ユーコさん勝手におしゃべり

4月28日
 頭の中で古関裕而作曲『栄冠は君に輝く』を鳴らしながらこれを書いている。時々唇からも
 「くぅもぉは わぁき 光あふれて…」と漏れ出ている。
 先日、野球殿堂博物館の入館券をいただいたので、小石川の東京ドームまで出かけることになった。
 二枚の券を前に店主はルートを考え、昨日自転車ツアーが決行された。
 朝、いつもの朝食に梅干しをプラスした。最近年齢のせいか、店主はサイクリング中に足がつってしまう。来店した自転車好きのお客様が、「水分だけじゃなく、塩分も必要なんですよ」 と言うので、二輪に乗る朝は梅干を食べてみることにしたのだ。
 朝食後、ロードバイクではなく、前カゴ付きの自転車で出発。荒川を渡り、隅田川を渡る。しばらく平らな下町を走るが、上野から先は、ポタリングからスポーツに変わる。春日通りの切通坂を登らなければ第一目的地にはつかない。
 坂の途中の湯島天神でひと休みする。絵馬のたわわに実った絵馬掛けには、「もうすぐお焚き上げします」の札がある。今春のみんなの願いは叶ったのでしょうか。
 カメが日向ぼっこをする池の前の木陰ベンチで、行きがけに買ったコッペパン屋さんのメンチカツサンドを食べた。
 また坂を登って東京大学構内に入る。広いキャンパスを自転車で通過し、「東京大学総合研究博物館」へ行く。ここがこの日の第一目的地である。
 入口で案内パンフレットをいただいて、標本の森へ入る。さりげなく引き出しの開けられた壁面下部の棚に、小分けビニール袋に入れられた骨たちがあり、ガラス張りの上部陳列台に組み上がった骨格標本がある。鳥の羽毛も下部に小分け袋があり、上段に生前の姿の剥製がある。土器類も同様で、研究者の膨大な根気と、好きを究める力が身に迫ってくる。
 馬の剥製を修復する人がいた。脚立に乗って絵筆を持ち、馬の顔面の傷の手当てをしている。店主が声をかけると、美大生の時、骨格への興味から東大の講座で学び、剥製の会社に就職したのだという。世の中は全て、地道な人の仕事で成り立っているのであった。
 一番奥は「若林鉱物標本」の特別展示室になっている。私たちの前に、女子高生数人のグループが入っていった。次にやって来た初老の男性が、展示室の前に座っていた監視員さんに
 「これは踏み絵じゃないですか。この上をとても歩けませんよ」 と訴えていた。
 昭和期の標本展示室を再現した木製棚に囲まれた空間では、床下にも24個のコンテナに入れられた数百点の鉱物標本がずらりと並んでいる。その上にガラスがはめられていて、見学者は左右と床面の三面の展示を見るようになっている。
 私たちと一緒に展示室に入ったその方は、
 「こんな貴重なものの上に乗るなんて、めっそうもないことですよ。」 と言う。
 なるほど筋金入りの鉱物マニア(研究者)なのだろう。立ったまま見下ろす気になれないらしい。
 「しゃがんで見れば良いのではないですか。」 と言ってみた。説明版の文字も小さいし、私もしゃがんでみると、その方が見易かった。
 男性はガラスに手をつき、ひとつひとつの鉱物の貴重性を教えてくれる。「海の水はなぜしょっぱいか」をわかり易く説いてくれ、ガラス越しでも鉱石の上を踏まないように、コンテナの枠の上をそっと歩く。
 すると行く手側から、展示を逆回りで見て来た先ほどの女子高生グループが平気でどんどん歩いてきた。私たちの様子にキョトンとして、「ごめんなさい。何だかすいません」とわけもわからずあやまった。
 「イヤ、大丈夫ですよ。これは、その…、大好きなアイドルを見るのと同じと思ってもらえれば。自分の推しの肖像だったら、やっぱり足の下に置いて踏んだりできないでしょ」 と、これを踏み絵だというおじさまに代わって、勉強好きのかわいい高校生に説明を試みた。
 世の中には色んな人がいて、だから楽しいということが、伝わってくれたかしら。
 まだまだじっくり観察したいおじさまに別れを告げ、博物館近くの懐徳門から東大構内を出た。
 今度は小石川方面へ坂を下って、野球殿堂博物館へ。
 何にでも歴史がある。明治の頃の資料に、新しいことにワクワクした時代の空気を感じておもしろかった。それから記憶に新しい今年のWBCまでの時の流れを見て回り、脳内バックグラウンドミュージックはやっぱり古関裕而となる。学生時代に戻って応援歌を小さく口ずさんで外に出た。
 帰路は神田の古書街を通り抜け、浅草橋で店の備品の仕入れをして再び隅田川沿いを走り、荒川を渡って店に戻った。
 朝の梅干しのおかげで店主の足もつらず、無事に半日ツーリングを終えて店を開けた。
 自分にとって「?」な本も、誰かが目的をもって収集したからには、またきっと誰かの琴線に触れる。その橋渡しのために自分の仕事があるのだろうと、多様な人との出会いが教えてくれる。

