12月28日 店主の出身高校の同窓会報が来た。多くの郵便物から仕分けして「これは いらない」の方に入っていたので、私が開封して覗き見た。活字好きなので見ないで捨てるのが惜しかったのだ。店主の出身校は普通科商業科工業科からなる私立学校だ。知らない人名や会社名が羅列されるばかりの会報の中で、ひとつ気になる記事があった。 「昭和24年卒クラス会」の題でおじさんたちの集合記念写真がある。「昭和19年に入学し、機械系二組と航空科があり、終戦後クラスの再編に伴い航空科がなくなり三クラス合併し機械科になりました。」とある。「戦災で人数が減る。」の一文も入っている。入学は一緒だったが、卒業時は、旧制工業卒、新制高校卒と分かれたと書いてある。普通科に移ったものもあり、とも。 今日は天気が良かった。店を開ける前に荒川土手の景色を見た。堀切橋からはくっきり富士山が見え、整備された土手ではサッカー少年たちがボールと共に右へ左へと走り、野球グラウンドにも多くの青少年たちが素振りをしたり走りこんだりしていた。平和だった。この国の将来が不安だという重く暗い空気がひろがっているが、今日のこの景色を見る限りは、この子たちの荷う将来は、そう暗いものではないだろうという気がしていた。 でも、戦争は確かにあったのだ、とこの同窓会報記事が知らせてくれた。過去にあったものはこれからもあるかもしれないのだ。航空機が好きで航空科にいた少年たちの突然の進路の断絶はどんなだったろう。学友が次々と減り、3クラスが1クラスですんでしまう状況や、そのクラスメートが、選択を迫られてバラバラになってしまう状態を考えた。まるでドラマだ。脚本家なら、その中のどの一人をとってもドラマを一本書けるだろうと思うような。それが現実にあった。それが現実であったことを忘れてはならない、と、心に刻んだ。 12月27日 先日開店からしばらくして、店頭の均一台の本を一冊手にした御婦人が店番の机に本を出して、「これ、200円でいいの?」と聞かれる。店主が「ハイ」というと、 「200円じゃ悪いみたいね。この店を開けてるだけでも大変だろうに、200円で売ったんじゃ合わないでしょ」とおっしゃる。 ちょっと困惑している店主を尻目に、「袋はいらないわよ」と同情気味に言われて、お店を後にした。お客様が去られた後、しばらく沈黙があった。 「店内の本はそれなりの値段が付いていることはきっと知らないんでしょうね」と私が口を開く。 店内の本は、それなりの、まぁそこそこ生活してしてゆける位の値段が付いている。しかし、高い本イコール良書というわけではないのだから、店内の本に興味のない人がいても何の不思議もない。 名だたる作家の立派な装丁の個人全集は、作品本篇の方は、均一台に一冊200円で積み上げられ、日記とか補遺の巻だけが店内に置かれる。作家が後世に残したいと思った作品は思惑通りよく読まれ、よく売れた。結果として古本屋では安いが、だから価値がないわけではない。まず、均一なり文庫なりで読んで、どうしても興味をひかれ、書いたのはどんな人か知りたいと思ったときだけ資料編のほうを読めばいい。 均一台には、仏教雑誌大法輪のバックナンバーも一冊100円で並んでいる。「これなかなかいいこと書いてあるのよ」とまとめて買っていく人もいる。「難解な宗教書のほうがえらい」なんてことは全然ない。 本の値段と価値について、しばし考える。結論はない。そろそろ私の個人的に買って読んだ本も寝室の脇に積み上がってきた。整理して処分せねばなるまい。殆んどは均一台に乗せられ、ほんの数冊、店の書棚に入るだろう。 12月21日 先日、お店に作家の嵐山光三郎さんとお連れ数人のお客様がいらっしゃった。店主が何気なく聞くと、「古書店めぐりの会の集まりですよ」と言われた。小説すばるの「ニッポン古書店散歩」の最終回の取材も兼ねているそうだ。ふぅん、じゃ下町地区古書店の巻かな、と思いながら、嵐山さんと店主がここらあたり(葛飾区)の古本屋の話などしているのを聞いていた。そして、ちょっとわくわくしながら「小説すばる」1月号の発売を待ち、買って開いて、うれしびっくり。表題が『堀切菖蒲園の青木書店』だった。わぉ。 9月に、店のドアノブを店主自ら工作し、革装の本にかえた時、「誰か取材に来ないかな」なんてこのページに書いた。それを見たわけではないけれど、独り言も言っておくものだ。