ユーコさん勝手におしゃべり

8月30日
 カメの秋は早い。
 ひたすら爆食していた盛夏を経て、10日ほど前から
「今日はいらない」と水にもぐったままの朝がある。たくさん食べたり、食べなかったり、カメの食欲が秋に向かっている。
 うつむいて酷いばかりの残暑とたたかっているうちに、空は高くなっていた。今日は食べないな、と思った日、見上げるとひつじ雲が拡がっていた。
 衰えを見せ始めた夏の花壇に、「も少しガンバレ」と水を撒く。ホースで水をやりながら、終わった花や枯れた葉を摘み取ってゆく。
 ヤシの繊維のハンギングプランターについた枯葉を取ろうと手を伸ばした時、違和感を感じ、じっと見ると、葉と思ったものは羽で、ふっくらとした身体にオレンジ色の筋模様がついている。いったん店に入ってスマホで撮影して、蝶にかからないようにそっと水をやる。
 わくわくしながら検索すると、スズメガだった。パソコンの「コスズメ」の画像がぴったりだ。
 今まで見たことがなかったのに何でうちに来たんだろうと考えると、思い当たるのはただひとつ。去年の秋、横浜の県立四季の森公園へ行った時、つりふね草に出会ったのだ。ピンクの可愛い花が咲き、果実に触れるとパチンと中から種が飛び出てくる。種皮ごとそっと手のひらにのせ、手を握ると、中で種がパチパチはじけるのがわかる。その様がおもしろくて、種をいくつか持ち帰りプランターに植えてみた。
 春に芽が出てぐんぐん伸び、あまりに伸びすぎて、プランターを占領してしまったので、花を見ぬうちに泣く泣く抜いた。小さめの二本を残して育てているうち、急に葉が虫食いだらけになり、とうとう丸坊主になって、これも抜いたのだった。
 湿地に育つものだからと、半年間せっせと多めの水をやり育てた。 「やはり野に置けつりふね草」だったな、と反省の夏を過ごし、今、コスズメがうちにやってきている。葉を食べつくしたのはこの子だったのだ。
 私はつりふね草の種を植えただけだ。でもこの子はいったいどこから来たんだろ。親蝶はつりふね草がここにあると、いったいどうやって感知したんだろう。
 虫といえば、先日お店におじいさんが来て、
「セミの本はないか。今朝、散歩中に聞いたことのないセミの声を聞いたのだ」 という。近くにいたおばあさんたちも皆、
「はじめて聞いた。温暖化のせいかしらね。」と言っていたそうだ。セミの本や虫の図鑑を出したが、どれも文と写真だけで声はない。 「わからないな」 と帰って行った。
 もし、あの朝誰かがスマホを持っていれば、すぐわかったかもしれない。でもそしたら、「ア、そういう名前なんだ」と通り過ぎてしまっただろう。
 すぐにわからなかったから、きっと次の日も耳をすます。朝散歩のご老人たちの話題に上がり、2024年の夏の思い出として残り、もし名前がわかれば、それは知識の一つとなる。
 便利には利もあれば、その逆もある。

 今、外は雨だ。日本列島席捲といわれている台風10号の影響で、まだ何日か降り続くらしい。
 花や蝶や虫といっしょに、この風雨がゆきすぎるのを、待とう。

8月12日
 猛暑の中、おどろいたことにシクラメンのつぼみがひとつ、紅くともっていた。
 37度の気温の日々の何に、シクラメンは秋を感じたのだろうか。
 おとといの朝は一日だけ涼風が吹いて過ごしやすかった。9時にはいつもの炎天に戻ってしまったけれど。
 飼いカメは、必死といってもいいくらい、日に何度もエサをせがみ、そのたび完食する。気温が25度を下まわると、どんと食欲が落ち食べられなくなる彼女もまた、猛暑の中のわずかな変化を感じ取り、貪欲に名残の夏をむさぼっているようだ。
 何年か前までは聞いたことのなかった「危険な暑さ」という言葉にすっかり耳慣れた今夏が、終息に向けてようやく小さな一歩を踏み出した。
 今日の天気予報によると、日本列島は、
「酷暑、台風、地震の三択、あるいはその全部」
 の中にある。どうか順調に、おだやかな秋がやってきますように、と願うばかりの8月半ばである。
 昨日の朝みつけたシクラメンのつぼみは、今朝小さな紅い花を開いていた。

8月5日
 命ってなんだろう。
 今朝、飼いカメが卵を産んだ。これまで彼女は、早朝未明に産卵することが多かった。
 それが今年は朝7時台、小庭の水やりに外に出るころ産み出すようになった。今回で2度目の立ち合いである。
 私が外に出た時、たまごはコロコロと道に転がり出ていた。それを拾い数えているうちに、またひとつ、もうひとつと排出され、全部で9個のたまごが並んだ。
 かえることのない無精卵なのに、産前は食欲不振になり、体調もしんどそうで気の毒だなと思っていた。 けれど、目の前で明るく産出している姿を見ると、こうしてお腹の中の大掃除をすることが、彼女の健康を保っているのかもしれないとも思えた。
 排出した後はエサを爆食し、水にもぐってたっぷり眠った。
 今年に入って身近な人の入院手術が相次ぎ、心せわしく日々を過ごすことが増えた。
 数年前、自分の両親が亡くなった後、街で高齢の人たちを見るたび、この人たちは皆 親を失った人たちなのだ、どんな人にもそれぞれの哀感をその体に内蔵しているのだと、不思議な感慨にふけったことがある。
 7月後半、猛暑と熱帯夜に疲れ、あの気持ちが甦ってきた。8月に入る前の晩、すっかり盛夏に飽きていた私は、「まだこれから8月が来るのか」と、うんざりした気分になった。
 ところが、8月最初の晩は風が吹いた、それはほんのちょっとの変化だったが、「暑中御見舞」がもうすぐ「残暑見舞」にかわるぞと予感させる風だった。
 暑さはピークを過ぎれば、耐えられるようになり、そのうち、「風の音にぞ おどろかれぬる」涼風がやってくる。
 自分がめくり忘れているうちにも暦は着実に月日を進め、自分もその流れの中にある。
 先日読んだ井上荒野「切羽へ」の一節が思い出された。

 一進一退はあるにしても、少しずつ○○さんは損なわれ、消えてゆこうとしている。
 それはみんな同じことだ。私はそう思おうとする。私だって夫だって、生きている人間なら、生まれたての赤ん坊だって、○○さんと同じ線上にいるのだ。みんな少しずつ流れていく。どこかへ向かって。

7月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の「おしゃべり」