ユーコさん勝手におしゃべり

4月25日
 つばめは、常と変わらず やってきた。
 お客様の本を発送しに郵便局へ行く時、堀切菖蒲園駅前の信号を渡る。いつものように信号待ちをしていると、ツーイと視界を横切るものがあった。
 「つばめだ。」 と去年巣のあった高架下の電灯を見上げた。先々週のことである。その時、巣は去年のオンボロのままで、中央部分は はがれ落ち、とても子育てゆりかごの体裁ではなかった。
 それから数日、飛び交うつばめの姿を何度か見かけるうち、先週半ばには、巣はすっかり修復再建されていた。どこかからくわえて来た土で地道に塗り上げられ、すでに抱卵しているようにみえる。つばめは、世の中の騒ぎとは無縁に、一心に日々の暮らしを守っていた。
 東京に緊急事態宣言が出された。昨日突然、古書店にも休業協力要請のメールが来た。
去年のデジャブだ。
 一年前のゴールデンウイークも、店を閉めて、本の送りに専念したっけ。
 本の梱包が終わったら、集配の時間に合わせて郵便局へ行く。自然とつばめを探す。明るい鳴き声のする方に、つばめがいる。見上げた先にいると、気持ちが明るくなる。
 今年も去年と同様に、台所の窓辺に切ったにんじんの頭を並べて、ミニ菜園をつくった。店横の小庭には、カメと植物が日々世話を待っている。
 上を向いて、目の前の楽しいことを探して、常と違う二年目の初夏を過ごそう。

4月16日
 本は、時間をとめて、待っていてくれる。
 現実の時間は、常に流れていて、戻ることも止めることもできない。
 本は、しおりを挟んだところで時をとめ、次にページをひらくまで その時間にとどまる。ページを開けるとちょうどそこから また動き出すが、もし忘れてしまっていたり、確かめたいことがあればペラリとめくって時を戻すことができる。
 本を閉じてから、次に開けるまでの間隔も自分次第で、ある所で先に進まずじっくり余韻を楽しんだり、寝ながらぐるぐる考えたりできる。
 今寝室には、カズオイシグロの『クララとお日さま』と田辺聖子の『小町盛衰抄』が置いてある。日本神話からはじまる遠い過去と、異国の近未来が、互い違いに あるいは頭の中で一時に、本を読むために実際に流れる時間より時をかけて、行きつ戻りつすすんでいる。

4月13日
 昨日、千葉方面へバイクに乗って出かけた。佐倉でチューリップを見て、千葉市のさとにわ耕園で芝桜を楽しむ。花の香りの甘い風に吹かれて、しばしの時を過ごした。
 田に水が引き入れられ、丘は様々な緑に色どられている。郊外に出るのは久しぶりで、「いい季節になった」と何度も深呼吸した。
 昼には帰宅し、そそくさと店を開けたが、半日でも、田畑の景色は目と心の保養になる。
 病めるときも健やかなるときも、子どもの時からずっと、紙に文字を書いてきた。この「勝手におしゃべり」を始めてから20年、思いつきは絶えずここに書かれた。今月に入って、気付くと13日がたち、「こんなに書かなかったのは初めてかな」と自分で驚いた。真綿で絞められるようにじわりとコロナ自粛が迫っているのかしら。
 先日の夜半、眠っていたのが、夢の中で「一句できた」と思って目が覚めた。枕もとの紙にボールペンでそれを書き、翌朝見ると、暗い中手探りで書いたので、字が汚い。やっと読むと、
 コロナ二年  桜の下で めし食わず
と書いてあって、笑った。
 河津桜の咲いた早春に、旧中川土手の桜の下でお弁当を食べたし、染井吉野はどこにも咲いていて楽しんだ。
 とはいえ、去年今年と、深層心理的には花見気分レベルになっていなかったということだろうか。
 それでも日々の喜びはある。
 今日は、小庭でブライダルベールの最初の一つが咲いた。昨年、実家の庭から一枝だけ拾って、ハンギングプランターの隅に挿しておいたのが根付いたのだ。群れなして咲くものでも、最初の一つはうれしくて、見つけると「ア」と声が出る。
 さて、次は何が私を驚かせてくれるだろう。自ら未来の仕掛けを作りつつ、目をこらして過ごそう。

3月のユーコさん勝手におしゃべり
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