ユーコさん勝手におしゃべり

8月25日
 お客様の注文の本を取りに書庫へ行く。本を選んでの帰りに近所の高齢者デイケア施設の前を通ると、はきはきとした声が聞こえてきた。
 「『あぶり カルビ』 言えますね?」
 指導役の女性スタッフが椅子に座っている。よく体操をしているが、今日のは脳トレの一種なのだろう。
 「それじゃあ、唱和しましょう。
 あぶりカルビ あぶりカルビ あぶりカルビ…」
 通り過ぎながら、私もつぶやいてみた。
「あぶりカルビ」意味は分かる。焼肉屋さんで注文するかのように言えばいいのだ。でも口に出して言ってみると、すこぶる難しい。
 文字や現物写真を見ながら言えば言えるかもしれないが、そらんじては言えない。やぶれかぶれで あぶりかぶり になってしまう。
 店に戻って、店主に、「あぶりカルビって言ってみて」 とゆっくり言う。
 「何だそれ」 と言いつつ挑戦するが、何度試してもスラっとは言えない。
 「すごいな高齢者」と感心しきりだが、言えなくて笑いあえるのが一番の脳トレになりそうだ。
 忙しくて頭が疲れたと思った時、気分転換に口に出してみる。
「あぶる」と「カルビ」のたたかいは、今の夏の大気と秋の風のせめぎ合いのようで、どちらかがどちらかに引っ張られてしまう。
 「あるびかぶり」とか「あびるかびる」とか、マヌケな音をつぶやきながら、本の詰まった階段を上り下りしている。そんな自分に笑ってしまう。
 通りがかりに手に入れた、煮詰まった時に自分を解放する良いおもちゃことばである。

8月22日
 このあかるさのなかへ
 ひとつの素朴な琴をおけば
 秋の美しさに耐えかねて
 琴はしずかに鳴りいだすだらう
      (八木重吉「素朴な琴」)

 先週から夕方になると、リリリリリ リリリリリ、と虫の声がする。下町の家と家との間の小さな空き地から、毎晩決まって明け方まで声は続く。
 同じころに、ハンギングプランターのクサリに一匹、ショウリョウバッタがつかまっているのを見つけた。小さくて茶色い個体だ。おととし小庭をリニューアルする前には、よく緑色のバッタたちを見たが、はじめから茶色いのは初めてだ。しかも毎朝水やりの時に、同じプランターのクサリに鎮座している。
 「今までどこに居たんだい」 と聞いてみたいが、意思の疎通はできない。ピンクと黄色のカリブラコアの鉢が気に入っているようなので、ホースの水圧でぶっ飛ばしてしまわぬように、そっと水をやる。
 入れかわりに、朝のきっかり5時からあんなにうるさかった 店の裏の地区センターのケヤキでミーンミーンと鳴くセミの声がやんだ。
 いつまでも続くように思われた今年の夏も、どうやら収束してゆくらしい。
 そういえば先日バイクで郊外に出た時、東北自動車道沿いで、今年初めての稲刈りを見た。緑から薄茶まで色とりどりの田んぼが一面ひろがっていて、今の季節ならではの美しさだった。
 目を開いて、風を感じて、この日々の変化をたのしもう。

8月12日
 昨日のこの欄に書いた通り、満月到来の朝、ポンポンと小庭の人工芝の上にカメのたまごが並んでいた。その数12個、いつもは水中で産むのに、今回は地面にあった。芝の上にきれいに並べて、自分は水桶に入ってエサを待っている。
 エサを入れてやると、軽くなった体でバチャバチャ水をはねかしながら たいらげていった。やっと自分の身にやって来た平穏を、全身の力を抜いて楽しんでいるようだった。何にもならないたまごだけれど、今回も記念撮影。


