ユーコさん勝手におしゃべり

1月19日
 今日午前中は、森鴎外161回目のお誕生日を記念して観覧無料になった文京区立森鴎外記念館へ出かけた。
 日暮里駅から夕焼けだんだんを下り、団子坂をのぼって、文豪たちの通った散策ルートを歩く。10時10分前、鴎外記念館前のエントランスには既に数人の待ち人がいて、開館を楽しみにしている。
 充実した展示内容で、「あぁ、帰ったら早速何か読まねば」と思わせる。
 出口近くにある映像コーナーで作家たちが語る鴎外は皆魅力的だった。その中から一番印象に残った「空車(むなぐるま)」を読むことにした。
 いろいろな解釈のある小品だが、ビデオの中では、鴎外が自身のことを「空車」と考えていたのだろうと言っていた。けれど、161回目のお誕生日を祝ってくれる人がこんなにいるのは尋常なことではない。とても「空しい(むなしい)」とは申せまい。
 鴎外は、洋紙などの荷を満載して通過する時には目に留まらない特大の大八車を、その帰路、「空(から)」であるゆえに愛してやまなかった。
 この随筆は大正5年5月に、公務や義理の仕事を終え、自らあえて空虚になった時期に書かれた。自身もまた、充足の空車だったのだろうか。

 (「空車」は青空文庫でも読むことができます。鴎外記念館「鴎外遺産〜直筆資料が伝える心の軌跡」 は1月29日までです。)

1月8日
 正月そうそう二日続けて荒川ライド。
 昨日は、前日から計画を立てて荒川土手をサイクリングした。地元のミニマラソン大会や野球やサッカーの練習でにぎやかなグランドを眺めて走り、桜並木の新川づたいに江戸川区の街中へ降りる。店主の作る道筋計画には、もれなくどこで何を食べるかが入っている。
 よく行くタイ料理屋さんで、新年仕事始めの一組目の客となった。「サワディカップ」と明るい声で迎えられ、陽ざしの明るい窓際の席でランチをいただいた。
 機嫌よくお腹を満たし、江戸川へ向かう。広い川幅の対岸は千葉で、ディズニーランドの城や山が見える。葛西臨海公園を通り、野鳥の森の屋外の机上で、ガイドの係員さんがこの水辺の森にいる動物たちの骨格標本を展示しているのを観た。クサガメのものもあり、今は冬眠中のうちのカメの体内もこんな風になっているのか、と甲羅と背骨がくっついている構造を観察した。
 晴天でおだやかな海を眺めて、寄り道しながら帰路につく。
 帰宅後に、「けっこう 疲れたねぇ」と言いながら、店主と二人で帰り道に買ったマミーの残りを飲み干した。
 早速その日の問題点を考え、自転車の整備を始めた店主が、青い顔で、「小銭入れがない」 と言う。革の小型財布は、長年携帯している愛着のある品で、いつも店主のパンツのお尻ポケットに入っている。入っているのは畳んだ2・3枚の千円札と小銭のみで、
 「途中で落としたのなら、もう出てこないよ」 と店主はガックリしている。
 でもずっと後ろを走っていた私は、何か落ちたらわかるはずだと思って、いつまであったか記憶をたどるように促した。どこどこの駐輪場では存在を確認した。どこどこの店では…と。店主のポケットには2枚のレシートが入っていた。
 落ち込む店主をしり目に、私は、とりあえずレシートの店に電話してみた。頼みの2枚目、マミーを購入したスーパーで、
 「セルフレジのところに小銭入れの落とし物は無かったでしょうか」 と尋ねる。特徴を言うと、「はい。お預かりしています。」 と言う。名前と電話番号を伝え、
 「今日は無理なので、明日行きます」 と約束して電話を切った。店主の暗い顔が、一気に輝いた。
 安堵が拡がったのもつかの間、店主はその晩またインターネットの地図に向かう。
 「あって良かったね」とのんきに言う私とは対照的に、ただ取りに行くのではもったいないと主張する。車で行けばすぐだが、店主は転んでもただでは起きないのだ。くだんのスーパーの近くに、まだ行ったことのないメキシコ料理の店をみつけた。
 一夜明けて今日は、昨日より少し早く出かけた。
 荒川土手では、昨日とは別の自治体がマラソン大会をやっていて、少年少女たちはグランドでそれぞれのスポーツに興じている。昨日と同じような好天のもと、昨日と同じ場所でラジコンカーを走らせているおじさんがいた。
 昨日のデジャブのような土手道を抜け、店主の頭の中に描かれたルートに沿って江戸川区の街を走る。
 江戸川区自然動物園で自転車を降り、無料の園内に入ると、ちょうど10時からのペンギンのエサやり解説をやっていた。じっくり観察して、店主は飼育員さんにいろいろ質問していた。
 笑いカワセミの「カッカッカッ」という笑い声を聞くと、隣りはコウノトリとトキの檻だった。ここにも飼育員さんがいて、店主が質問する。コウノトリ舎は広さがあるので別の種も飼いたいが、コウノトリはけっこう気が強く、同居の鳥をいじめるのでそれが難しいそうだ。今一緒にいるトキは性格がいいのか、このコウノトリともうまくやれているという。鳥にも相性があるのだった。
 ひととおりかわいい動物たちに癒されて、次はメキシコ料理店へ。昨日の事情からか、
 「ここはボクが払うよ」 と店主が言う。気持ちよくお腹いっぱいいただいた。
 お腹いっぱいになったのは、一人前と思って頼んだタコライスが、オーダー後にメニューを見たら、2・3人用と書いてあったからだった。別に注文した料理についていたスパイシーなチリコンカンとサルサソースにアボカドディップがいいアクセントになって、全てぺろりと平らげた。 11時に入った時にはすいていた店内も、11時半の出発の頃にはポチポチ席が埋まっていった。
 昨日のスーパーのサービスカウンターで、忘れ物の小銭入れを受け取り、本日の目的は達成した。せっかくなので、そのスーパーで、会計は店主もちで野菜を少し購入した。
 「これでちょうど、この小銭入れに入っていた現金分がカラになった。」
 と店主が言う。そして大事にしていた小銭入れが残ったのだから、めでたしめでたし、である。
 計画通りまた土手づたいに帰路につき、通常通り店を開けた。
 波瀾万丈ながら、人の情けでサイフが戻り、幸せをかみしめる二日間であった。

