10月30日 雨天休業。上野の国立博物館に中国国宝展を見に行く。雨にもかかわらず多くの人、そしてメモをとる人もたくさんいた。こんなに勉強好きの人がいるなら日本も安泰だと思った。展示の内容がら、お年を召した方や外国人が多く見られる。前半の考古学出土品のコーナーは混雑していたが、後半の仏教美術のほうは比較的ゆったり見られた。後ろの方から子どもの「アーア」というため息が聞こえた。見ると小学校低学年位の男の子がいた。「連れてこられても、そりゃあ飽きちゃうよな」と同情していたら、その子が高い声で「馬頭観音もあるよぉ」と言った。 後ろにいた祖母らしき方が、「日本で見たのは、これをうつしたもので、これが本物よ。何の石でできているのかしらねぇ」と言う。 その子が隣のガラスケースを指して、「あ、観音菩薩坐像もある」と子どもらしい高い声を出す。子どもは子どもと類型的に見てはいけないのだ。世の中にはいろんな子がいるのだった。興味をひかれ、しばらくその子の言動を追って後をついていった。「すごい金色に輝いているねぇ」という発言は、それだけをきくと子どもらしい感想だけれど、熱心に見ているその子にインプットされているものは、きっと私が思うより深いのだろう。その子の言ったことを覚えておこうとこうしてメモしているうちに見失ってしまった。最後までついていきたかったなぁ。 趣味ある人の人生は深い。 10月29日 店の私の机の上に柱時計がある。外の道路からよく見える位置だ。このところ毎朝これを見る。 「今日は動いている」 とホッとする。 新潟に地震がきてから一週間がたった。店の時計は古い振り子時計で地震がくるととまる。23日の夕刻は、こちらでも震度4となり時計がとまった。揺れがおさまってしばらくたち時計を直した直後、また揺れて振り子がとまった。そんなことを3・4回繰り返し、その晩はもう時計を直すのをやめた。テレビをつけると、新潟の惨状が写され、地震発生を知らせる新潟放送のスタジオが更なる余震で揺れていた。「今、揺れています」のアナウンサーの声に呼応するように、東京の地面も数秒遅れて揺れた。本棚から本が少しにじり出たのを直してまわった。 時計は次の日からまた動かしたが、翌々朝10時45分ごろにまたとまった。その時刻新潟は震度6弱の余震にみまわれたらしい。 美しい山河が崩れ、次々流れる状況に胸がつぶれる思いだ。 プランターに水をやる。次の春が前年と同じようにこのプランターに訪れると確信しているからだ。 「でも本当にそうですか」と自分に聞く。答えはどこからも返ってこない。 何だか、今年の後半は時の過ぎるのが早かった。空の様子ばかり見て過ごしているような気がする。 10月23日 やっとやって来た秋晴れに、久々にプランターの手入れをする。ムスカリタワーの芽が出てる。ハリガネの網を円錐形に丸めムスカリ球根・土・球根・土と埋め込んで、プランターの上にポンとのっけた。4月に青いムスカリ山ができる予定—。16コの球根のうち14コの芽がニョキニョキ出て来た。楽しみだなあ。 雨が続くと水やりも不要でプランターは手がかからない。ひたすら成長を待つばかりの晩秋だ。 10月20日 ものすごい雨! まるでビルを丸ごと食器洗い機の中に入れて洗っているような大きな水音。カミナリも鳴ってメールの通信もやめた。夕方前、小雨のうちに郵便局へ行ったけれど、夜のニュースで次々高速道路の通行止めが報道されているので、また少し配達が遅れるだろう。安全第一でお願いしますと祈るばかりだ。 まだ、次の台風も用意されているらしい。 台風お見舞い申し上げます。みなさんどうかご無事で。 10月13日 今朝、上野まで車で買い物に行った。途中、道が浅草に近づくと、土手際に無人のツアーバスが何台も駐車している。その中の一台をふと見上げると、座席の背もたれに日本の地図が広げてかけてあった。外国製の日本地図、バスの中は外国だった。遠くて文字までは見えなくても、その紙質や色づかいがちがう。たぶん今まで広げていたのだから東京の地図なんだろう。外国でお菓子のパッケージをみる時のワクワクした感じが甦る。紙の手ざわりや文字の並べ方で、違う国に来たんだと実感する。東京の地図が新鮮に見えてきた。 そして、車が浅草に入ると、おまんじゅう屋さんのガラスに、「…熱烈歓迎、外国人間大人気特産品…」という手書きの口上が貼ってある。あの手この手のジャパン・アピールだ。何だか自分もツアーバスでやってきた異邦人になった気分で、車をとめて浅草を歩きたくなった。 10月6日 何日か雨が続いた。雨が上がって外に出ると、街中がきんもくせいであふれかえっていた。おどろいた。その強い香りで、雨の前には気にもとめなかった生垣やよそのお宅の庭先が、足を止めてその木の所在を確認せずにはいられない地点に変っている。アレ、と思って振り返ると必ずオレンジ色の和菓子細工のような花群がある。沈丁花ときんもくせい、キャラがかぶらないように春と秋に上手に住み分けている。 週末はまた台風が来るそうだ。この貴重な秋晴れの合間に、プランターに来春をしかけなければ。チューリップとムスカリの球根を買いに走ろう。 10月2日 今日店を開けていたら、お母さんに手をひかれた小さな女の子が上を向いて、「電車がおならしてる」と言った。うちの店は道を隔てて、駅の高架ホームの前にある。頭上に駅に入ってくる電車のブレーキ音が聞こえる。「プシューッ」 なるほど。女の子の反応にこたえるように電車がも一度プシューっといった。親子連れが通り過ぎたあと、私は女の子の後ろ姿にむかって拍手した。子どもの高い声とその言葉は時に宝物だ。いつもいつも相手をしていると感じないんだろうけれど、そんなにつまらなそうな顔で対応しないで、あのお母さんにももっと楽しんでもらいたかったな。 子どもの語彙はどんどん増えてしまう。いつの間にか、常識を身体にいっぱいつめこんで、あなたに通じる言葉しか話さなくなる。その時、つたないことば数で、何とか自分の回りの全てを表現しようとした頃のこと、きっと懐かしくなる。そして対等にケンカなんかふっかけてきても、その頃のことたくさん覚えていれば、反撃は簡単だよ、きっと。
2004年9月のユーコさん勝手におしゃべり
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