ユーコさん勝手におしゃべり

3月29日
 常連のお客様がやって来る。高齢で杖が手放せないが、足しげく通ってくださる。冬の間、書棚の前で本を選んでいると、足が硬直しちゃって動き出しが大変だ、と言っていた。
 本を店奥の店番机に差し出すと、店主が声をかけた。
 「今日は、いくらかあったいですね。」
 「あったかくても寒くても、オレの体はもうダメなんだから。」
 「そんなことないですよ。まだまだ いけますよ。」
 「イヤ、もうダメです。」
 「そんなこと言わないで。東京オリンピックまでがんばんなきゃ。東京オリンピック、2度目でしょ。がんばって見なくちゃ。」
 「ああ、そうだね。2度目だね。がんばろうと思っても、体の方がね、なかなかゆうこときかない。」
 「これって毎日のことじゃないですか。一日で急に歩けなくなっちゃうわけじゃないんで、毎朝目が覚めるように、とにかく毎日歩くことが大切ですよね。」
 「そうだねぇ。」
 購入した本は、古い箱根の温泉案内だった。
 「なつかしくてね。箱根の温泉、よく行ったんだ。登山鉄道乗ってね。」
 「箱根ですか。温泉卵が有名ですよね。一個食べると七年だか寿命が延びるって言いますよね。○○さん、食べました?」
 「ああ、あんなものは安いものだもの、行けば食べたさ。」
 「だからだ。まだまだいけますよ。卵、効いてるから、元気で本も読めるんですね。90歳になって毎日本読んでるなんて、なかなかいませんよ。」
 「そうかな。」
 「東京オリンピックだって、すぐですよ。」
 「そうだね。 じゃ、そちこち棚を見て帰りますよ。」
 本をポケットに入れ、杖を持ち直して歩き出す。来た時よりいくらか声音も明るくなって、出入り口のそばの机に座る私とも挨拶をかわした。
 店のドアを開けると、春の陽がさす道に、すずめが遊んでいた。
 

3月25日
 小庭のプランターにチューリップのつぼみを見つけてから、一週間がたった。ビオラの間からニョロニョロと伸び、合掌する緑色のつぼみたちだ。
 毎年のことでも、チューリップのつぼみの喜びは格別で、飼い亀を外に出す目安になっている。早速店主は、材料を用意して、プランターの間に亀用の柵を設置した。
 その翌日、暖かい陽がさした柵の中に亀を放して店に入ると、外から、「カーメたん」と呼びかける亀の知り合いの声が聞こえた。
 次の日、緑色だった固いチューリップのつぼみは色づいたが、外は冷たい雨だった。
 その後、桜の開花も発表されたけれど、寒の戻りで花は咲き進まない。亀も外で過ごしたのは一日だけで、あとはまだ室内で自主的にこたつに入っている。
 それでも止まることなく季節は進み、今朝プランターを見ると、ムスカリの群れが春の香りとともに色づいていた。そちこち新芽の芽吹きがあり、文字通りめでたいことである。
 天気予報は明日は一日雨降りだと告げている。催花雨に促された雨上がりに、新たな春—たとえば蝶—、が見られると、いいな。

3月17日
 頭の中では明瞭に形になっているものを、口に出したり紙に書き下ろそうとすると、あっという間に形が崩れ霧散してしまうことがある。
 たとえば目覚める直前まで見ていた夢を、起きてから「こんな夢をみた」と誰かに伝えようとすると、夢の中では合っていたつじつまがモロモロと崩壊し、一部の登場人物くらいしか話せる種がなくなっている。
 聞きなれた昔のヒット曲が、頭の中では正確に流れているのに、声に出すと音程が心もとない。
 「こんなはずじゃ なかったのになぁ」
 と思うけれど、いったん出力してしまうと、立て直そうとしてももう頭の中には戻ってこない。すぐそこまで出かかった記憶をうまく出すことは、できそうなのにできない。
 一方、タイムスリップはかんたんにできる。季節のタイムスリップに限って、であるけれど。
 先週、栃木へと北上し、前日光まで高度を上げて、東京ではもう終った梅の花に再会した。ふもとでは赤茶色になり、盛んに花粉をまいている杉だが、前日光の山ではまだ全体に緑色で、花粉の飛散はこれからのようだった。
 今週は南下して、神奈川の三浦半島へ行った。横須賀と三浦にまたがる山あいの湘南国際村から、相模湾の秋谷海岸へと一気に下ってゆく。
 春の陽射しがまぶしい日だ。既に満開の白モクレンや、咲き始めた雪やなぎの白が青い空によく似合う。ツツピーツツピーと四十雀の声がした。
 立石公園に車を置いて、前田川遊歩道を楽しみ、大楠山ハイキングコースへ入り、山道を登った。
 242メートルの大楠山の山頂は一面菜の花で、よい匂いがした。展望台に上ると南に油壺湾、西に相模湾、北は東京湾、ぐるりと海が見える。
 菜の花の周りには桃の花が咲いていた。うぐいすの声もして、海に突き出た半島で、季節の先取りをしている手ごたえに心が躍った。
 帰り道、車窓から道路工事の安全ガードが見えた。よくあるカエルやサルの次にちょっと前に流行ったアニメのキャラのものがあった。
 「ア、アレ、何だっけ、ホラあの、海賊のやつに出てた…」と、他の登場人物の顔は浮かぶのに、その題名も人名もひとつも出てこない。
 タイムスリップは簡単なのに、そぐそこの消えた記憶へのアクセスは、やっぱりむずかしい。

3月11日
 日照時間が長くなって、遅咲きの梅も咲き揃った。
 少し前まで、火の気のない台所の流しの下で使われることを拒否するかのように固まって、しばらくファンヒーターの前でなだめていたオリーブオイルも、今は収納を開けるなり 「どーぞ使ってちょうだい」 とばかりにデローンとリラックスしている。
 啓蟄が過ぎてから、飼い亀の冬眠バケツを何度か開けた。「シーン」という音が聞こえるほど静かで、亀の方からアクションはなかったが、店主は日に何度も、「亀はもう出たいんじゃないか」 と言う。
 結局人の方が辛抱たまらず、天気のよかった昨日、落ち葉を取り除け泥をかい出して、亀と再会した。水桶に移すと、季節を確認するようにきょろきょろと周りを見渡した。一冬泥をかぶった甲羅はつやつやしている。
 外は寒いので、洗って家の中へ連れて入る。まだじっとしていることの多い亀さんだが、元気そうである。
 オリーブオイルの粘度や、亀の居ずまいに、季節の移行を感じている。

3月5日
 本との出会いには、色々な種類がある。
 2月のはじめ、所用で出かける間際に、持って行く本を選ぶ時間がなく、
「軽くて持ちやすい」から、文庫棚のトルストイ『人は何で生きるか』を抜いた。出先の待ち時間に読んだら面白くて、『光あるうち光の中を歩め』へ、『人生論』へと2月はトルストイ月間となり、いまだ継続中である。
 「スマホで読む」のが日常になれば、スマホひとつの重さが全てなので、「厚くて重い」本という概念は無い。途中でやめても、そのうち
「今まで読んだところの、概要と人物解説」の機能ができて、
 「人間関係がわかんなくなっちゃったから、も一度読み直したら、前回とは違う面が見えてきた」なんてこともなくなるのだろう。
 物体としての本の軽重の差がなくなって、裸の内容(コンテンツ)となれば、偶然の出会いの選択肢はひとつ減る。便利は不便、なのだった。

2月のユーコさん勝手におしゃべり
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