ユーコさん勝手におしゃべり

4月24日
 今朝、3階北側の窓辺で歯磨きをしていると、外から"チッ""チッ"とかわいい声がした。そっと窓を開けると、道を挟んで向かい側に立つ電柱の変圧器のあたりで、二羽のスズメが鳴き交わしていた。ふくふくと体をふくらませてアピールしている方がオスだろう。
 しばしたわむれて、変圧器の中をのぞき、飛び去った。新居の内覧会かな、南向きで安全で、いい物件ですよ、と心の中でスズメに伝える。
 3階の窓のすぐ前にある変圧器は、時々スズメの住まいになっている。ヒナの鳴き声や、かいがいしくエサを運ぶ姿は、いつも朝のいやしとなる。
 昼前に階下に降りて、小庭で花柄摘みをしていると、一羽のスズメがやってきた。変圧器の方へ飛んでゆくその嘴にビニールの小片をくわえている。これはイケナイ。本人は透明できれいなヒナ用シーツと思っているだろうが、ビニールは蒸れるし、雨が降ったら水がはけないからダメなのだ。
 変圧器の下の狭いパイプの中へ入ろうとするが、横向きにくわえたビニールが大きくて入らない。ここで驚かしたら、口からは離すが、もうここへは来ないだろう。ビニールを新居に入れようと、二度三度とがんばるスズメに、どうしたらいいかとハラハラしていると、パラリと口から落ちた。いそいで電柱の下まで走って、足で踏みつけて拾い上げた。タバコかチョコレートの箱についているセロファンのようだった。
 スズメの側からしたら、私はとんだいじわるバアさんだろう。もしことばが通じるなら、「セロファンは身体に悪いからやめときな。ここのハンギングプランターのヤシの実繊維なら、むしって持って行ってもいいんだよ。」 と伝えたい。

4月23日
 朝、堀切菖蒲園へ散歩に行く。
 ふわふわと綿毛が飛んで、菖蒲田の方からハス池に向かってただよっている。
「タンポポ?」と思ったが、よく手入れされた園内にタンポポはない。タンポポの綿毛よりムクムク柔らかな綿毛は、柳の木から飛んでいた。
 中国の詩にある柳絮(柳の雪)である。晩秋の都立水元公園、メタセコイヤの森に降るオレンジの雨との出会いを思い出す。
 年齢を重ねカレンダーを積み重ねてきた分だけ、季節の愉しみは増えてゆく。 四季の移ろいは、いつも同じルーティンだが、毎年少しずつ新しい出会いがある。世の中は、知らないことだらけだ。

4月21日
 うれしいお便りをいただく。
 以前本を送ったスイス在住のお客様から、このコーナーを見た旨のメールがあり、さいごに
 「ここにも春は確実にやって来てます。ツバメも来てます。」 とあった。
 この一文で、目の前にスワっとスイスの風が吹いた。そういえば、三月には野辺のクロッカスの写真を送っていただいて、同じようにうれしく、何度も見返した。
 「どこも つながっているんだな」とひとしきり感慨した後、ツバメの経路などをちょっと調べてみた。
 すると、ヨーロッパのツバメは、尾羽が長く左右の長さが同じオスがもてるので、尾が長く、左右対称に整っていき、日本に来るツバメは、のどの赤い羽毛があざやかに濃い程メスにもてるので、のどの赤が大きいのだそうだ。さらに尾羽の白斑も大きい。北米に飛来するツバメは、腹面の羽色が濃い方がもてるのだという。
 もてるオスの子が代々繁殖してゆくので、同じツバメでも、欧州のは、スタイルがシュッとしていて、日本のは色重視らしい。
 食べる虫の違いや、街の造りの違いが反映するのか、ヨーロッパのツバメは、飛行中鋭角的に曲がり、日本のツバメは、より滑らかに滑空してゆくようだという記述もあった。
 子孫をつくり、また同じ場所へ戻るので、価値基準の違いを自分たちは知らずに生きている。 たまに、その地では基準外の個体をどうしても好きになって結ばれるカップルもあるやもしれないが、それはそれで麗しき自由だ。
 人間は、どんな地域でも何代前でも、何もかもを知りたがって、いったい何を目指しているんだろう。

4月20日
 今日もお昼は店主が作ったお好み焼きだった。
 しまなみ海道旅が終わった帰りの新幹線の中から、「明日つくってみよう」と言っていたけれど、その時私の耳は右から左へ聞き流していた。
 もともと東京風のお好み焼きは店主の得意料理の一つで、旨さとボリュームに定評があったのだが、今回のカルチャーショック後、キャベツ・豚バラ・焼きそば・卵のご当地お好み焼きへの挑戦がはじまった。
 とてもおいしい、と思うのだが、本人はいつも、「ここがどうも上手くいかない」と、それぞれの具材の焼け具合に不満があり、再挑戦が続いている。
 わたし的には、おいしくて らくちんなので、大歓迎である。

