ユーコさん勝手におしゃべり

2月23日
 先週私は風邪をひいていた。齢91で一人暮らしの父のもとへ風邪気味の身体で行くのは心配だったが、一人っ子の私にかわりはいない。マスクで鼻口をふさいで、「大丈夫 大丈夫」と自分にまじないをかけて通った。
 今週私は元気になった。父は少し咳をはじめた。私は父を医者に連れて行き、いつも通りに仕事をこなし、空き時間に梅の花を見に出かけた。成田山へ、湯島天神へと。
 父のところへ行くと、梅の話をした。
 風邪は静かに進行した。金曜日、毎日夕刻にかける電話の時の息づかいがつらそうだったので、翌朝早くに父のもとへ駆けつけ、病院に行くと肺炎の診断だった。入院の父に付き添いながら、
 「ああすれば よかった。 こうも できただろう。」
 と思いはつのる。でも周囲のサポートもありがたくしっかり受けて、自分に出来うる形はあれだけだった。
 年に一・二度の病は誰にでもある。誰のせいでもない。
 いつも全てを受け入れて、「ありがとうね」と言っている父を見習って、自分を納得させている。 時間は確実に流れ、老化にあらがう術はない。
 先月半ば、ここに山村暮鳥の詩をひいた。

  こんな老木になっても
  春だけは わすれないんだ
  御覧よ まあ、紅梅だよ           (山村暮鳥「雲」より)

 それと対になるような、もうひとつを、ここに載せよう。 題名は「桜」。

  さくらだといふ
  春だといふ
  一寸、お待ち
  どこかに
  泣いている人もあらうに           (山村暮鳥「雲」より)

 しばらくの間、一日を何分割にもして、違う自分を生きてゆく。

2月11日
 週間天気予報の雨マークが、ことごとく雪に変わって、寒い一週間が過ぎた。明日は、またつかの間 暖かくなるという。
 2月は逃げ月、あっという間に過ぎてゆく。もともと日数も少ないけれど、季節が揺れて、着る物やら、食べ物やら、寒暖の差でかわるものの手配に追われて、いつの間にか半ばになった。
 この分だと、気が付けば月末で、
 「また おひな様を出すのがギリギリになった」 と、今年も言うのだろう。
 実家の隣家から、お庭のきんかんの実をいただいた。毎日1・2コ、小さな太陽のような黄色い実を口に入れる。
 そっと噛むと、春に一歩、近づいた気がする。

2月7日
 立春の声を聞いて、季節がゆらぎ出した。
 ひたすら乾燥した晴れが続いた週間予報にポツポツ雨マークがみえる。
 立春の4日は、4月上旬並みの好天で、店主とハイキングに出かけた。逗子の二子山から森戸川林道をめぐる3時間あまりの道程だった。
 途中何度も、尾がふさふさしたタイワンリスをみかけた。野鳥もリスも春が来るのをことほいでいるようだった。
 二子山山頂へ、私たちと相前後して登った健脚に、店主が年齢を聞くと82歳だという。今は逗子に住んでいるが、千葉の君津の山間で育ち、子どもの頃は炭焼きを手伝ったそうだ。学生時代仲間で方々の山に登ったが、それぞれ別々の会社に就職して、山登りは途絶えていた。それが60を過ぎて皆定年となり再び集まって山歩きを楽しんでいたが、一番若かった一人が急に亡くなり、
 「自分も持病があるから、もうグループでは登れなくなって…」
 と静かに語る。今は健康のために一人でゆっくりと、三浦アルプスと呼ばれる道を歩いている。
 しゃべることで思い出し、聞いてもらうことで心穏やかになることもあるのだろう。
 「じゃあ お先に」 と、さわやかな笑顔で、もう少し休憩を楽しむ私たちを残して下山して行った。
 人の話を引き出すのが上手い店主といると、私一人ならただすれ違ってゆく人の話しを聞くことができる。
 誰にでも歴史がある。大きく時代が変わった昭和の前半の記憶は、今聞いておかないと、生きてきた人とともに、なくなってしまう。
 おにぎりの中の梅干のように、たのしいハイキングの中に、時代の記憶がよいアクセントとなって包み込まれた。
 この好天の翌日は一変してカラカラに乾いた北風が吹いた。そして次の日は雨。こうして、空や海や大地を揺り動かして、季節がかわり、また年がうつってゆく。

1月のユーコさん勝手におしゃべり
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