4月21日
 命 短し 旅せよ おとな。
 東日本高速道路で、2023ツーリングプランがはじまった。コース内ならバイクで二日間乗り降り放題のサービスだ。
 身体は忙しい。仕事はとまってくれない。だがしかし、今日が一番若いのだ。時間は作るしかない。
 店主が天気予報と相談して日程と行き先を決める。私は送本のだんどりをつける。
 前夜と早朝に梱包して、朝郵便局へ行き、半日旅を楽しむ。帰ってから翌日の仕度をして、翌日も満喫する。 店主のバイクの後ろに乗って、うるわしい気候、うるわしき風景に出会う旅に出た。
 まず一日目、東北自動車道を北上して群馬県へ。館林のつつじが岡公園へ行く。正門を入ればすぐ圧巻のつつじの森である。 満開の山つつじは天も地面も赤く染め上げ、咲きはじめの初々しい花々は、手のひらに乗せたくなる。行き交う人々の中から
 「うちのつつじもこんな風に咲けばなあ」 という声が何回か聞こえてきた。
 400年前から続くつつじ園である。古いものは樹齢800年になるという。人の命の何倍もの時間をかけて、古代から大事に育てられ、ここまで太くなった幹に、幹を覆い隠す花がびっしりとついている。
 人一代では「こんな風」にはならない故に、これは足を運んで800年の時間を見に行くしかない。
 館林に着くまで、高速道路からも高速を降りた沿道でも、麦畑で緑濃く実った穂が風に揺れていた。麦畑がたくさんあるということは、うどんがうまい、ということである。昼食は、店主おすすめの大盛りそば・うどん店へ行く。サービス満点の人気店で、心とおなかを満たした。
 昼食後、城沼沿いを散策して、旧秋元別邸の庭へ行く。大木の頂上付近からサギが飛び立ったのが見えた。見上げると、木のてっぺんにつがいの白サギが立っている。その脇にも、すぐ下にも、サギの巣がいくつもあった。まるでサギ団地の様相の大木だった。他にも樹木はたくさんあるのに、よほど住みやすい枝張りの木なのだろう。サギの姿は東京の川岸でもよく見るけれど、こんなに間近で営巣を見たのは初めてだった。これも、出かけなければ見られない光景だった。
 よい土と水、手入れの行き届いた庭園に満足の一日目、帰宅後ひと休みして夜と朝に仕事をこなした。
 二日目は、常磐自動車道で茨城県つくばへ向かう。
 まずJAXA筑波宇宙センターへ。展示館ガイドで説明員さんについてゆく。こういう時の店主の質問力にはいつも感心する。各所でガイド氏とコミュニケーションを取り、終ると「何かの人だな」と思われている。何の研究者でもないただの人だが、質問の引き出しがうまいところに付いているんだろうと思う。
 つくばは公開の研究施設が集積していて巡り易くおもしろい。
 土浦で昼食をとり、霞ヶ浦環境科学センターへ行く。 ここの庭からの眺めはすばらしく、一面の蓮田の先に雄大な霞ヶ浦がある。見ていると、レンコンが食べたくなる。
 また高速に乗って帰宅した翌日、茨城産のレンコンを買った。今日これからおいしく食べます。
 一日24時間フル活用、休養と仕事と旅。自由に組み合わせて使い倒した二日間だった。
 ちょっとの疲れは旅のおみやげ。リフレッシュした頭で、この良き季節を泳ぎきろう。
 今朝、堀切菖蒲園の駅舎にツバメが来ていた。駅前の信号を渡って郵便局や書庫へ行く時、信号が赤になったばっかりでも がっかりしない。信号待ちは、ツバメの観察タイムになるのだ。
 今、ツバメのつがいは、去年の巣の修復作業中のようだ。地元にもワクワクがやってきた。

