ユーコさん勝手におしゃべり

2月23日
 2月がゆく。
 夕べカレンダーを見て、おひな様を出さねばと焦り、今朝引き出しから丸いプラケースと下にひくハンカチのセットを出した。
 食卓のカウンターの上に並んだりんごを脇にずらして、りんご一個分より小さなお内裏様を置く。直径6cmのプラスチックケースのフタを開けると、中に入った匂い袋の香りがする。買ってからもう二十数年もたつのに、小さな匂い袋は律義に当時の香りを保っている。
 数秒 懐かしい気分にひたって、またすぐフタを閉める。内裏雛の横に造花の花束を置いて、私のおひな行事はおしまい。
 ほんの一週間ほどの滞在だが、この間におひな様の周りには、おやつのおすそ分けのお菓子が少しずつ集まってくる。
 ほほえましくそれを食べ、翌3月4日の私の誕生日には、一年分の仕事を終え、おひな様はまた事務机の暗い引き出しの中へ帰ってゆく。

2月20日
 開花した花の名前を数える季節がやって来た。
 買い物のついでに、散策のついでに、あちこち見まわして、「さいしょのひとつ」を見つけて遊んでいる。
 おとといは、河津桜が咲いたとて、自転車で荒川を渡り、隅田川沿いの汐入公園へ行った。公園で、まだ枝ばかりのレンギョウに、黄色のあざやかな花がひとつついていた。花の魁だ。近くの素戔嗚(すさのお)神社まで足を延ばす。ひな祭りの準備に職人さんたちが忙しく出入りする境内で、桃のつぼみが♪はよ咲きたぁい♪とふくらんでいた。
 昨日の朝、買い物帰りに入口の紅梅が美しい堀切菖蒲園の前を通った。塀際に数人の人だかりがある。何かと思って近づくと、ザクロの木だろうか、フェンス脇の木の上に、いつも園内で可愛がられている白黒のネコが登っている。登ったはいいが降りられなくなったようで、手を下に長く伸ばし、へっぴり腰で枝にへばりついていた。これまたいつもネコを可愛がっている人々が、園内とフェンスの外で、
 「大丈夫だから、降りておいで」 と声をかけ手を伸ばしている。しばらく一進一退の後、ネコは無事木の下で待つご婦人の胸におさまり、みんなに笑顔がひろがった。
 今日は、店で使う資材を買いに浅草橋へ。自転車に乗って荒川と隅田川を渡って行く。
 朝から気温が高い。2月の最高気温だそうだ。隅田公園の梅林を通ると遊歩道沿いのユキヤナギが咲き始めていた。春も盛りの頃、純白の道になるはずだ。
 隅田公園の前の待乳山聖天さんでお詣りをして、お供物大根のお下がりをいただく。待乳山聖天は、「推古天皇の3年、地中から忽然と湧き出た霊山でその時、金龍が天より降って山を廻り守護したと伝えられています」とパンフレットに書いてある。今までは神話の様なものと思っていたが、今年の能登半島地震の海面隆起を見て、伝承はまことだったのやもと、認識を新たにした。
 浅草のレンタル着物屋さんの前には、外国人観光客が開店待ちの列をつくっていた。ホテルからスーツケースを転がして出てくる人々の波を抜けて、浅草橋で買い物をする。
 少し重くなった自転車をこいで土手道をのぼると、汗がにじんでくる。どこからか、ふわっと沈丁花の香りがした。橋を渡って土手から降りる道の途中、レトリバー犬がコンクリートの地面にペターと伏せて動かず、リードを引く飼い主を困らせていた。最高気温は24度になるそうで、犬もびっくりの2月半ばだ。
 明日はぐっと冷え込み、最高気温も9度の予想なので、待乳山のお大根を入れて鍋でも食べよう。

2月7日
 午前中、お客様へ送る本の発送を済ませて、電車に乗って上野の国立博物館へ行く。
京成上野駅は成田空港行きスカイライナーの始発駅なので、大きなスーツケースを引く人でいっぱいだった。
 改札を出ると、ピアノの音がする。放送かと思ったら生演奏だった。改札を出た脇の目立たないところにストリートピアノがあるのだ。ザワザワとした喧騒の中で、小さなその一角だけがくっきりとピアノの音で満たされていた。滑らかなモーツァルトのトルコ行進曲を背中に聞いて、街に出た。 上野に来たな、と思う。
 昼食をとって、国立博物館へ向かう。道路には既に雪はないが、博物館の前庭の芝生には昨日降った雪といくつかの雪ダルマが残っていた。明るい日差しの中、雪玉を投げて遊ぶ子もいて、どこにいても(そこがその子にとって海外でも)、子どものしたいことは同じだな、とほほえましい。
 先月は本館と庭園を観たので、今日は、東洋館と法隆寺宝物館を回ることにした。
 いつもにぎわっている本館に比べて、こちらはぐっと静かで、入館者の年齢層も高めのようだ。皆、黙して真剣に展示物を観ている。そんな中で、ピンクのうさぎさんのついたリュックを背負った女の子が、ご両親と一緒にお行儀よく入ってきた。パパが時々中国語で解説していた。
 ぐるりと見て回って、上野公園を抜けアメ横方面へ出る。上野の街も外国人旅行者で大にぎわいだった。
 上野の定番 みはし本店で白玉あんみつをいただいて、京成上野駅へ行くと、スカイライナー乗降客でごったがえす構内で、ピンクのうさぎさんリュックが目に入った。パパとママは大きなスーツケースを引いている。国立博物館にいた一家だ。今日日本について、まず国立博物館へ行ったのか、今日が旅行の最終日で国立博物館へ寄って帰国するのか、どちらかなのだろう。
 よい思い出ができたかな。出会いは偶然、たまたまほんの数時間同じ街にいただけだけれど、人ごみに紛れてゆく一家が知り合いのように思えた。
 帰宅後、パソコンを開いて、お客様の注文状況をみる。本の動向で、お客様と無言の対話を交わし、店主がひとつずつ梱包した書籍を、五時前に郵便局に持って行った。
 それでもまだ空は明るく、日の長くなったことを実感する二月の半ばである。

2月1日
 巨木が好きである。
 特に、「どうしてこんなことに」と思うほど歪曲している木に魅かれる。
 セクシーな人の足のように二つに裂けていたり、「ここにお座り」といざなうように直角に折れ曲がってまた上に伸びていたりする。
 寡黙な木々たちは、失われた時の記憶を失っていない。観て、木肌に触れると、何かを語ってくれる気がする。
 昨日、千葉鋸山にのぼった。日本寺境内の山頂、地獄のぞきから、森林と眼下の海、そのむこうに神奈川湘南までが見渡せる。漁船に海上自衛隊機、海苔養殖場に港湾の工場地帯、高層ビルの街並、新旧の時の流れが一望のもとに収まる。
 木々は、今見える世界のもっと前から、この山に育ち時の流れをみてきた。大きな木に触れると、「大丈夫だよ」と言われている気がして気持ちが明らむ。
 ごつごつとした老木に初々しい花をちりばめた梅の木が、古い羅漢像たちの間に芳香を運んでいた。

1月のユーコさん勝手におしゃべり
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