ユーコさん勝手におしゃべり |
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3月28日 あげは蝶が一羽、目の前をとんで行く。今年最初のあげは蝶だ。 春らんまん。 毎日午前中は、どこかしらに花を見に出かけている。上野へ、千鳥ヶ淵へ、隅田川へ。花見に聞くと、その近くの美術館や博物館へ寄るのが常で、ふたつはセットになっている。 花見でなくても、「どこかへ行こう」と提案するのはいつも店主で、小旅行の中には何かしらの見学がコースの中に組まれている。地元の郷土資料館や展示施設、あるいは工場見学の時もある。 調べてみると、どこの土地にも何かしらあるものである。 今日は、店主と二人で軽食を持って、桜の咲く近所の公園へ行ったので、お出かけという程でもなく、特に計画もなかった。 満開の花の下でお弁当を開き、蝶や鳥の姿に心なごませ、帰ろうとしたら、門のところに下水道処理施設見学会の貼り紙があった。その日付は今日、しかも一日限りだった。 小菅東スポーツ公園は、水再生センターの屋上を利用した公園なのは知っていたが、下の施設は見たことがなかった。これは寄らずにはいられない。 店主と二人で見学会受付の方へ行き、公園の下の処理場の説明を受け、下水処理の仕組みや、水をきれいにする微生物の資料をもらって帰って来た。 はからずも、花見と見学のワンセットが出来上がり、意気揚々と帰路につき、店を開けた。 3月22日 実家の庭にチューリップが咲いた。 その場所に球根が埋まっていることさえも気付かずにいた門扉の脇に、赤いチューリップが2輪ゆれていた。 お彼岸で、近所に住む母の友人がお線香をあげに来て、母としゃべる時と同じ様に私と四方山話をして帰った。 母には今、口はないけど、耳はあるのかもしれない。昨年亡くなった母は、実際にはおしゃべりに加わってはいないけれど、自分の友人と私がしゃべるのはちゃんと聞いていて、目に見えぬあいづちで、話を進行させている気がした。 父と夕食をとって帰宅する時、門扉のところで、もう一度チューリップを見た。 「お母さんもチューリップを見ているだろうか。あ、でも、きっと天国なら自分の好きな花が季節を問わずにあるに違いない。」 それもまた、いいような、さびしいような感じだ。 好きな花に、待たなきゃ会えないのが、この世のしあわせだ。そしてこれから、しあわせは、波状的に、南風に乗ってやって来る。 3月16日 寝起きの亀は、まだまだ眠い。 南風が吹き、気温が20度を超えた今週の初め、飼い亀を起こした。 冬眠バケツのフタを開けて、落ち葉をのけると、カメが目を閉じたままゆっくりと首を伸ばし、ゆっくり目をひらいて手を出した。一冬シーンと静かだった冬眠バケツを開ける時はいつも少し不安になる。 店主が日なたにカメを出して、顔と手足を洗い、タワシで甲羅をこする。美容パックよろしく泥んこに浸かっていた甲羅はつやつやしている。 「元気でよかった。」「きれいだね。」 と店主と顔を見合わせた。 その日は家の中に入れ、ぐっと気温の上った翌日の午後、店横の小庭に出してみた。 店に戻って仕事を始めたが、時々様子を見に行っていた店主が、「やっぱり、うちに入れてくれっていうんだもの」 と言いわけしながらカメを連れてきた。 最初は石の上に落ち着いていたが、そのうち出入り口のドアが開くたびに、「入れてくれ」と懇願するようにドアを見つめて寄ってくるのだという。 春とはいえ、寝起きのカメにはまだ寒いらしい。体を洗って二階に上げると、とっととお気に入りの場所にもぐり込んで寝てしまった。 数年前までは、冬眠から覚めると前年のことは忘れていて、毎年新鮮な感じで世界と出会い、私たちとの人間関係を一から構築していたカメだが、卵を産むようになった頃から、前年の記憶がしっかり残っているようになった。私たちのことも足音や声で分かるし、家の間取りも覚えていて、水を飲みたい時は水道へ、眠りたい時はお気に入りのムートンの下へ歩く。小さな頭の中の小さな脳も大人になったのだろう。 ただひとつ問題は、家の中のカメの動線が私とダブっていることだ。今も私の座椅子の足元で寝ている。気をつけないと踏んでしまう。じっとしているようで微妙に場所や向きを違えて、でもいつも私が足を置くあたりに、私より先に居る。 かわいいとも思えるし、いじわるとも思える、微妙な私とカメの関係である。 燃え立つようにひとり咲いていた早咲きの梅が散り去った。遅咲きの梅や河津桜、ボケにレンギョウ、雪柳が爛漫になる。木の芽も萌え出て街中の色数が日に日に増えてゆく。 桜の花見がおわる頃、カメも本格的に起き出して今年最初の食事をするだろう。 「何にも食べないで よく平気だな」 と店主は毎日のようにつぶやく。 人の常識はカメには通じず、昨秋から何にも食べていないカメは、「そんなの当たり前」 と元気に生きている。 3月7日 ゆり動かされて季節は動く。 ムスカリの最初の花を見た と思う間に、街角のミモザは満開になり、沈丁花は芳香を放つ。モクレンの花芽もふくらんできた。 時を経ても変わらないものには価値があると思う。だから、毎年飽かずに時期を得ては同じ花をひらく植物が好きなのかもしれない。 昨日、梅を見に横浜鶴見の馬場花木園へ行った。梅と言えば、思い出すのは、水戸の偕楽園に掲げてあった山村暮鳥の 「 こんな老木になっても 春だけは忘れないんだ 御覧よ まあ、紅梅だよ 」 の碑文である。 年代物のゴツゴツした梅の木肌と、そこに咲く可憐な花が目に浮かぶ。 3月に入るや店主は、「亀はもう出たいんじゃないか」 と毎日聞いてくる。私は 「チューリップのつぼみがついてからだから、まだだよ」 とプランターを眺めて答える。 「ふーん」 と言いつつ、待ちきれずに、小庭に亀の遊び場を作るべく材木を持ってきて柵をこしらえ始めた。念入りにペンキも塗ってすでに準備万端だ。 次の寒気が去ったら、小庭の隅で冬眠中の飼い亀の冬眠用バケツのフタを開けて、そっとのぞいてみようか。 2月のユーコさん勝手におしゃべり |