4月11日
 天気がいいのが何よりのごちそう。
 どこに行っても何をしても気持ちの良い季節が、今年はちょっと予定より早めにやって来た。
 来る者はこばめず、旅に出る。今回の行き先は伊豆。車に乗り、海沿いを南に向かって走る。車が東京湾ゲートブリッジをのぼると、左側は視界いっぱいの海、右眼下には、オリンピック会場になった水上競技場と海の森公園、その先市街地越しにドンと富士山が見える。たくさんの雪をいただいた富士山が、今はまだ4月であることを伝えている。 これからどんどんあの山に近づいてゆく旅程だが、途中はわからずゴールだけが見えるというのは、まるですごろくみたいだと思う。
 東名沼津で高速道路を降り、三島へ向かう。旧小松宮別邸の公園・楽寿園をぐるりと巡る。園内動物園の動物たちも樹木も花々もみな、この天候を楽しみ喜んでいるようだった。
 散策して源兵衛川方面の出口を出て、近くの蕎麦屋へ入る。源兵衛川は楽寿園内の湧水池を水源とする小さな川で、名水が贅沢に流れている。腹ごしらえの後、美しく光るせせらぎの遊歩道を歩いた。
 この日の宿は、湯治で知られた畑毛温泉。約38度と29度のぬるい源泉と、温泉をわかした湯舟がある。この温度が長湯を誘い、熱いとすぐのぼせてギブアップしてしまう私に丁度いい。宿の庭の桜は、静かに絶え間なく花びらを散らし続けていた。
 客室の大きな窓を開けると、右手にドーンと桜と富士山が、絵に描いたようにそこにあった。まさにすごろくのゴールの絵柄だ。 正面の手入れのいい畑と遠景の山々の静けさをイキナリ打ち破る富士の異形な偉業である。
 たっぷりの休養をとった翌朝、柿田川公園の柿田川湧水群を巡る。第一展望台で景色を眺めていると、そばにいたご老人が言う。
 「ここの水は、280年程前の富士山の雪解け水だよ。山にしみた水がここから出て柿田川の源流になっているんだ」
 山でも森でもなく、周りをショッピングモールや会社のビルに囲まれた都会の真ん中に、大きな川の源流があることに驚き、さらに歩を進める。第二展望台付近につくと、湧水池にかかる橋の上から中年男性グループが
 「ほら、あそこに鮎の群れが6匹いるよ。さっきまで12匹だったんだが…」 と指さして教えてくれる。澄んだ水に鮎が確かに6匹、群れ泳いでいた。
 地元の人が問わず語りで教えてくれることに、湧水への地元愛を感じる。お仕着せではなく自然発生的ボランティアガイドのいる土地だった。
 帰りに近くの農産物直売所の花売り場を見ていたら、バジルと大葉の苗があんまり元気そうだったのでひとつずつ購入。花色の変わったヒゲナデシコとともに、今回のお土産にした。
 途中寄り道をしに車を降り、再び車に乗るたび、バジルの甘い香りが車内を満たしてゆくのを感じた。
 よい水よい土に出会うよき旅だった。ゴールデンウィークに咲く花が、次々咲いてしまって、見るべきものに追われるような初夏のはじまりです。

4月5日
 近所の小学校の脇の道沿いに梅の木が並んでいる。小学校の卒業式の頃、毎年見事な花をつける遅咲きの梅だ。
 今日その道を通ったら、新緑が萌え出ていた。
 梅や桜はえらい。花が咲くまでその姿を隠し、いきなり華やぐ場を演出する。そのあとは黙って木陰をつくり、もうその木が何であったかも忘れさせる。
 そんな木々を尊敬する。そんな風に齢を重ねて、いつか葉を落とし、冬には足元に小さな日なたをつくりたい。

4月4日
 つばめ初見。
 今朝、荒川土手を自転車で走っていると、橋の下に白黒の鳥が二羽見えた。
 今年初めて見るつばめの姿だ。一羽は枯葉をくわえている。巣作りをするつがいだろうか。
 草むらでてんとう虫を何匹か採集した。数えきれない種類の花が咲き、本格的な春がやって来た。
 舞い落ちた桜の花びらが、道をコロコロと横断する。
 軽やかに、小さな子どもが横断歩道を渡ってゆくみたいだった。

3月のユーコさん勝手におしゃべり
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