ユーコさん勝手におしゃべり

10月31日
 午前中買い物に出た店主が帰ってきて、「ねぇ 聞いてよ」 という顔をしている。
 「どしたの?」 と尋ねると、
 「○○屋の前に自転車をとめてたら、店の前に車が一台とまって、老夫婦が出てきたんだ。おじいさんが車の後ろに回って、『ちょっと曲がってるかな』って、駐車した車を見てた。
 僕のすぐうしろで、カゴを取ってカートに乗せながら、おばあさんが『あんたは性根が曲がっているから、いつだって曲がってるんだよ』 とボソッと言ったんだ。思わずふり向いちゃった。僕に気付いて、おばあさんがちょろっと舌を出すような、へへっていう顔したよ。 笑っちゃったな。」
 店主が耳にしたのはそのひとことだけだが、夕べ夫婦の間に何があったのか。
 ともあれ、ダンナが運転して二人して買い物に出る、あどけない老夫婦の話である。

10月30日
 花壇の植え替えをした。店横の小庭で少しずつ移行した季節も、これで冬バージョンになった。庭で作業をしていると、
 「カメ、居ませんね」 「カメさん、どうしました?」 とカメの消息を聞かれる。
 「寒くなってきたので、家に入っているんですよ。」
 「もう 冬眠ですか。」
 「そうですね。春まで一休みですね。」
 と答える。
 カメを放す為に囲っていた柵も取り外した。家に入ったカメはブランケットにもぐり込んでじっとしていることが多くなった。
 ビオラをせっせと埋め込んで、小庭全体を眺め、満足して店に入った。
 それから仕事にかかったけれど、今日は本について何か聞かれるよりも、カメについて尋ねられる方が多かった。それから花の名前について—。
 ウィンドウ越しに外を見ると、近所のノラ猫が、白くて長いボロ布を口にくわえて、店の前を通っていった。寝ぐらの防寒対策だろうか。
 急に冷え込んできて、今日は次の季節に備える一日、なのかな。

10月27日
 季節が変わる時、気温は揺れるブランコのように振り幅が大きくなり、そして次の季節にとんでゆく。と、いつも思っていた。ところが今年は、まるでジェットコースターだ。
 いきなり、秋になったり、10月も余すところ5日という頃にまた夏日がやってきたりする。夏を引きずったまま、イレギュラーな冷え込みに対処していて、花壇にもまだ夏の花が残っている。
 とはいえ、街に出ればイチョウの木の下には銀杏がたくさん落ちているし、公園清掃の人は落ち葉掃きに忙しそうだ。
 昨日、見逃すわけにはいかない奥日光の紅葉を見に出かけた。朝5時に家を出て、店主と東北自動車道を北上した。色づくいろは坂をのぼって、8時前には赤沼駐車場に到着した。カラマツに囲まれた駐車場は、天も地もオレンジがかった黄色に染まっていた。車を停めて、降り積もった針葉樹の葉の上に降り立った。紅葉見物なのに、気の抜けるほど寒くない。身支度を整えて、準備体操をする。持参の厚手のジャンバーは車に置いて、長袖シャツにウィンドブレーカーの軽装で、8時に赤沼から戦場ヶ原のハイキングコースに入った。
 入口のミズナラやクヌギの落ち葉を踏みしめて歩き進むと、植生が増え、様々な姿形の葉が落ちている。竜頭の滝に出ると、駐車場は既に入庫待ちになっていた。滝を経由して再びひと気の少ないハイキングコースに入る。
 夏にはアサギマダラ蝶が飛んでいた花畑で朝食におにぎりを食べた。とんぼの姿はもうなく、てんとう虫2匹と出会った。
 歩くうちにウィンドブレーカーも暑くなり、薄手のシャツ1枚になる。夏の避暑旅に来た時よりも気温が高いようだと、店主と話す。山々の紅葉を見ながら腕まくりをする不思議なハイキングになった。もみじの木も一部が赤くなっているものの、日当たりの良いところはまだ緑の葉をつけている。
 道が開けて中禅寺湖畔に出る。浜でコーヒーを淹れ、飼い亀へのお土産に落ち葉拾いをした。落ち葉を詰めたビニール袋をリュックに縛ってまた歩き出す。11時に千手ヶ浜に到着。ここからハイブリッドバスに乗り、赤沼に戻った。紅葉のハイシーズンで天候もよく、バスは満員だった。整理体操をして、12時には帰途に着いた。
 25度の夏日になった東京は、夕方になっても暖かく、街ゆく人も皆半袖だった。


