ユーコさん勝手におしゃべり

6月26日
 「稲がスクスク育って、救われた気持ちになる。」
 と走り書きしたメモ紙が一枚ある。千葉で22日に書いたものだ。
 6月中旬から千葉の海沿いで地震が続き、16日に震度4を観測した。その翌日、群馬で震度5弱、怪しい不安を抱きつつ、
 「予測できないものは、恐れても仕方ないね」
と齢91の父と話した。 次の日、大阪震度6弱が起きた。
 ニュースを見るたびに、これ以上被害の広がらないことを祈るばかりである。
 その後も、日々どこかが揺れ、梅雨空に雨も降り続いた。
 梅雨前線がパッと遠のいた22日に、店主とバイクで千葉へ向かった。千葉内陸の森林と田畑を巡って、外房の海へ出る。千葉は広くて、経路はたくさんあり、当店観光部長の店主が どこを通って何を食べるか、毎回頭をひねってルートを考える。
 二人乗りのバイクの後ろで、私は見飽きることのない景色を楽しんだ。青々とした田んぼに水が張られ、「スクスクと育つと救われるんだな」 と思っていた。
 御宿の海に出て、月の沙漠のビーチを歩いたあと、思いつきはすぐ忘れちゃうから書いておこうと、ウエストバックからメモ紙を出して、「稲がスクスク…」の一文だけを走り書きした。次の目的地への出発の準備であわただしくヘルメットをかぶり、バイクの後ろに乗る。
 坂道を海の見える高台の景勝地までのぼり、バイクをとめた。ここから大波月海岸まで歩いておりる。前日までの雨でぬかった道を慎重に進むと、岩と砂の美しい海岸があり、砂に足をとられながら、誰もいない海辺を散策した。
 バイクに戻った時、ウエストバックのポケットが開いているのに気付いたが、閉め忘れたんだと思っただけで、次の目的地に出発した。
 旅も後半になって、笠森寺の展望ハイキングもすっかり楽しんだ後の休憩地で、ケータイ電話がないことに気付いた。ウエストバックのポケットに入っていたのだった。ポケットからメモ用紙とボールペンを出した時に、メモ紙はバック本体に入れて、ポケットのチャックを閉め忘れたのだ。店主のケータイから電話をかけるも、「電源が入っていないか…」のアナウンスが流れるだけで応答は無し。走行中のバイクから落ちたのなら当然だろう。車にひかれているかもしれない。紫陽花の咲く美しい景色を呆然と眺めるだけだった。
 「あきらめるしかないよ。モノは物でしかない。体が何ともないんだから、いいじゃない。」 と店主は言い、帰りに自宅近くのドコモショップへ寄ってくれた。手続きをして、新しいケータイを購入した。
 そして週があけた月曜日、ドコモから電話があった。私のケータイが千葉県のいすみ警察に届いているという。すでに液晶部が割れ、電源が入らないが、製造番号から私に連絡が入ったのだった。
 いすみ警察署に電話をかけると、夷隅郡御宿で拾われたそうだ。いっしょにウエストバックポケットに入っていた他の小物も拾われて、届けられていた。どちらも破損していたものの、100パーセント落とした私の落ち度である。
 平日で、サーフィンを楽しむ人以外人通りもあまりないところだったけれど、人のあたたかさがありがたかった。
 近いうちに警察署に取りに行かなければならない。行くからには、道のりの計画だ。店主は「めんどくさい」と言いながらも、目は、楽しみにしていると笑っていた。
 一日がたち、今日、昼間に広島・島根で震度4の報道を聞く。そして、夜 店を閉めた後、書籍の入力作業をしていると、ガタガタと地震があり、パソコンの地震情報に千葉で震度4の表示が出た。
 地面が揺れても、庭の植物はスクスク伸び、数日目を離すと、つる植物は小ジャングルのようになる。千葉でも、田畑や庭で草刈をする人たちをたくさん見た。この日常に心から感謝する。
 大阪をはじめ、各地で被害に合われた方々に、地震お見舞い申し上げます。

