ユーコさん勝手におしゃべり

4月27日
 ジャスミンが例年より少し早く満開になった。アーチいっぱいに花をつけ芳香を撒いている。
 今年の冬は寒くて長かったので、ビオラは例年より咲き出しが遅かった。今満開でプランターに色とりどりの花をつけている。
 一気に咲いて一気に終る。
 風が吹くと散るジャスミンの花を掃き集めて、ビニールのゴミ袋はいっぱいになった。
 北海道で、梅と桜が開花したと、昨日ニュースで聞いた。日本列島全体が春に染まり、いよいよ季節は、初夏へと動き出す。



 花がふってくると思う
 花がふってくるとおもう
 この てのひらにうけとろうとおもう   (八木重吉「貧しき信徒」より)

4月18日
 駅舎につばめが来た。
 郵便局の帰り道、堀切菖蒲園駅前の横断歩道で、目の上を何かがひらりと横切った。すぐに駅舎の天井を見に行った。
 去年の名残りの小さな巣に、体格の良いつばめが一羽、ちょこんと座っていた。皿のように土台だけが残った巣では、とても営巣はできないから、これから巣作りがはじまるのだろう。
 「楽しみにしてるよ」
 と上を見上げて小さく声をかけた。

4月16日
 明治期から第二次大戦前までの教科書を、整理してネットに掲げている。
 データをあげる前にまず店主が手入れをして値をつける。そのあと私がもう一度目を通して状態を記載する。たまに教科書に何かはさんであることがある。答案用紙や作文だったりすると、「これも資料になるかもしれん」と思って、そのまま入れておく。不要な紙なら捨ててしまう。
 今日もその作業中、明治43年発行の高等小学読本に、何かはさまっていた。糸くずかな、と思ってページを開くと、すみれの押し花だった。つまんでも崩れずきれいに押された2本のすみれ。花は、三色すみれのように丸っこくなく、日本の野辺に咲くちょっと縦長の小さなすみれである。はさまっていたページもその前後も、全く汚れていないので、この本ではさんで作ったのではなく、出来上がった押し花を、そっとこのページにはさみ入れたのだ。
 きれいに使われた教科書の裏表紙には、男の子の名前が墨書されている。
 どんないきさつで、すみれの花が彼の元に来たのだろう。
 年表を見れば、明治の後半は、戦争と領土を巡る紛争・事件が並んでいる。歴史の中の、遠い時代だ。
 でも大切にはさまれたすみれの花を見れば、着物に草履で通学していただろう明治43年高等小学1年生の「廣瀬 晃」くんの存在が、とても身近に感じられる。
 色まで思い浮かびそうな2本のすみれは、捨てずに台紙に貼ってとっておくことにする。「歴史」が「現在」と地続きであるしるしとして。

4月13日
 今日、ジャスミンのさいしょの一つをみつけた。
 朝、小庭に水を撒いたときには、咲いていなかった。午前中に堀切菖蒲園まで散歩に行く途中、荒川の土手でツバメを見た。まだ街には来ていないけれど、土手ではもう元気に飛んでいた。
 散歩と昼食の後、店を開けて、お客様からの注文の本をとりに書庫へ行った。その帰りに、自転車をこぎながら店横の壁を見ると、緑の葉と赤いつぼみの中に純白の点がポツリとあった。急いで自転車を停めて、店に入り、店主に
 「フッフッフ 勝った。」 と告げた。
 「え、」 と言って店の横のドアを開けて、店主が外に出た。ぐるりと周りを見て、
 「あぁー」 と悔しがる。今年の最初の花みつけ競争は、私の勝ちだった。
 上を見上げる飼い主の足元で、飼いカメは、我関せずと手足を伸ばしてひなたぼっこに興じていた。

4月11日
 店横の小庭で、サツキの最初の一輪をみつけた。数日前からふくらんでいた白い花のつぼみが、今朝ひらいた。店横の外壁いっぱいに拡がるジャスミンのつぼみも、固い赤色から花色を思わす白へと色が変わってきた。今年はどこが一番に咲くだろうか。
 さいしょの一輪は自分が見つけたい、と私も店主も思っている。どちらが見つけても花の美しさに変わりはないが、朝庭を見るたびに、「あそこが咲きそうだ」と目を凝らしている。
 狭いスペースを立体的に使用して庭に見立てるハード面を店主が担い、植物の世話のソフト面は私の役目である。互いにできることとできないことを補完しあって、ひとつの庭を作っているのだが、駆け足でゆきすぎる季節をつかまえる勝敗が決まるのは、この週末か、週明けか。
 共同作業者は、時にライバルとなる。

