ユーコさん勝手におしゃべり

11月21日
 毎日のように誰かに本を送っている。ルーティーンワークであり、一期一会だ。
 先日、鉄道時刻表のバックナンバーを送ったお客様から、「本が 届きました。」とメールがあった。
 西日本の方で、購入したのは1995年1月号のポケット時刻表だった。メールには、
 「12月20日に出たこの時刻表には、1月のカレンダーがあり、1月17日の日付も刻まれているのです」
 と書いてあった。阪神淡路大震災の日だ。その日も次の日も、時刻表の中では順調に列車は運行している。
 スキー場に向うシュプール号も、今はない数々の夜行列車も、本の中では走っている。
 1995年1月号は、私にとって、他の号と変わらない一冊の時刻表だった。
 古本屋の棚は、過去の蔵書家の棚から移って来たものばかりだ。鉄道ファンのその人だって、全ての本をやみくもに家に積んでいたのではない。それぞれ わけがあって取捨された書籍群だったはずだ。
 「そうだったのか…」 と、今さら気付いた。
 前の持ち主の理由は別のところにあったのかもしれない。でも今また、新たな持ち主のもとで、棚に納まった。
 一本のメッセージが、目録入力の為に本のページをめくる励みとなった。

11月19日
 雨は土をうるおしてゆく
 雨というもののそばにしゃがんで
 雨のすることをみていたい

 夜半から降り出した雨が、朝になっても降っていて、夢うつつの中に八木重吉の詩が浮かんできた。目がさめてふとんの中で、「雨は土をうるおしてゆく…」と暗誦した。
 今週二度目の雨降りだ。
 最初は14日の月曜日で、ウルトラスーパームーンの日だった。何日も前から、大きく明るい月が出るのだと楽しみにして、カレンダーにも書いていたのに、朝から雨だった。
 雨をきっかけに、行きつ戻りつした季節が迷わず晩秋に向かい出し、街路の紅葉が目につくようになった。
 雨上がりの火・水曜日は休みをとって、房総・館山に出かけた。
 夕陽の名所の海辺のホテルに泊まり沈む日を眺めた。水平線は橙色に染まり、見上げれば青い空がひろがっている。
 「こんな空見たことないね」
 「前が全部海ってすごいね」
 さえぎるもののない空に感じ入り、窓辺で一人でしゃべっていた。
 夕食後、スーパームーンの翌日の月を見に外に出た。松原の上に出た輝く月の中で、うさぎが餅をついていた。
 房総は温暖の地だけに常緑の木が多く、山も全山紅葉とはならない。穏やかな土地にやって来る部分紅葉も、良い。
 海沿いをドライブして、小松寺の赤いもみじを拾って帰った。家で待つ飼い亀が、来月冬眠する時に、先月奥日光から持って来た葉と一緒に水槽に入れて、冬眠用ふとんにする。
 11月もなかばを過ぎた。この雨が上がれば、明日は晴天だという。飼い亀と、残り少ない秋の陽を楽しもう。

11月8日
 夜、こたつに入って新聞を読んでいたら、となりでうたた寝をしていた店主から
 「オイ 何すんだ。」
 といきなり怒られた。何ごとかと思っていたら、
 「今、バックしてたんだ。そしたら ヴチャン て音がして、『あ、やっちまった』って焦ったよ。車ぶつけちゃったって。」
 夢をみていたのだった。夢の中で運転してた。
 私は新聞を読みながら くしゃみを一つした。クシャンと—。
 彼はあやまるでもなく、
 「うーん。もともとバックで運転してる夢をみてるところに、ヴチャンという音が入ってきて、『ぶつけた』と思ったのか、ヴチャンという音で目が覚めた瞬間に、バック運転でぶつけたという夢を脳が作って入れ込んだのか、それは、いったいどっちだろう。 どっちだと思う?」
 と真顔で尋ねた。
 にわとりと卵とどっちが先かみたいな話を、しかも寝ている店主の脳内で起こったことを、いきなり振られても、困る。
 とりあえず、 「車はどこにもないし、ぶつかってもいない。そして私は悪くない。」 とだけ答えておいた。

11月7日
 店の外の均一台には、新旧様々な本が、1冊100円で並んでいる。
 読む分には支障ないが、店内やネット販売の取扱分野外だったり、状態が適さない本たちだ。
 夜 閉店前頃に来て小説本を3・4冊買ってゆく高齢の男性がいる。今日、文庫本を手に入ってきて、いきなり
 「だめだ」 と言う。
 彼がうつむいて財布からお金を出す間、返答に困っていると、
 「うん十年前に読んだ本しか、感覚に合わない。」
 と頭を上げて、笑顔を見せた。
 いろいろつまんで読んでみた結果なんだろう。今日は、いにしえの作家さんの本と300円を差し出した。
 「いつもありがとうございます。 ちょうどいただきます。」
 と笑顔で応えた。笑顔以外に、うまく返すことばが みつからなかった。
 古い本が、一日を現代社会で過ごしたおじいさんの、よい港になってくれればいいな、と思う。

10月のユーコさん勝手におしゃべり