ユーコさん勝手におしゃべり

3月31日
 三月がゆく。
 さくらの進捗もさることながら、今月目に留まったのはもみじの新芽だ。三月半ばに赤い小さな芽を見つけた。小庭のプランターにも、あちらにもこちらにも。
 実家ではちょうど、玄関を開けるとすぐ前に隣家のもみじの木が見える。新芽は小さいのにもうもみじの形をしている。イチョウも出立ての極少の時から二つに分かれたイチョウ葉の形をしているが、イチョウは黄緑の新緑で生まれるのに、もみじは赤く芽生え、成長とともに緑になり、老いて再び紅葉する。
 今うちのもみじは、中心が緑で周囲が赤いツートンカラーになっている。人間なら、間近に迫った入園式を楽しみにしている幼児といったところかな。
 実家のとなりの木は一足早く、入学を待つ幼稚園児くらいに育っている。
 桃の花が満開で、さくらも見頃、今春が、みなさまにとって、よい春となりますように。

3月21日
 気温が20度を上回り、空気があたたかい。飼いカメは夜も外で過ごすようになり、今年初めての食餌をした。アサリのむき身をちぎって、箸で口元に持っていくと、すぐに口を開けた。
 数日前は、食べたそうなそぶりだけで、口を開けても呑み込めなかったが、今回はすんなり受け入れ、アサリ一つでは物足りないようなので、カメのエサも追加する。今年は食べ始めが早い。
 桜の開花宣言も出て、これからは冷え込む日が来ても、寒の戻りとは言われず、花冷えと呼ばれる。この10日程の間に、自転車やバイクで出かけた先々で、ウグイスの声を3度聞いた。
 あちらの木の芽やこちらのつぼみに目が移り、心忙しい春がやって来た。

3月13日
 「ここは むかし、ボクが4歳くらいのころ、カメがいたところ。」
おとといの朝、店横の小庭を掃除していたら、前の通りから かわいい声が聞こえた。顔を上げると、駅の方へ歩く男の子とママのうしろ姿がみえた。保育園への通園路なのだろう。とすると、男の子は今5歳か。
 4歳の子にとって半年は、それまでの人生の八分の一にもなるのだから、「むかし」であたっているわけだ。
 保育園の散歩で店の横を通る園児たちにも、「チューリップのつぼみが出るころ、カメも出てくるよ」と約束してある。週間天気予報を見て、13日の朝に冬眠バケツを開けることにした。
 そして今朝、ふたを開けても、深い落葉とドロの中はシーンとしている。冬眠中のカメには気配というものがない。生きててくれよ と祈る気持ちでドロをさぐり、外に出した。まだ目をつぶったままのカメが、持ち上げられて迷惑そうに手足を動かした。一緒に作業をした店主と、
 「あー、よかったね」
 「またひと回り大きくなったみたいだな」
 「そうだね」 と声をかけ合った。
 おけに水をはり 放すと目を開け大きく伸びをした。洗うと、冬中ドロに包まれていた甲羅はツヤツヤになっていた。
 さっそく小庭の一部に柵をたてて囲いをした。数年前まで、冬眠すると前年までの記憶はリセットされて、一からのお付き合いだったカメだが、大人になって卵を産むようになってからは、冬眠前の記憶を保ったまま目覚めるようになった。
 店主や私の声がわかるし、柵が腐っていて昨年一度脱走に成功した場所も覚えていて、小庭に放すとさっそくその箇所に手や首をさし入れて点検していた。補強されて出ることはできないのだが、カメは小庭の構造をじっくり観察している。今年もカメと店主の知恵比べである。
 私たちが店に入ると、外から
 「あんたは元気でいいわねぇ…」
 とカメに言っているおばあさんの声がした。こうしてカメは結構いろんな人に話しかけられ、どんどん知恵をつけているらしい。
 まだ朝晩は寒いので、日が落ちると家に入れている。床におろすと、冬眠前にお気に入りだったラグの下へ、とっとともぐりこんだ。

3月12日
 寒暖差のある3月の暖の日がやってきた。自転車で江戸川サイクリングロードへ行く。江戸川土手を上流へ向かうと、菜の花が咲いている。右も左も葉の花の香りに包まれているうち、視界に入る鳥の種類が増えていく。
 都内から埼玉に入り、野田橋を過ぎたところで、ウグイスの初鳴きを聞く。目に入るもの、耳に聞こえるもの、車でもよく通る江戸川沿いの道だけれど、車窓からでは逃したものがたくさんある。
 ただペダルをまわし風を切る。江戸川と利根川の交わるところ、関宿城址で休憩した。ここも梅に菜の花が美しい。足が疲れた分だけ、心は軽くなる。
 ここちよい疲労とともに帰路に着いた。土手道から、街へ入れば、街路のモクレンがつぼみをふくらませている。これから、桃、桜と一気に街も明るくなるだろう。