4月9日
 街路のツツジや庭先の藤がにぎやかに咲き出し、季節は待ったなしに進んでいる。桜は染井吉野からしだれ桜へ、そして八重桜へとあっという間に主役を入れ替えた。
 4日の水曜日、千葉県野田市のこうのとりの里へ行った。計画を立てた店主が事前に調べていたので開門時刻の10時にこうのとりの里の前に着いた。バイクを停めて、扉を開ける準備をしている職員さんに、店主が
 「こうのとりが見られるんですか」 と尋ねると、
 「はい。ひかるが帰ってきたんですよ!」 と答えた。
 「昨日、2年ぶりにひかるが来たんですけど、また利根運河の方へ飛んでいきました。」 と言う。
 「ひかる」はどうやらこうのとりの名前らしい。
 施設の中に入って説明を聞くと、ここで生まれて放鳥した六羽のこうのとりのうちの一羽が、2年ぶりに飛来した。2年ぶり二度目のご帰還なのだそうだ。
 この施設で飼育されているこうのとりはいつでも見られるが、自然下ではめったに見られないようだ。散策用マップをもらって、水路に沿ってビオトープ内を歩いた。
 ザリガニをとって、それをエサにクサガメをとるんだという子どもと出会い、小川の浅瀬で鯉が産卵しているのを見た。そしてしばらく店主と二人で歩いていると、目の前にこうのとりが、いた。そばにいる大柄な青サギよりひとまわり大きかった。白い体に黒い羽先のこうのとりが、田んぼの中に立っている。驚かせないようにそのまま歩を進めた。店主は軽く鼻歌を歌っている。
 2年ぶりの一羽が自分のすぐ横にいて、何だかくじに当たったような気分になった。
 私たちが通り過ぎると、こうのとりは安心してエサを探しはじめた。ぐるりと一周回って、事務所のそばで会った職員さんに聞くと、
 「昨日来て、その後、渡良瀬遊水地へ行ったのよ。渡良瀬にいるのを足輪で確認したんだけど、また今日、戻ってきたんだね。 ここから渡良瀬まで日帰りで行っちゃうんだ。」 と言う。
 職員さんたちは皆もの静かだけど、口調から内心のワクワクが伝わってきた。
 こうのとりの里を後にして、あけぼの山農業公園へ行く。例年より早く満開になったチューリップがみごとだった。ずらりと並んだチューリップの根元に同色系のパンジーが植えられている。パンジーのいいにおいが風に乗って、香りのないチューリップに優しい芳香を添えていた。
 ここで昼食をとり、午後は印西市の吉高の大桜を観に行った。樹齢300年を超える一本桜が、これも満開だった。染井吉野が終わった後に咲く里桜である。
 ほんの数日のこの一本のために、大勢の人が見に来るというのも納得の大木で、家一軒はまるごと入るような枝振りであった。
 たくさん歩き、目の保養をして、明日への英気を養った一日だった。
 桜の花はすぐ散ってしまうけれど、散らなきゃサクランボは実らない。
 花は散った後が始まりなんだなと、白くてきれいな花をつけた梨園の横をバイクで走りぬけながら思った。

4月5日
 スーパーで春キャベツが、外葉がついたまま山積みしてあった。近寄って品定めしていると、隣りで外葉をはぐっていた背の高い青年が、
 「これって、どれくらいむけば、いいんですか」 と聞いてきた。
 「うーん 用途にもよるけど」 と青年の手にしたキャベツを見て、緑の濃い一枚を指して、
 「これだけむけば、あとは全部食べられるよ。」 と答えた。
 「ありがとうございます。」 と笑顔で春キャベツをカゴに入れ、青年は別の野菜を物色しに行った。
 はじめての一人暮らしではじめての自炊なのかな、みずみずしい春キャベツに彼の新生活のワクワクが重なってみえた。
 スーパーを出ると、正装の親子連れが何組か横断歩道を渡っていた。近くの小学校の入学式の帰りだろう。
 歩道には桜の花びらが舞っている。春は、花にも人にもやってきた。

4月2日
 長らく工事休園だった堀切菖蒲園が今日開園した。
 なくても格段に困るわけではないけれど、朝ちょいと散歩に出たい時など、あればうれしい近所の公園である。さっそく今朝、様子を見に行ってみた。
 もともとそう広い敷地ではなく、地面が広がったわけでもないのだが、以前より広く感じる。視界をさえぎっていたエントランスの門や塀を取って、空間がずっと大きく見える。
 造園設計の勝利である。
 ポイントとなる木は残して、あとはすっきりとした園内で何枚も写真を撮った。
 今日が開園で、設計者の意図が一番わかる日だ。菖蒲はまだ皆小さく菖蒲田には一本の雑草もない。周囲の木々はまだ丈低く初々しい。
 初夏になって、菖蒲が成長して花をつけたらどんなだろう。10年たって木々が伸び、葉が生い茂ったら景観はまた変わるだろう。これから変わりゆく姿を写してゆくのが楽しみだ。
 数本の桜の木は残されていた。染井吉野は盛りを過ぎたが、その花びらが木の下の菖蒲田一面を薄桃色に染めていた。

3月のユーコさん勝手におしゃべり
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