ユーコさん勝手におしゃべり

8月25日
 ヘンテコリンな夏だった。
「危険な暑さ」 と報道が連日言う。最初は抵抗なく目や耳に入ってきたが、「危険な」は暑さにつく形容詞じゃないぞ、と、ある時急に違和感を覚えた。
 耳で聞いた音を、「危険な熱さ」と頭の中で文字化していることに気づいたからだ。
「危険な熱さ」は、火にかけたヤカンや高温の温泉に触れるときに使う。インフルエンザで高熱を出した時にも、だ。気温の時は、暑さ、じゃないかと考えながら、夜のバス停でバスを待っていた。
 毎日気温が体温を越え、「暑さ」ではもう間に合わなくなった。確かにアスファルトの道路は熱い。「キケンなアツサ」は今夏の脳内漢字変換さえも変えた。
 23日は雨が降り、気温が下がった。その日の報道は
 「8月に入ってから、東京で、真夏日でないはじめての日です。」 と言った。
29.7度の最高気温を、涼しい、と感じる程 暑い8月だった。
 7月は肌寒い雨ばかり、8月は23日になるまで連日の日照り、これからどうなるのだろう、と雨上がりの空を見た。
 三日月が輝いていた。 確かに秋の月だった。
 熱帯夜続きで夜空を眺める気にもならないうちに、天は季節を進めていた。23日の雨を境に、朝晩の風が涼しくなった。日の傾きがかわり、昼間の長さが短くなるのを感じる。
 ヘンテコリンな2020年の夏も、そのうち ひとつの思い出になるのだろうか。

8月9日
 極端な気象とコロナ禍にみまわれ、すっかり乗らなくなったバイクに 店主が久々にエンジンをかけた。密を避け、近郊の岩礁を目指すという。
 帰宅後、「どうだった?」 と聞くと、「それがさ…」 と話し出した。

 行った先のセルフのガソリンスタンドで、朝 給油して、一人で走って、帰る前に同じスタンドに入ったんだ。給油していると、スタンドのおにいさんが、後ろから
 「おかえんなさい」 っていうんだよ。
 「えっ?」 って驚いちゃった。

 「朝も、来ましたよね」
 「あぁ、よく覚えてたね」
 「朝は、コレ、着てましたよね」 とバイクの後ろにくくりつけていたジャケットを指さした。
確かに朝は着ていて、暑くなって脱いだのだった。
 おにいさんはタイヤを見て、
 「随分 攻めましたねぇ。この辺でここまで倒せるのは、○○山あたりまで行ったんですか?」 という。
 「そう、○○山も通ったよ。今日はそのもうちょっと南まで。」
 スタンドに併設のショッピングセンターで、しばし休憩したかった店主が、彼に
 「どっか日陰になる駐輪場ないかな」 と聞くと、
 「この日差しじゃ、シート カンカンに熱くなちゃいますもんね」 と、しばらく考えて、
 「その角と次をこっちに折れて、まっすぐ行ったところにありますよ。」 と身振りを交えて教えてくれた。その通りに行くと、バイク一台分の日陰ができていた。その時間帯にその場所にできる建物のひさしの影だ。

 偶然で、匿名の、楽しい旅の出会いである。
 聞いているこちらまで楽しくなった。

8月8日
 8月は月とともに はじまった。
雨ばかりだった7月には、とんとお目にかかれなかった輝く月が、丸く空に浮かんだ。
 まん丸から だんだん細くなってゆく月が、毎晩寝室の窓から見える。
 小庭の飼いカメは、7月に3個、8月入ってから5個たまごを産んだ。今年は毎日ちょっとずつ産む算段らしい。はじめての年には、産前しばらくエサも食べずに苦しんで、一気にたくさんのたまごを排出した。
 今や産卵もベテランとなった。エサもきっちり食べ、うまいこと産みこなしている。
 今年の気候は、カメの産卵とは対照的に極端だ。
 7月は雨ばかりで、晴れ間も見せず、8月に入るとイキナリ晴ればかり。最初の数日は うれしかったが、1週間も続くと、好天とはいいがたい日照りである。この先1週間の予報も、晴マークが並んだ。
 高温注意情報まで発令される日々だが、カメはいっさい文句も言わず、小さな水槽の水につかってエサをねだっている。
 家の中に小さな平和のあるしあわせが、目のまわるような暑さと 汗の吹き出す忙しさを ふっとやわらげ、私の足を再び地につけてくれる。

7月のユーコさん勝手におしゃべり
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