ユーコさん勝手におしゃべり |
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7月28日 「誰もでんしゃにのっていない人はいない」 昼下がりの上野発京成本線普通電車に乗客は少ない。車掌さんの見える一番後ろの車両に乗る。夏休みらしく、鉄道好きの少年がカメラを首から下げて車内を歩いている。 JRとの接続のある日暮里駅から2・3歳の男の子とパパが乗ってくる。この子も電車が好きなようで、手に新幹線のプラモデルを持ち、パパの勧めるベビーカー設置スペースではなく、最終ドアの前に立って外と車掌さんを見たがった。 パパが折れて、ドアの前に二人で立った。走行2分で次の駅に着き、ドアが開く。一番はじっこのプラットホームに乗降客は誰もいなかった。新幹線を握りしめ、ワクワクと開くドアの前に立った男の子の声が響いた。 「誰もでんしゃにのっていない人はいない」 「え?」 私はその複雑な語法がにわかには理解できず、バッグからメモ紙を取り出して彼の言葉を書き留めた。 「誰も 電車に 乗って いない 人は いない。」 その後も彼は無邪気に外を見つめ、パパは何ごともなかったように脇に立って、ITのマニュアル本を読んでいた。 あと一年もしたら、「誰もいないね」 と言うようになるのだろう。 思ったことを伝えるために言語がある。幼い子は知っていることばを試し試し、日々日本語の構文を獲得してゆく。素敵な過程をみせて(聞かせて)もらって、楽しい気持ちで堀切菖蒲園駅で電車を降りた。 駅から店に向かってゆくと、店横の小庭の前にカメの卵がコロコロと転がり出ていた。 朝出がけに見た時は、産みたそうに足を踏ん張っていたけれど、まだ卵はなかった。 その日の朝は、あまりの暑さに書庫での整理作業をあきらめ、朝一番の回で上野に映画『君たちはどう生きるか』を観に行ったのだった。不忍の池の蓮の花が、こちらは暑さにめげず、きれいだった。 題名通り、「どう生きるか」「どう生まれるのか」をテーマにした映画を観たあと、文法を獲得してゆく幼子と、カメの産卵のいとなみをみた。印象的な一日だ。 それにしてもカメは、今年4度目の産卵で、今回も11個の卵があった。回数も総個数42個も新記録である。これからまだまだ盛夏の8月に向かうというのに、いったいどうなるのだろう。 飼い主の心配をよそにカメ本人は、ケロリと旺盛な食欲をみせているけれど。 7月26日 背中から太陽を浴びて道を歩く。前方から吹いてくる風も熱風に近い。 郵便局へ本の発送に行く時、私の前を富士山の絵柄のTシャツを着た外国人が歩いていた。スマホ地図を見ながら信号を渡って、私と同じ郵便局方向へ曲がったが、数歩行くと、くるっと踵を返し、反対方向へ歩いた。目線の先にはセブンイレブンがある。目的地の前に冷えたコンビニに寄るのは、賢明なことである。 半そで短パンだが足元はブーツの彼は、ここより涼しいところからやってきた旅人であろう。服は買ったが足元も購入必須だ。 私が発送を済ませて、もと来た信号を渡ると、彼がいた。キョロリと周りを見渡して、スマホで狭い商店街の写真を撮っていた。店の看板の並びとかが、珍しいのかな? と、しばし自分も旅行者の目線になって、見慣れた商店街を眺めてみた。 しかし、溶けそうである。 東京は連日の「危険な暑さ」で、脱出しようにも、日本中どこもかしこも猛暑なのだった。ピンポイントで涼しいところもあるけれど、道中の厳しさと帰宅後の屋内の熱気を考えると、出かけるのをためらってしまう。 こんなにも暑いのに、つる性の植物たちは機嫌よく繁殖している。アラビアンジャスミン(茉莉花)は次々芳香を放ち、春に咲くハゴロモジャスミンやハニーサックルは自分の勢力圏を伸ばそうと躍起になっている。 小庭の飼いカメも、あまり暑いので店主が家へ入れてやっても、すぐドアの方へ行ってしまう。炎天の外がいいらしい。この暑さが好きなものもいるのだなぁ、と、生物多様性を肌で感じている。 7月15日 ツバメは巣立ち、カメは産卵した。 このところ堀切菖蒲園駅舎のツバメは、みな大きくなり小さな巣にギューギュー詰めだった。のり出した顔の数は日々減ったが、巣立っても遠くへは行かない子のために、崩壊寸前の巣から少し離れたところに小さな竹籠が設置されていた。 おとといの朝見た時、そこに 巣の中にいる子たちよりも一回り小さなヒナが一羽とまっていた。ちょっと飛んでみたけれど、巣はいっぱいで戻れないのかな、とちょっと心配した。 そして昨日、つばめは全羽飛び立って、巣はカラッポになった。 一番小さいけれど勇気のあった子も、もうどこにもいない。 ツバメの寿命はどれくらいなのか知らないが、一日というのは、ツバメの成長にとっては人の一週間、いや一ヶ月くらいの価値ある時間なのだろう。 