10月22日
 今年カメはどうするつもりなのだろうか。
 居間でピンクのブランケットにくるまっている飼い亀を見ながら思う。
 齢20数歳になるカメは、毎年数回産卵するのだが、今夏は天候不順だったせいか、一度しか産卵しなかった。昨年までは産卵前になると、店横の小庭から柵を乗り越えて脱走していたが、今年は春の内にしっかりと柵を高くしておいたのが功を奏した。小庭に泥んこのトレイと水桶を置いてやったのも気に入ったらしく、一度も脱走しなかった。日がな一日柵の間から外を眺めているカメには、飼い主の知らない知り合いが何人もできて、外に出るとよくカメに話しかけている人を見かけた。
 秋の初め、急に冷え込んできた日に、店主が家に入れたら、すっかり家で過ごすことが気に入り、天気のよい日に庭に出しても、夜 店を閉める時にはじっとドアを見つめている。「早く入れてください。」と待っていて、そばに行くと足元にぴったり寄り添ってくる。
 かくして彼女は毎晩、体を洗ってもらって居室に入り、適当なところで寝ていた。部屋に置いてあったピンクのひざかけのブランケットにもぐっていることが多く、店主がカメの寝床用に設置したプラスチック桶の中に入れて、夜はこれにくるまっている。
 体は冬眠準備に入り、エサはもう食べない。でも、この調子ではうまく冬眠に入れるのか心配でもある。
 10月なかばを過ぎても、週に一度は夏日が来るような陽気に、人もカメもとまどいの秋である。


10月17日
 秋の深まりを確かめる1週間を過ごした。
 晴天の水曜日、奥日光戦場ヶ原へ、草紅葉を見に行った。色づき始めた木々が様々な色味で山全体をおおっていた。
 小田代ヶ原にはカメラを構えた中高年が大勢並び、戦場ヶ原の木道では修学旅行の小学6年生の隊列と何百もの「こんにちは」の挨拶を交わした。それだけの人々を呑み込んでも戦場ヶ原は尚広々と、静かな空間をひろげている。シーンという音までしそうな圧倒的な空の大きさだ。
 土曜日の朝、ベランダの物干し竿の上に赤とんぼがとまっていた。真赤だった。飛び去るまでしばらく、洗濯物を出すのを待って窓越しにとんぼを見ていた。
 夏に奥日光で、オレンジ色の赤とんぼの群れを見た。
 とんぼはふもとで生まれて、野山に登る。栄養を蓄えると赤くなり、秋にまた里に戻ってくるという。今、うちのベランダに来たのは、どこで避暑をしたとんぼだろう。
 洗濯物を干した後、青和ばら公園へ自転車で20分ほど走った。秋バラの香りを鼻から体中に吸い込んで、気分よく帰宅し、店を開けた。
 その夜、閉店後に空を見ると、丸い月が強く輝き、空が澄んできたことを教えてくれた。
 そして今日は月曜日、新しい1週間は、雨で始まった。
 雨上がりにはまた、新しい秋の発見が待っている。


10月11日
 夜中に足がつって目が覚めることがしばしばになった。
 季節が変るのを、心より先に身体が知る。
 「前回こんな風だったのは、6月だったな。」 と「季節の変わり目」という言葉と共に思い出した。
 紋切り型の常套句だと思っていたものが、現実に即した言葉だったと確認した。自ら「季節の変わり目に ご自愛」しようとする子どもはいないし、それが必要になるとも思わない。
 齢を重ねたおかげで、あいさつ文の文言がひとつ、腑に落ちた。