 今週は、波乱の1週間だった。
 月・火曜はあまりの暑さに東京脱出して、奥日光に逃げ込んだ。早朝3時過ぎに、店主の運転する車で出発、東北自動車を北上して、いろは坂を上がると一気に涼風が身を包む。
 中禅寺湖畔でひと休みして、半月山山頂までハイキングを楽しむ。山道に弟切草の黄色が鮮やかだった。
 再び車に乗り、湯ノ湖畔まで高度を上げる。いつものようにシートを広げて、壮大な景色を眺めていると、湖の前にお焚き上げの木枠や結界が築かれていく。以前にも立ち会ったことがある温泉寺の大護摩講だ。
 年に一度8月8日に行われるのだが、お盆休みの混雑前で下界は暑さのピークにあたり、ちょうどその年も、その日に私たちはこの場所にいたということだ。湖の洪水とそれに続くコロナ禍で、湖畔での開催は5年ぶりだという。
 遠く温泉寺の方から山伏たちの吹くほら貝の音がしてくる。準備が整ったところで見学に行く。木枠の上に杉の枝葉が積み上げられたところへ火をくべると、もうもうと白い煙が上がる。
 天に向けて、矢が放たれる。東、西、南、北、全体と全部で5本の矢がある。
 さいしょに矢羽根を青く染めた矢が東に向けて放たれ、落下したそばの男性がそれを拾った。私の隣りで見ていた小学生の男の子が、「あれ、もらっていいの?」とママに聞く。ママが首をかしげているので、私が、「もって帰れるよ。ご利益あるよ」と声をかける。男の子の顔が輝いた。ママは、「いいよ、いらないよ。危ないからやめなさいよ」と言っているが、二の矢が放たれると、男の子はそちらの方へ駆けて行った。残念ながら、矢は成人男性の手へ。
 ママのもとへ帰ると、「もう、いらないからね」と言うママに耳を貸さず、三の矢の落下先へ。やはり競ってとる大人に勝てず。
 最後の五の矢の時、焚きつけちゃって悪かったかなと反省し始めた私の横から駆け出した彼は、五の矢の落下点へ行く。中年男性と同時に矢に手がかかり、さすがに大人が彼に譲った。「そうそう。子どもに譲った方が御利益は大きいよ」と周りの誰もが思った瞬間だった。
 意気揚々と矢羽根が4色に塗られた矢をもって帰ってきた彼に、お寺の方が駆け寄って、「よかったね。がんばってたもんね。」と声をかける。「これは一生ものだから、おうちの仏壇か神棚のそばに飾っておいてね」とおっしゃった。
 実は以前の護摩講の際、葦の原へ落下して見失われた矢を一本、あとで店主が捜して持ち帰っていたのだ。翌年とかにお寺に返すものなのかな、と思っていたので、一生ものと聞いて、私もほっとした。
 さいごまで見ていた人の中に子どもはほとんどおらず、矢を手にした唯一の子どもだった彼は、とちぎテレビとNHKのインタビューを受けて、いちやくその場のスターになっていた。さっきは止めていたママも、「おばあちゃんちの仏壇に飾ろうね」と、前向きになって、めでたしめでたしだった。
 その後は、広げたシートの上で、何もしないためにそこにいる、という避暑旅の王道を満喫した。その晩は、硫黄の温泉に浸かって、湯ノ湖の宿に泊まった。火曜の夜、東京へ帰り、熱帯夜と灼熱の昼をひたすら仕事をしてやり過ごす。
 月が明るくなっていて、満月の日を確認する同じネットのニュースで台風の接近を知る。不安定な大気で、見られるかなと心配した満月は、空にしっかり浮かんでいた。そして、カメはそれに合わせるかのように、産卵した。
 台風到来の直前の空に満月。天のことは天に任せるしかない。
 でもどうか、台風の被害は、小さく済みますように。

8月11日
 月がきれいな季節になった。
 自然災害が多く せつない夏だが、ゆっくりと、8月が通り過ぎようとしているのが、空からわかる。
 まったく個人的な季節の移ろいだが、寝室の窓から月が見えるようになったのだ。南向きの窓枠内に冬は月がない。冬は障子も閉めきりなので、わざわざ立ち上がって窓を開けて月を探すこともない。
 8月に入ってから、夜開け放した窓枠の中に月が登場するようになった。
 あまり暑い日は窓を閉めてクーラーをかけてしまうけれど、夕べはいい風が吹いていた。
 窓際のふとんから明るい月を見上げて眠った。満月まで、もうあと一歩、左側が少し欠けた麗しい月だった。
 小庭の飼いカメは、10日ほど前から3回目の産卵態勢に入っている。後ろ足を盛んに曲げ伸ばしして踏ん張っているが、なかなか出ないようで、エサも少ししか食べられない。
 明日の朝の満月とともに、ポンポンとたまごが出てくれるといいな、と期待している。

8月7日
 猛暑と猛暑のはざまに、ぽっかりと数日涼風が吹いた。
 酷暑の中入りとなった昨日の朝、自転車で荒川土手に出た。土手を海に向かってしばらく走り、荒川と旧江戸川を結ぶ新川に入る。新川の両岸には、金魚ちょうちんがズラリと下がっていた。江戸川区は金魚の産地なので金魚ちょうちん祭りがあるそうなのだが、今年はコロナで祭りは中止で、飾りだけが静かに可愛く揺れていた。
 いつまでも果てなく続くように思われた猛暑と日照りが、数日前の一回の大雨でピタリとおさまって、涼風が吹いている。風雨が熱くなった建物の壁や床を冷やす。
 暑さが続いたころ、冷房の利かない階段で、仕入れた本を積み下ろしする作業中は汗をたらさぬようにタオルが欠かせなかった。「記録的短時間大汗警報だ」なんて言っていた。
 それが一変した。天の力には、とてもかなわない。

 そして今朝、カレンダーを見ると、「立秋」と書いてある。
 猛暑があって、中休みが入り、また酷暑がやってくる。今日は、暑中と残暑の分かれ目の日だ。 暦ってすごいな。
 改めまして、残暑お見舞い申し上げます。

7月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の「おしゃべり」