6月12日
 朝、店主が、「おはよう」というなり話し出した。
 「東京マラソンの公式ビスケットのさいごのひと味が決まらなくて、都知事が、『今、決めてますから』 と、記者会見をひらいた。」
 「それ、夢でしょ」
 「うん。夢で、さっきね。
 味は全部で8種類あるんだけど、会見場の記者席でどこかの女の子が。『マカデミアミルキーの味が入ってて良かった』って言ってた。」
 「それって、パン屋さんでいつも買うブーメラン型のパンの味じゃない。」
 「うん。 それで、」 とこちらの反応にはおかまいなく、店主の夢の話は続く。
 「マラソンのコースは、さいごに小高い山があって、そこが勝負どころだから、みんながその小高い山に集まって練習してる。小高い山っていっても、なんとか坂なんていうんじゃなくて、盆栽についてる岩みたいなんだ。険しいからみんなどこからどう曲がったら有利か、ラインどりを確かめているんだ。」
 「ロッククライミングだね」
 「そう。 そういう夢。」
 話はそれで終った。突然はじまって突然終る会話ともいえないような朝の会話だった。
 ビスケットのさいごのひと味が決まらないために紛糾する記者会見と、盆栽にのってる岩みたいな山の上に、わらわらと集まるマラソン選手—。
 しばらくたっても思い出して笑えたので、書き留めることにした。
 そして数時間後、夢だから覚えていないかと思って、「今朝の夢、覚えてる?」と聞くと、「覚えてるよ」と、店主が手近にあったメモ紙に小高い山の絵をかいた。フタコブラクダの背のように頂上が二つある山だった。そのフタコブの間がゴールで、そこまで麓からくねくねとヘアピンカーブの道が続いている。
 一方 私も店主に聞いた夢のイメージで山の絵をかいた。切り立ったヒトコブの山である。道はない。狭い頂上にたくさんの人がいる。どう攻略すれば有利か策を練る選手たちである。
 こんなに違うのかと驚いたが、これが、原作と映像化作品の差なのだろう。
 作家が言う 「作品は、発表された時点で受け手(読者)のもの」 ということばが腑におちる。
 たわいのない夢の話から、言語や文字がふくらませる想像力の大きさを知った。

6月11日
 店舗は雨天休業である。
 いぶかしく思う方もおられるようだが、もう何年もこれを貫いている。
 理由は本の保護だ。店の本には一冊ずつパラフィン紙がかけてある。もとより北向きに建てられた店で、日焼けからは まぬがれているが、蛍光灯の灯りでも本の背は焼ける。その焼けをパラフィン紙は防ぐ。
 それから 本は水に弱い。濡れてヨレた紙は何をしても戻らない。パラフィンがかけてあれば多少の水滴ははじかれる。ただし、中の本は守れるが、パラフィン紙には、「ココに水がつきました」と痕跡が残る。だから、濡れた人が入ってくると、書棚を点検して、その列のパラフィンを取り替えねばならないこともある。
 そこで、「いっそのこと 雨の日は店を開けないことにしよう」ということになった。
 店は休みだが、人間はそれなりに仕事がある。梅雨のこの時期は、倉庫整理がやってくる。店で手入れをされた本は、店に置かれるものと、店から五分ほどの場所にある書庫に行くものに別れる。
 日光を遮断した二階建ての書庫には、店舗以上にびっしりと本が詰まっている。お客様からの注文があると、抜いて店舗に持っていくので、ところどころ隙間ができる。新入荷が「とりあえず」と積まれる。この繰り返しで、棚はわかりにくくなっていくし、本が傷む原因にもなるのだが、店をやっていると なかなか手がつけられない。 何せ本は重い上に、自分では動かないのだ。
 発送のない週末の雨は、倉庫整理にはうってつけだ。行く時は少し気が重い。手をつける前の作業は膨大に思える。
 しばらく働いてめどがついてくると、楽しくなってくる。本に触ると、その本が売れるというジンクスがあるからでもある。誰も見ていない倉庫内なのに、書棚の整理をしたらその棚の本が売れたということが、今まで何度もあったのだ。
 あんなにびっしりだと思っていた書庫に、いくらか余裕ができる。余裕の分だけ未来がある、という気分になり、きりのいいところで 雨の中を店に帰って行く。
 整理の続きは、次の雨の日、である。

6月3日
 菖蒲がにぎやかに咲いて、6月が来た。
 堀切菖蒲園も、入口の門が見えたとたんに、様々な青のグラデーションが目に入る。駅から園までの遊歩道の紫陽花もあでやかに色を競って、色の見本市のようだ。
 今年は桜にはじまり、どの花も早々に花をつけ、ゆきすぎた。
 菖蒲も菖蒲まつり開始と同時に満開で、後半までは持つまいと思う。
 来園は、早目をお勧めします。

6月2日
 昨夏に母が亡くなり、もう手入れをする人もいないので、実家の庭は昨秋 大幅に樹木や草花を刈り込んだ。何が入っているのかわからないプランター類も、逆さまにして庭に土を出して片付けた。
 はずだったのだが、昨年末には水仙がこれでもかという程 咲いた。春になってみると、あちこち葉を出し、花が咲く。さっぱり刈り込まれて力をつけたのか、近頃は、行くたび知らない花が咲いている。
 プランターの土をあけたところには、ニョッキリとアマリリスが生え、大輪の花をもった。
 「アマリリスだったんだね」 と、一人暮らしになった父と笑いあった。
 母の形見の花々が父をなごませる。
 無碍にはできず、私も行くたび草むしりを楽しんでいる。

5月のユーコさん勝手におしゃべり
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