10月10日
 午前中、自転車で荒川土手を埼玉方面へ走り、足立都市農業公園へ出かけた。土手にコスモスが咲き、刈りとったばかりの稲がハサに架けられ天日干しされていた。
 スズメの群れが園内を楽しそうに飛び回っている。
 畑の一角に大きなトレイが置いてあり、枯れ草が入っている。トレイの底に黄金色の小さな実が落ちていて、「ゴマかな」 と一緒に行った店主と話していると、手に今日の収穫物を持った職員さんがやってきた。
 「ゴマはとても几帳面なんですよ。」
 とサヤをひとつ開けて見せてくれた。ゴマが一列にきっちりと並んでいた。
 「ね、几帳面でしょう」 と自分もうれしそうに笑った。
 手に持ったビニール袋を指して、
 「今、とって来たんですか。」 と聞くと、
 「そうです。これから入口の所で販売します。夏のものはもう終わりで、さつまいもとか秋のものはこれからなので、あんまり無いんですけどね。」 と言う。
 小ぶりでつやつやしたピーマンにつられて、一緒に入口の事務所まで行って、一番目のお客さんになる。
 自転車の前カゴに1袋100円のピーマンを乗せて帰った。
 よく炒めて軽く塩こしょうしたたまねぎのみじん切りとツナを、半分に切ったピーマンに詰めチーズと黒胡椒をのせてロースターで焼く。
 職員さんの笑顔でいっそう輝いたピカピカのピーマンをすっかりたいらげて、店を開けた。

10月5日
 雨がちの夏が多雨の秋にかわる。
 秋雨前線が切れ台風18号が来る前日の一日だけ、天気予報に晴れマークがついた。「人間 じっとしていると腐る」と思っている店主は、じりじりしながら天気図を眺め、
 「よし、4日の火曜日は伊豆の達磨山に行く!」 と決めた。
 首都高速の渋滞を避けるために3時に起きて身支度を整え、4時に出発した。首都高から東名に入り、車は西伊豆スカイラインを走った。
 雨の狭間の平日早朝で、車はほとんどない。スカイラインは白い雲の上にあった。後方に青い富士山を背負い、前方に伊豆の山々が見える。山の尾根づたいに続く道は左右の緑の下に雲海を敷き詰めていた。
 店主が右手を指し、「こっちが駿河湾、左手が相模湾だよ。」 と言うが、どちらもただ白い雲におおわれている。達磨山を通り過ぎ、その先の駐車場に車をとめて達磨山に登る。
 ねじ花が小さいながらも強烈なピンクの花をつけている。数日前に向島百花園で見た花の数十倍の色味を放っていた。
 少し息を切らして登ってゆくと、真正面の富士山の足元から雲が切れて、市街と海が見え、次第に拡がる。
 山頂に着くと、先客が一人休んでいた。早朝に金冠山から歩いてきたのだと言う。よく山歩きをするが、こんな雲海は初めてで、
 「今までで一番の日の出を見ました。」 と笑った。
 「糖尿病になっちゃってね、山歩きを始めたんです。あくせく働いても、病気になっちゃしようがないなと思ったもんで、生き方を変えたんですよ。それで15キロ落としたら、数値もみんな良くなっちゃって。」
 と穏やかな静岡なまりで語り、立ち上がると次の古稀山へ向かって歩いていった。
 時刻は8時30分。ここで持参のパンとコーヒーをひろげて朝食をとった。山頂の石碑をタマムシが一匹登ったり降りたりしている。コースと見所の写真のついた観光パンフのコピーを開くと、どこからか蝶が飛んで来て、カラー写真のところにひらりととまり、しばらく羽を開閉させていた。
 景色を眺めていると南から雲が切れ、大きく青い富士山の稜線の先に左右の海と伊豆の山々の地形がくっきりと現われた。いつまでもそこにいたくなるような360度のパノラマと吹き渡る風だ。
 そうしているうちに、先ほどの人が背に汗をびっしりかいて戻ってきた。石に腰を降ろし、今来た彼方に見える山を指し、「万二郎 万三郎もいいですよ。ブナのそりゃあ大木があって感動しました。」 とスマートフォンを操り、以前撮った写真を見せてくれた。
 「それじゃあ。 金冠山まで戻って、これから仕事だから。」 と言う。
 「え、お仕事なんですか」 と驚く私たちに、
 「はい。今日は午後から仕事なんで。」 と歩き去った。
 私たちも山を降り、帰途に着いた。早起きすると、一日が長い。

9月のユーコさん勝手におしゃべり