1月6日
 山椒魚は悲しんだ。
 朝方、店主が、「怖い夢を見た」という。
「ウルトラマリンブルーの洞窟みたいなところに行って、最初はとてもきれいだったんだ。奥へ入ってゆくうち、どんどん狭くなっていって、出たいんだけど、手を伸ばしてもがいても出られないんだ。苦しかった…」
 井伏鱒二の『山椒魚』の書き出しのフレーズが頭に浮かび、
 「山椒魚は悲しかった」 とつぶやくと、「?」の顔をしたので、「ホラ、井伏のだよ」と、『山椒魚』のあらすじを話した。店主は、
 「胸苦しくて、夕べ食べすぎたかな。お腹がふくれて洞窟から出られなくなっちゃうな。今日は節制しよう。」 と言っていた。
 いつも「明日は何食べようかな」と前日から献立をたてている店主にしては珍しく、飽食を反省しているようだった。
 それからしばらくして、洗顔や身支度をすませた店主が、せいせいした顔で言った。
 「イヤ、着換えようとしたらさ、厚手の下着が一枚、胸の下までぐるぐるってたくし上って、浮き輪がはまったみたいになってたんだ。それで苦しかったんだわ。」
 昼食時には嬉々として台所に向かい、チャーシューと なると、ネギにキャベツと焼そばをみじん切りにして、ごはんと卵も入れて、そばめしを作っていた。
 山椒魚は悲しんだ…。 私は『山椒魚』をも一度読み返した。

1月1日
 謹賀新年。
 2023年は日曜日から始まる。壁掛けのカレンダーの数字が、左上からやけにお行儀良く並んでいる。
 朝からよく晴れていて、店主と近所の神社へ出たついでに、荒川土手まで散歩の足を延ばす。土手上の道から河原へおりる階段の手前で、「もう、てんとう虫いるかな」と店主が言う。
 「まだ冬眠してるよ」 と言いつつ、目を草地に向けると、
 「あ、いたよ」 と店主の声がした。あわてて背のリュックからてんとう虫用の不織布を出す。まだいないよ、と言いつつ、袋は常備しているのだ。
 足元で、濃いピンクの小さな花をつけているホトケノザの葉の上に、てんとう虫がとまっていた。周りの葉も見ると、近くにもう一匹てんとう虫がいた。
 「私も見つけた」 と声が弾む。
 二匹のてんとう虫を不織布に入れ、口を閉じる。同じ場所で二人とももう一匹ずつ、計四匹を捕獲した。
 目をこらしても、きれいに草刈りされた土手の他の場所には、てんとう虫はいなかった。陽当たりのいいあの地点はラッキースポットだったらしい。
 1月1日に見つけたてんとう虫が、いい一年になる予感を運んでくれた。
 昨年中はせっせと採取したてんとう虫のおかげで、アブラムシのいない小庭を楽しめた。でも、アブラムシも全然いないと、てんとう虫のエサがないと気づき、先月店先の寄せ植えの鉢にノースポールを一株入れた。
 アブラムシのつきやすいノースポールやマーガレットは敬遠していたのだが、年末から早くも出てきはじめたアブラムシ君にも、今年は寛大でいられそうだ。
 まだしばらく寒い日が続くけれど、春の観察の楽しみが、ひとつ増えた。

12月のユーコさん勝手におしゃべり
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