今朝には、不要になった竹籠は外されていた。ツバメを気遣う誰かがいるここに、また来年もツバメは戻ってくるのだろう。 うちの飼いカメは、今早朝に産卵した。前回と同様、日向ぼっこ用踏み台の下にコロコロと卵を産み、いくつかは小庭の前の道にころげ出ていた。今年三度目の産卵である。 11個のきれいな卵を、水を張ったプラスチックケースに入れカメの横に置いた。家に入ると、外から「よくがんばったわねぇ」 とカメをねぎらう老婦人の声が聞こえた。 めまぐるしく、生まれ、巣立ち、夏はすぎてゆく。 7月12日 夜明け前、書庫へ客注の本を取りに行った。 まだ暗い空に、左耳からピアスがこぼれおちた瞬間のような月と木星を見る。事前に月と星のサイトで月と木星の最接近を知り、楽しみにしていたので、晴れた空に感謝した。 この日天気は猛暑予想、書籍を検品し受注メールを送信して、東京を脱出する。 3時台には暗かった空が、出発時にはもう朝になっていた。 本日の行き先は、神奈川県南足柄の夕日の滝だ。 首都高から東名自動車道に入り、大井松田で高速を降りる。そう遠出をせずとも、清流と滝のある所は涼しいという店主のもくろみは大当たりだった。 街中から山に入り、くねくねと登り坂を上ってゆく。上るにつれて風がここちよくなってゆく。 滝に近い駐車場に車を止めると、滝行を終えた人たちがいた。夕日の滝は落差23メートルの勢いのある滝で、滝つぼの周囲にほどよく細かい水しぶきを感じられるスペースがある。持参のイスを設置して、半日そこで自然観察をしたり、本を読んだりして過ごす。 滝行の方が般若心経を唱えている間は真剣に便乗して目を閉じてみたりする。 足元に羽が茶色で体が青い蝶とんぼがやってきて、しばらく遊んでいった。特徴をメモって、帰宅後に名前を調べようと思う。 滝つぼから少し降りると川遊びもできる。おたまじゃくしやメダカの群れに子どもたちがはしゃいでいた。 駐車場に戻って、滝のはしごをする。次の行き先は、山北町の洒水の滝である。駐車場に車を止めて、遊歩道をしばらく歩く。歩いていると、滝が見える前からどんどん涼しくなっていくのがわかる。そして滝が目の前にあらわれた瞬間、そこはもう別天地だった。 29・16・69メートルの三段の滝は、大量の冷水を落とし続け、何者も寄せ付けない絶壁の滝の脇に白百合の花畑ができている。百合の蜜を吸いたいアゲハ蝶でさえ、その滝の起こす風でなかなか花のそばへ寄れずに、何度も花に向かって飛翔しなおしていた。 滝は、遊歩道と227段の階段を上った観瀑台の二つの視点から見ることができる。 遊歩道の頭上はもみじの青葉でおおわれ、紅葉シーズンの見事さを想像させる。 夕暮れ前に滝を後にし、地元の温浴施設でお風呂に浸かり、夜半に帰宅した。 帰宅後、受注と翌日の発送準備を整えて一日を終える。 夕日の滝で出会った蝶とんぼは、ミヤマカワトンボであった。 7月11日 「日陰あるけ」 朝、小庭の花柄摘みをしていたら、背後で声がした。犬のハッハッハッという息も聞こえる。 朝の散歩の人と犬だ。 街中を歩くとき、「待て」とか「おすわり」の指示はよく聞くけれど、「日陰あるけ」は初耳だ。命令というより、お願いである。人も犬も、日陰を選んで歩かねば まいってしまう。 日照りの直進コースではなく、より日陰の多い右折の道を選んで歩いて行った。 今日も天気予報は、「危険な暑さ」だそうだ。聞きなれない言葉に耳が慣れてゆく、この夏である。 7月3日 雨と猛暑のせめぎ合い。 梅雨時とはいえ、雨が多い。晴れれば猛暑で、なかなか気難しい天候である。 そんな中、夕べは湿度も下がり、寝室の窓からきれいな月が見えた。満月の一日前の ほぼ満月 がぽっかり浮かぶ空には、月のみで星は見えない。近くにあるはずの金星や火星も雲の中だったが、それでも久々の月夜に満足して眠った。 7月の初日雨の朝、この日から始まる「甲斐荘楠音の全貌」展を観に、東京ステーションギャラリーへ行った。京都国立近代美術館からの巡回展である。 絵画や芝居、映像の枠を超え、性別のくびきを逃れた甲斐荘楠音(かいのしょう ただおと)の描く絵は、モデルとなる人の確実な中身でありながら、楠音自身の像に見える。 この強烈な個性の画家のことを今まで知らなかった過去の自分が残念であり、今知れたことがうれしくもある。 関西恐るべし。またどこかの展覧会で、新たな刺激に出会いたい。 雨の7月初日の後は再び真夏日となった。 初夏無きままの猛暑来襲で、どの家の庭も、ムクゲにひまわり、ユリ、キョウチクトウと、夏休みに見る花が一気に満開だ。 猛暑の後はお決まりの大雨、夜半には雷雨の予報が出ている。 今日の満月を楽しみにしていたが、ぶあつい雲の中に、月は見えなかった。 6月のユーコさん勝手におしゃべり |