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9月19日
果物が豊富になり、朝の食卓がにぎやかになった。梨、りんご、ぶどうと、毎朝
味覚の秋を楽しんでいる。
雨の多い9月だが、そうそう引きこもってもいられない。ハイキングがダメなら温泉とそばで楽しもうと、栃木県の粟野へ出かけた。
彼岸花の群生地があり、赤い華の咲く清流沿いにたくさんのカメラが並んでいた。
みどりの畑の中でそこだけ純白にそばの花が咲いている。一面輝く白さは、まるで雪が積もったようだった。農産物直売場できゅうりを買う。大きな梨が誇らしげに並んでいた。
目的地のつつじの湯に着いて、早速そばを食べ、お風呂に行く。
露天風呂に浸かっていると、ご婦人が一人ゆっくりと歩いてきた。岩風呂の奥の一部ジャグジーになっているところまで進み、先客に「おじゃましますよ」と声をかけて、岩に手をかけゆっくり沈んだ。
「どうぞ どうぞ」 と少し場所をずらした先客に、
「どうも」 と頭を下げて
「桃 梨
ぶどう、出揃うとギックリ腰になるの。 もう何十回なったか
わからないわ。」
「そうですか。たいへんですもんね。ギックリじゃないけど、私も腰やっちゃったことがあります。寝返りも打てない。」
「近くに医者が2件あるんだけど、診察券入ってるバックを持つのも重くて行かれないの。自分の身だけでも重くて。」
美しくて美味しいとだけ思っていた食卓の果実を支える人の声を、少し離れた湯舟の中で聴いていた。
「今日4日目なの。家のものに『寝てればいいのに』って言われたけど、『寝てても痛いから、温泉行ってくる』って、来たの。
接骨院行って『治りますかね』って言ったら、『金次第』って言うのよ。いつもどうせ一週間で治るから、『そんな言い方はないでしょ』って思って、保険診療分だけやって帰ってきたわ。一万円出せばホントに治るのかって、考えちゃう。」
お風呂から出て、名物の小振りのじゃがいもの味噌ころがしと山菜おこわを、おばちゃんの逞しい腰に感謝しつついただいた。
そばと温泉、そして小耳にはさむ地元の方たちの会話が、いつもうれしい粟野の旅だ。
9月14日
いつもカバンに小さなメモ帳を入れている。
出先でみかけたものや思い付きを、その時開いた適当なページに書いている。後で見直すためにページの角をちょっと折っておく。帰宅後、必要なことは別のノートに書き写したり、確認したりしてから、折目は元に戻す。
だからそのメモ帳は、順不同に様々な覚え書きが並んでいる。時々切り取られて穴のあいたページもある。
何年も使っているが、丈夫なつくりでまだ崩壊しないいただきもののノートは、元来はアドレス帳だった。ページの角にアルファベットがあり、Name
Address …
と並んでいる。アドレス帳としては入る予定の無いLとかQ、Vのページにも文字が埋まり、様々なところに旅に出た。
書いたことはけっこう覚えているのだが、並んだ植物の名前は
半分ほどしか頭の中に像を結ばない。
雨がちの9月、毎週のように台風が生まれ、秋雨前線を刺激する。ハイキングもバイクツーリングも中止で、雨粒のついた窓から外を眺めながら、空きページも残り少なくなってきた手帖を見返して、過ぎた日々としばし遊んだ。
9月3日
天災が 忘れないうちに やってくる
天災は忘れたころにやってくる、はずだったのに、忘れる暇もなく非情なニュースを見ている。
9月1日の防災の日に、葛飾区主催の「水害教訓バスツアー」に参加した。茨城県常総市役所で、一年前の惨状のレクチャーを受け、水没文書の修復作業を見学する。
鬼怒川の越水・決壊現場から常総一帯を多くの救助ヘリコプターが飛ぶ映像はまだ記憶に新しい。当時は市役所自体が被災して、非常用電源さえ水没して使えなかった。救助ヘリが飛ぶ間、その地域は計画停電となることをはじめて知った。確かにヘリや人が通電した電線に触れたら二次災害を招く。
たとえ自分の家が助かっても、数日間電気や水はやって来ない。自らも被災し、昼夜を問わず救助に走り回った職員さんの、「まず各自、自助を」ということばは重かった。
鬼怒川破堤箇所の横を通り、小貝川を渡って、つくば市の防災科学技術研究所へ行く。広い敷地に大型耐震実験や大型降雨実験施設があり、実際の土木や建築物を使っての実験・検証ができる。
研究に日本の大手ゼネコン各社が名を連ねる国立研究開発法人なのだが、本館のエントランスロビーの真っ白な天井には、雨漏りのシミがいくつかあって、自然の力の人知を超えたしぶとさを見せつけていた。
大型バスの車窓から、台風10号の余波で増水した川を見ながら、関東の水運、河川の変遷史についての解説を聞いて帰路につく。葛飾区もまた川に挟まれた低地にある。身につまされるツアーであった。
そして翌々日の今朝7時前、ウーっという複数のサイレンの音で目が覚めた。うちの店のすぐ前の堀切菖蒲園駅での人身事故だった。亡くなった方はどなたか、何があったか知らない。それを守るためにあんなに大切にされた人命を、自ら絶った人が搬送された後、
「電車が遅れ、ご迷惑をおかけして申し訳ございません。」
とあやまる駅員の放送が何度も繰り返された。
8月のユーコさん勝手におしゃべり
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