ユーコさん勝手におしゃべり |
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5月31日 つばめの巣は、大にぎわいで大さわぎ。 少し前まで黄色い口元ばかりが目立っていたヒナたちは、ぐんと大きくなり、もうどれが親やらヒナやらわからない。かしましく顔をつき出して親鳥からエサをもらっているところへ、また一羽、次に一羽と巣に飛んできて、そのたびヒナたちは打ち騒ぐが、後から来たつばめは、給餌するでもなく近くを飛び回って様子を眺めているだけ。 たぶん、今のヒナたちは第二弾の子たちで、お兄ちゃんお姉ちゃんたちがいるのだろう。巣立ちたての子たちは、何とか巣に入りたがって近くを飛ぶのだが、すでに巣は満杯で、エサをやりに来た親鳥でさえ中に入ることができない。 ツピツピ チュルチュル元気な声が、駅のガード下にこだまして、コロナ禍で菖蒲まつりのない堀切菖蒲園の駅舎を励ましている。 5月27日 五月は、たくさんのてんとう虫。 店横の小庭の草花を、春の花から夏向きに植え替えてゆく。 プランターからビオラを抜いて、ビニール袋に入れるとき、てんとう虫がついていないか確かめる。アブラムシ対策で、いろんな河川の土手のくさはらから連れて来たてんとう虫たちである。働き者のてんとう虫たちのおかげで、春の庭にはさいごまで、ほとんどアブラムシの姿を見なかった。功労者の彼らには、これからも元気にお庭に居ついてほしいので、バラやハニーサックルの方へ移動してもらう。働き者だが隠れるのも上手で、移すとすぐ見えなくなる。 「かわいいなあ。ありがとうね。」 と小さく声に出してお礼を言う。言葉が通じるとも思えないが、きっと通じている。 アブラムシはいないのだが、今年は花や葉を食べる青虫たちが、いつもよりたくさんいる。欠け欠けの葉や花に ため息も出るが、蝶になって戻ってくると信じてがまんする。 「これはどんな蝶かな」 と想像するのも楽しい。 遠くへ行けない五月だが、店主はせっせと地図を読み、自転車でまわれる範囲の川づたいの道を周りつくす。 私は、てんとう虫を入れる不織布の袋をもってせっせとついてゆく。いつしかサイクリングはてんとう虫探しの旅になった。 「ここ、いいんじゃないか」 と店主が自転車をとめる。 「うん。でも、もうアブラムシいないし、食べものがなくなっちゃうから、いいよ」 という会話から、てんとう虫の居場所の為に花鉢をもうひとつ増やすことになった。 本末転倒、とはいえ、今までアブラムシがつくからやめとこうと敬遠していたコスモスを、一鉢植えてみようかと考え始めた。 5月6日 「そばが食べたいなあ」 と本の梱包用の箱をつくりながら店主が言う。 「きのう食べたじゃない。お昼に」 と私が言うと、 「そうじゃなくて、○○屋の、」 と店主が手をとめる。 山にたくさんの桐の花が咲く光景が目に浮かぶ。 「遠いね」 と応える。一年半前まで、北関東にある気に入りの蕎麦屋へ年に何度となく出かけていた。 「遠いな」 と言って、店主はまた仕事に戻った。 そばを食べたいがために、博物館やらハイキングを折り込んだ旅の計画を立てる。花を見て樹木に癒され、温泉に入って帰る。 今となっては、遠い別の世界のことのようだ。 コロナウィルスは衰える気配をみせない。 それでも、東京にも風薫る五月はやってきた。公園に行けば、スダジイの花の香り、バラの芳香が満ちている。 荒川土手を自転車でゆけば、椋鳥が小さな蝶を捕まえるところだった。自転車をとめて、椋鳥のハンティングを観察した。野原にてんとう虫の姿もみられるようになった。 しばらくは足元の自然で心の均衡を保とう。 いつかまた、大きな山の、広大な湿原の、盛大な自然を身に浴びて、おいしいおそばを、食べたい。 4月のユーコさん勝手におしゃべり |