4月15日
 旅の印象は、つばめにあげは蝶。
 先週末に4日間の休暇をいただいた。父の最晩年と重なって始まったコロナ禍を経て、数年ぶりの遠出旅である。
 行き先は、以前から店主の念願だったしまなみ海道、店主は地図と地域情報に首っ引きで下調べをした。
 私は前日に、店横の小庭で今を盛りと咲いているビオラの花を摘み取り、茎を持ち上げて、水につけておいた新聞紙を花の根元に詰め込んだ。
 4月7日の朝、新幹線に乗り広島県・福山へ向かう。その日は一日観光客となり、鞆の浦など散策した。鞆の街には、無数のつばめが、いい声で鳴き交わしていた。 地元の堀切菖蒲園にもつばめは来るが、今年はまだ見かけない。
 あげは蝶の姿とつばめたちに、南下してきた旅程を実感する。着てきたジャケットも脱いだ。
 旅の二日目、日の出とともに、福山から尾道へ移動して、荷物を尾道駅のコインロッカーに預け、7時前に電動自転車を借りる。
 広島・尾道と四国・今治をつなぐしまなみ海道を、自転車とフェリーを駆使して二日間で走りきる計画だ。パンフレットの推奨ルートを土台に、店主がその日の風向きを考えて練り上げた順路に従って、フェリーに乗り因島経由で四国今治までゆく。 初日は、今治港から自転車で生口島まで走ってフェリーで尾道まで戻り、二日目は尾道から生口島までを走る予定である。
 朝、因島の北方の重井東港から海岸沿いを走り、今治行きのフェリーの出る南側の土生港まで行く。 途中、因島公園の天狗山展望台へのぼると、山頂で写真を撮っている人がいた。店主が声をかけると、地元出身のカメラマン氏であった。
 「今 一番いいところは どこですか」と聞くと、新しくできたばかりの橋からの眺望だと教えてくれた。 旅に出るといつも、店主はあいさつを交わし情報を得る。私はそばでその話を聞きながら、周囲1mの花や虫を観察する。
 初日の帰路、フェリーを待つ間、瀬戸田港のターミナルで、地元のおじいさんと話をする。初めて喋った人なのに、どこかで聞いたことのあるいいまわしに記憶をたどる。たまにうちの店に来るお客様の女性と同じトーンだった。その人独特の語り口調と思っていたものが、故郷の色なのだと気づく。方言というのとも違う、その土地がまとわすニュアンスである。
 三日目の朝、港に向いたホテルの窓から、朝日ののぼるのを見る。この日も電動自転車を借りて、フェリーに乗り、自転車で橋を渡ってゆく。どこへ行っても、海と空と島々が美しい。
 因島で名物のはっさく大福を買って休憩中、店主が広島のサイクラーと話をする。この方も、お勧めは新しくできた岩城橋だという。カメラマン氏と地元サイクラーのWの出会いで、店主の頭の中の地図が動き出す。
 練ったルートも臨機応変、本日の走行は、しまなみ海道プラスゆめしま海道となった。これもみな、電動自転車のおかげである。自分の脚力だけでは、とても渡橋のアップダウンは乗り切れない。
 橋とフェリーで岩城島へ渡り、3月20日に開通した岩城橋で岩城島から生名島へ向かう。島から島へかかる橋からの景色に感嘆しながら、生名島—佐島—弓削島をめぐる。こうして、しまなみ・ゆめしま両海道を走りきり、夕方6時に自転車を返却した。日が長くなって6時でもまだ明るく暖かい。駅ビルの地下で寿司弁当を買い、尾道水道沿いの公園のベンチで夕食をとった。
 二日間走行距離144キロの自転車旅が終了し、二人してお尻が痛いと嘆きながら笑った。
 最終四日目の朝もホテルから朝日を見る。明日からまた、建物に囲まれてどちらが西やら東やらわからない日々に戻るのだな、と思いつつ荷物をまとめる。この日は、尾道千光寺へロープウェーでのぼる予定だったが、早朝 散歩に出て、そのまま千光寺まで歩いて登ることにした。結果オーライで、文学のこみちを巡る楽しい道のりであった。いったんホテルに戻って、駅へ行く途中、林芙美子記念館に寄った。
 尾道から山陽本線で福山へ行き、駅前の広島県立博物館へ向かった。昨日までの144キロ走行と早朝散歩で体はクタクタだったが、来るまでは知らなかったこの地域の歴史に目を開かされた。草戸千軒町遺跡は、旅の初日に通ったところで、そのすぐ近くのホテルに泊まったので、再学習できて印象に残った。
 温暖晴天に恵まれた四日間だった。出るときは心配していた小庭のプランターだが、濡れ新聞紙が良く働いてくれた。花壇は満開で、行く時は咲いていなかったミニチューリップも色とりどりに開いていた。
 出かけている間に、季節が一歩進んだようだ。また自分も一歩、進んでいこう。
 店主は、何度か食べたお好み焼きを研究中だ。

3月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の「おしゃべり」