3月8日
 季節の変り目で雨が多い。寒暖が入れ替りやって来る。
 前回の散歩時には知らぬ顔だった遅咲きの梅が、数日おいただけで枝いっぱいに花をつけ、香りを放つ。 雨上がりマジックだ。
 「三日見ぬ間の桜かな、だね」 とつぶやきながら、公園や路地を歩く。
 昨日は、また雨の一日だった。朝にうちに注文書籍の発送を済ませて、上野の東京都美術館へ「奇想の系譜」展を見に行く。
 大人気の展覧会で行列覚悟だったが、あいにくの天候のためか比較的すいていた。 若冲の細部まで手を抜かぬ技巧や、白隠の大胆奇抜な筆致に心を躍らせた。
 美術館を出て、上野の街で買い物をして、わくわくどきどきしながら「みはし」を覗く。店の前に行列ができていたらあきらめるつもりだったが、待ち人はなく空席ありだった。雨様々だ。
 甘味処のみはし本店はあんみつがおいしい。以前は時折いただいたのだが、最近は上野がにぎやかになって、たいてい店の前に人が並ぶようになった。店頭のおみやげ売店や近くのデパートへの出店もあるけれど、やっぱり本店の店舗で食べるのは格別だ。お茶もおいしいし、入れてくれるタイミングもいい。
 たまに入れたんだからと、「白玉クリームあんみつ」にした。 美味だった。
 展覧会や甘味処と、明るい話題をたくさん持って、入院中の父のところへ行った。
 季節も父の容態も一進一退だが、確実に少しずつ、春へ、快方へ向かっているのだと信じよう。

3月4日
 桜並木の河原に向かって、紙ひこうきを飛ばした。
 90機あまりの紙ひこうきがいっせいに、手からふわりと浮いていった。

 一週間程前、3月2日に千葉県鋸南町の保田川で行われる竹灯篭まつりに行こう、と店主が提案した。地元で頼朝桜と呼ばれる河津桜と土手の菜の花を、竹筒にろうそくを灯して愛でる祭りだという。離れて暮らす家人も誘って、その日車で出かけた。
 漁港で地魚を食べ、防波堤で釣り糸を垂らし、大黒山展望台へショートハイキングを楽しんだ。
 祭りの始まる3時過ぎに会場に着くと、意匠を凝らした竹筒が並び、人も続々集まってきた。イベントの一つに紙ひこうき大会があり、台の上に用意された折り紙やコピー紙で、子どもたちがひこうきを折っていた。
 「誰でも参加できますよー」 とアナウンスがあり、家人もひとつ折った。
 「4時半に締め切ります。優勝者にはすてきな賞品があります。どんどん参加してください。」 と司会の女性が声をかける。締め切りギリギリになって、店主が白いコピー紙を一枚とって、カンタンなひこうきを作った。 「これで出場しなよ」 と私に渡す。最初は「自分で出なよ」と渋っていたが、締め切り時間が迫り、
 「さぁ ふるってご参加くださーい。」 の誘い文句に、
 「じゃあ、行くか」 と重い腰を上げ、エントリーした。
 名前を書いたひこうきを受付に出すと、NO.が記入され、写真が撮られる。不正防止システムである。私は78番だった。 締め切りが迫るとパタパタと受付に人が集まり、90人ほどが道に並んだ。
 最前列に就学前から小学3年生まで、次の列に6年生まで、その後ろは自由で、体格年齢譲り合って、平和に並んだ。
 河原におりる道路から横に外れたら失格で、距離の長い順に1〜3位まで賞品がでます、と説明があり、「イチ、ニの、サン」でいっせいに天に向けて自作のひこうきを飛ばした。
 手から離れる時、
 「あ、とんだ」 と思って、うれしかった。でも後列から自分のひこうきがどこへ行ったかはわからない。落ちるものはすぐに落ち、飛ぶものはすーいっと風に乗っていた。舗装道路には様々な色のひこうきが散らばって、模様が描かれた。 家人と、
 「あれは、ダントツに飛んでるね。」 なんて話をしているうちに、メジャーが出てきてひこうきたちが計測された。 司会の人が、
 「はい。優勝は、78番 ゆうこさん。」 と言う。
 こんなにびっくりしたことが、最近あったろうか。「ええぇ〜」が第一声だった。あれよという間に3位までが発表された。すぐに落ちてしまったのか、すごく飛んだのに道を外れてファールになってしまったのか、悔しくて泣いている子がいて、何か申し訳なかった。
 表彰式で、のしを付けて化粧箱に入った章姫いちごをいただいた。2位が少年で、3位が地元の女の子だったのが救いだった。
 いちごはとても立派なもので、帰りの車の中がいいにおいになった。大粒で甘かった。
 翌日、優勝と書かれたのし紙をつけたいちごを少しと、家人と私の紙ひこうき2機を持って、入院中の父のところへ行った。肺炎で入院してから一週間たち、だいぶ回復して笑顔も出るようになった父と、病室で紙ひこうきを飛ばしてしばし遊んだ。
 父の入院から、気ばかり焦って緊張していた自分が、一日の休みで、すっかり解放され英気を養った。そして今日は私の誕生日、78番の紙ひこうきは、よい誕生日のプレゼントとなった。

2月のユーコさん勝手におしゃべり
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