ユーコさん勝手におしゃべり

6月29日
 昨日は一日雨だった。
 朝、梱包した書籍を郵便局で発送してから電車に乗って映画「ホールドオーバーズ (Holdovers)」を見に出かけた。
 新宿三丁目で地下鉄を降り、伊勢丹のB1を通って地上へ出る。映画の上映時間まで余裕があったので、デパ地下を一回りした。
 色とりどりの和洋菓子やお惣菜が並び、たくさんの人々が行き交う。何店舗かに長い行列ができていた。「ここから○○分待ち」と、まるでテーマパークのアトラクション並みの表示が立っている。
 すぐに映画なので買う気はないけれど、気になるので人々の隙間からショーケースの品々を覗いてみる。中にひとつ見慣れない形状の和菓子があった。
 白い三角で、上に小豆餡がたっぷり乗っている。おいしそうだなと思いつつ、地上に上がり映画館へ向かった。
 映画は期待通りだった。何より役者が生きている。二週間の物語の中で主要人物三人の顔立ちが、心の鏡のように変化していった。
 いいも悪いもない現実について、考え続けさせ、見につまされる。良い作品だった。
 そして映画の余韻の中で一晩過ぎ、今朝新聞の折込広告の中に、昨日と同じ形の和菓子をみつけた。
 「夏越の祓 水無月」と書いてあり、京都の和菓子屋さんの名前があった。
 半年間の身の穢れを祓い、残り半年の無病息災を祈願する神事にまつわる菓子らしい。
 夏越の祓や茅の輪くぐりは知っていたけれど、ゆかりの食べ物は初耳だった。
 関西の方なら皆知っていることなのだろうか。
 これも何かの縁、何よりういろうは好物なので、さっそく広告のスーパーへ行き、水無月を買ってきた。
 映画「Holdovers」はクリスマスから新年の話だけれど、私はきっとこれからもこの時期に水無月を食べ、そのたびに「Holdovers」を思い出すだろう。

6月26日
 今月になってはじめて、ツバメのヒナの顔が見えた。
 堀切菖蒲園の駅舎の前を通るたび、ツバメの巣を観察している。
 このところ親鳥は、巣のはじに足をかけて中のヒナの世話をやいていた。エサを食べるのにも時間がかかるのか飛んできては、しばらく巣の中に上半身を突っ込み、また飛び立ってゆく。
 巣を見上げても、下からは何も見えなかった。
 今まで気配だけだったヒナだが、今日は親鳥の飛んでくる直前に小さな頭が見えた。 頭を出した子がエサをもらい、そのあとに薄黄色いクチバシがひとつ、まもなくふたつ、見えた。
 これからどんどん頭の数が増えてゆくのかな、と期待で胸がふくらんだ。

6月15日
 カメの産卵がはじまった。
 小庭のカメ(メス・29歳)が、10日未明に卵を排出した。11日早朝、小庭の前の道に3個の卵が転がり出ているのをみつけた。しゃがんで覗いてみると、日向ぼっこ用お立ち台の下にも5個あって、全部で8個の卵があった。
 殻の割れもなくきれいだったので、水を張ったガラス瓶に入れてカメのそばに置いておいた。
 水槽にパラパラとエサを入れてやると、食べること食べること。甲羅に包まれた体が卵でいっぱいで、ここ数日は絶食状態だったのだ。何度もおかわりして食べ、満足そうにお立ち台へ上がった。
 私は家に入り、2階で手を洗っていた。小庭から、カメと顔見知りの老婦人の、「えらかったわねぇ、よくがんばったわねぇ」とカメをねぎらう声が聞こえてきた。それから、お散歩の保育園児たちの列がやってきて、タマゴがあることに大いに盛り上がり、先生を質問攻めにしていた。
 カメの体の中はいったいどんな風になっているのだろう。卵を産むようになってから何年もたつが、毎年、1回に生む数も産卵の回数も違う。1個ずつ出す年もあったし、一遍に大量に出すときもあった。排出してしまえば卵には無関心なことだけは共通で、見向きもせず、楽になった体でエサをねだる。
 卵がどんな風に生成されて排出されるのか、限られた甲羅の中でどんな風にあれだけの卵が並んでいるのか。不思議はいっぱいだが、カメは黙って運命を受け入れているし、カメ自身にもわからないだろう。
 あと不思議なのは蝶である。小庭にはいろんな蝶や蛾が遊びに来る。地面にコロコロと小さい幼虫のフンも落ちている。
 ちょうど私の目の高さの壁掛けプランターに2匹の幼虫がいて、葉を食べている。そこに植えてあるのはブライダルベールで、伸びすぎて切ろうと思っていたところだったので、そのまま食べるに任せて観察することにした。たまに周りの別のプランターに出張食に出かけていることもあるが、また同じブライダルベールに戻ってくる。気に入っているらしい。サナギになるのを楽しみにしている。
 子どもの時は花や葉を食べ、気持ち悪がられる害虫の姿をして、サナギになって動かなくなる。サナギの中は何と液体だという。その後飛び立つと、「あ、ちょうちょだ」と突然子どもたちのアイドルとなり、食すのも花の蜜だけと何とも上品なものである。
 「みにくいアヒルの子」の比ではないくらい姿が変わる。「みにくい蝶の子」だ。
 カメも不思議、蝶もフシギ、小庭の中はフシギが詰まっている。

6月10日
 近所のお寺の先代住職夫人とお庭の話をする。
 「クリスマスローズがきれいに咲いていますね」
 「ええ、ここは日当たりがいいからね、何でもよく育つんですよ」
 「いつもここを通るのを楽しみにしているんですよ」
 「でもね、草むしりしなくちゃいけないでしょ。若いころは、なんでこんなところにお嫁に来ちゃったのかなってね、イヤだったけど。
 歳を取るとね、根があって緑があるってだけで、いいなって思いますよ。
 イチョウの木なんてね、毎年葉が落ちるでしょ。道の向こうの家の方まで風に乗って飛んでいくと、ああ うちの葉だわ、悪いなって思ってたけど。ヒラヒラでも燃えにくいのよ、イチョウの葉は、水分が多くて、たいへんだったの。今はビニール袋に入れて出すだけだけど。
 でもね、木は長生きでしょ。私よりずっと長く生きるのに、私の代だけ世話されないんじゃ、申し訳ないから、きれいにしてあげよって思うの。今はね。楽しみになったわ。」
 自分がいなくなっても残るもののために、心をくだく人がいて、地域は地球は世界は、保たれている。帰りの足取りが軽くなった。

6月5日
 梅雨入り前のさわやかな風を受け、バイクに乗って常磐自動車道を北上した。店主と二人乗りで、店主が運転、私は後ろで観察専門である。
 田園と麦秋の道を快走して、バイクが千代田PAを過ぎると、道の両側に栗林があらわれた。ヘルメットの中にも断続的に清々しい匂いがひろがる。
 高速道路の上を渡る橋にかけられた「笠間の栗」の横断幕をくぐるころには、周囲は栗の花園のようになり、鼻から胸一杯が初夏の香りで満たされた。
 バイクが北関東道に入って、茨城町ジャンクションの手前まで、栗畑は続いていた。
 そこから先は水戸の圏内で、木々は栗から梅へかわるのかもしれない。
 バイクの後ろで、吹き付ける風に打たれて、「土や風と植生」と考えるうち、これを「風土」と呼ぶのかと、普段何の気なしに見かけたり使ったりしている言葉が、すっと体内に入ってくるのを感じた。

5月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の「おしゃべり」