなぁと思っていて、暑中見舞いにはこれを使おうとずっと時期を待っていました。しかし今年はこんな気分になることもなく、お蔵入りかと考えていたら、季節は少し遅れてやってきました。この句を唱えながら銀行までお使いに行き、クーラーのきいた店舗に帰ってきてこれを書いています。季節にぴったりのことばを掴んだ時の詩人の快哉が伝わるようです。ありがたく気分のおこぼれを使わせていただきます。

8月1日
 香りと味の記憶は、簡単に数十年の時を通り抜ける。昨日今日、いわき小名浜・北茨城と太平洋側海の旅をして、今朝、ホテルのロビーでコーヒーをいただいた。
 懐かしい香り、そして一口含むと高校生の自分がやってきた。文化祭でコーヒー好きの友人がひらいた喫茶店のコーヒーの香りがする。はじめてサイフォンセットを買った16歳、豆を挽いてもらった駅前のコーヒー屋さん。それから数年、大学生の頃、神田の街の二階のコーヒー店。小さな器の濃いめのコーヒーに、三つの記憶がたちまちやってきた。
 今も毎日コーヒーをいれるけれど、自分でいれるのは、薄めでグビッと飲めるお仕事の合間コーヒーだ。
 数年前、お店にいらっしゃったお客様にコーヒーを出した。その方がコーヒーのうんちくを語っておられたのを知っていたのに、ついうっかりいつも自分で飲む式の軽いコーヒーをいれてしまった。恐縮する私に
 「おいしいですよ。コーヒーって、人に淹れてもらうと、いつでもおいしいんですよ。」
 と言ってくれた。そのうち自分のコーヒー店を開き、その時店に飾りたいからと、好きな作家の詩稿をお求めになった。よく合う額も探しておかないとと、近い将来を語った。
 店はもうはじまったでしょうか。一杯のコーヒーが、記憶と想像を呼んでくれる。

2006年7月のユーコさん勝手におしゃべり
2006年6月のユーコさん勝手におしゃべり
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