きっと誰か天の神様が聞いてくださったんだろう。 店のドアノブは、関心のない方が多いのか思ったより薄い反響だった。数人の方に声をかけていただいたが、一番うれしかったのは、とりかえて2・3日目のことだった。いつも店番の机まで届けてくれる新聞配達員の方が、夕刊を手渡しながら、「何か、あっちに本がはさまっちゃってますよ」と入り口のほうを指して教えてくれたのだ。「あら、大変」と配達員さんとドアに向かうと、くだんの革装本が。 「あそこあそこ…アレ?」 「ああ、ドアノブをね、かえたんですよ。」 「あ、これでいいんですね。ドアにはさまっちゃってるのかと思った。」 「フフ… ホントの本でつくってみたんですよ」 と会話を交わした。内心とてもうれしかったのを覚えている。今でも思い出すくらいだから。 小説すばる「古書店散歩」でもドアノブのことに触れてもらっていて、何だか年末に良いプレゼントをもらった気がした。 12月17日 店主が「どこか行きたいなぁ」と言う。 本の梱包作業の手をとめずに、「行けばいいじゃないですか」と答える。 「う〜ん」と、やはり仕事の手はとめずに考えている。 「でも…」とことばを切って私が言う、「どこか行きたいなんて言ってるうちはどこへも行けませんね。目的がないと-。どこどこへ行きたいとなれば、調べたり、日程たてたり手配したりするエネルギーもわくけど、どこかへ行きたいとか何かやりたいなんて言ってるうちはどこへも行かないし何もやれませんよね、きっと。行きたいところややりたいことがあったら、何も言わずに勝手に行っちゃってますから。」 「そ、だな。」で、話は終わった。 そう空腹でもないけれど口がさみしい時、「何か食べたい」とリクエストされると、一番困る。「○○が食べたい」となればそれを作ればいいけれど、「何か」食べたい状態の時は、「○○ならあるよ」とそこにあるものを提示してもたいてい「それじゃない」と却下されるからだ。 「何か」なんて「どこか」なんて何もない。 日々の欲求不満がふわっとたまって風船のようなかたまりとなって、とらえようもなくぷかぷかうかんでいるようなものだ。 12月5日 今朝テレビを見ていたら、明日から公開の映画「ラストサムライ」の話題が出ていた。アメリカ人監督がインタビューに答え、アップの顔の下に日本語のテロップが出ている。「(渡辺)謙の演技は…」と二段組みで文字が出る。このテレビを本人が見たら、自分の喋っていることがこんなにムズカシイ字になっていることに驚くだろうと思った。"Ken's action"が「謙の演技」となる。日本語ネイティブなら小学生でも読みこなすテロップの文字の字画の多さよ。 アルファベットやアラビア文字は字画が少ない。難しいことを言ったり書いたりする時も、使う文字はかわらない。単語をつなげて長くしたり、字数の多い単語を多用しても、文字自体はかわらない。日本語だと、難しいことをいうときは難しい字を使う。漢字を羅列して熟語を多用し、難しく語るほど文字数は少なくなる。 普段「読む」意識もなく眺めるように読んでいるテロップに興味をひかれたら、何気なく使っている日本文の文字が特殊なものに思えてきた。テレビを消して新聞を手にしたら、一面の「襲撃」という文字が、新聞からおどり出て自分を襲ってきそうな気がしてきた。 12月4日 寒くなってきてあったかいくつ下、あったかい下着に手が伸びる今日この頃です。そして一日の終わりにはお風呂で手足を伸ばす。お風呂の出窓に入浴剤を並べて、毎日「どれにしようななぁ」と色と香を選んでいる。湯舟の中で、入浴剤がジュワジュワ溶け、湯気がもうもうと立ち込めて、ホッとするひとときです。昨晩も、サクラ色の湯舟の中でしあわせをかみしめました。そしてふと洗い場に目を向けると、湯気の立ち込める密室の敵が出現している。「明日掃除しなきゃなぁ」と一発必勝のカビ滅却スプレーに目を転ずる。すると何と、必殺のカビとりスプレーにうっすら黒いものが。灯台下暗し、医者の無養生、自分で自分にはスプレーできないものねぇ。まずカビとりスプレーからきれいにしなきゃ。 2003年11月のユーコさん勝手におしゃべり 2003年10月のユーコさん勝手におしゃべり それ以前の「ユーコさん勝手におしゃべり」 |
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