ユーコさん勝手におしゃべり

7月25日
 読書家ではないけれど、いつも何冊かの本を並行して読んでいる。寝る前とか、ちょっとした待ち時間に少しずつ読んでゆく。
 7月は、バタバタと過ぎ、前の月から持ち越した手持ちの3冊がどれも途中で、ほとんど進んでいないことに気付いた。気付いてしまうと、
 「7月は1冊も読み終えていない」ことに焦りを感じた。
 「店終わった後に、○○まで買物に行かない?」 という店主の誘いにも
 「7月は、私1冊も本読めてないから、行かない」 と断った。
 今どきはどこのショッピングモールにも通路や広場にソファーやベンチが置いてあるので、
 「○○で読めばいいじゃない。冷房も効いてるし」 と言われ、焼けた文庫本を手に出かけた。
 先日は、店主と千葉・佐倉の国立歴史民俗博物館へ行った。もう何度か通ったのだが、一日では見切れず、いつも時間の配分で後悔する。古代から順に見るからよくないのではということになり、今回は現代からさかのぼってゆくことにした。
 入場後、まず、民俗の特集展示、総合展示をみる。じっくり観たい店主を残し、私はそうそうに切り上げ、一人ロビーで本を読むことにした。
 しかし、そんなにまでして浮かせた時間なら、もっと有意義に使えるはずなのに、本を開くと、そばに座った博物館のグッズ納入業者と館の方との会話が気になり、しまいには睡魔に手ごめにされる始末だった。
 そうこうするうちに、何となくページは進み、終わりが見えてきた。何冊かを並行して読んでいるので、どの本も終了が近くなる。
 今晩は隅田川の花火大会である。例年なら近所の荒川の土手まで見に行くのだが、今年は終りそうな数冊とともに、家にいて、花火の音を背中で聞いている。
 今度は、まだ次の本を決めていないことに、また何冊か選ばないと、とうれしく焦っているのだった。

7月16日
 7月に入ってから雨が続き、台風もおでましで、日ざしの少ない涼しい10日間を過ごした。それが一転、雨が上がったとたんに猛暑となった。店主と以前から計画していた1泊2日湿原トレッキング旅だったが、直前まで着るものの仕度もできずヒヤヒヤした。
 できればバイクで行きたいが、雨の気配があれば車で、と決めていた。天気予報と首っ引きで、直前にバイクの二人乗りで行くことになり、荷物は最小限にパッキングした。
 7月14日4時半起床、花に水をやり亀にエサをやって朝食をとり、5時半には出発。
 空が白むころは涼しかったが、日が出るとすぐさま暑い。早朝というのに首都高山手トンネルの中は36度になっていた。中央自動車道を順調に走り、小淵沢で高速をおりた。空気がスッと涼しく、東京に居るときはジャーポットの中のお弁当みたいだったな、と思う。
 トンネルに入るたびに全身冷気につつまれ、首都高の地下トンネルとの違いに感じ入る。
 一日目の目的地は長野県富士見町の入笠山だ。沢入駐車場へバイクをとめ、入笠湿原まで約一時間ひたすら登る。入笠湿原は野花菖蒲が花盛りだった。小柄で孤独にスッと立つ青い花に、栽培種とは違う気品がただよっていた。そこからしばらく歩くと、入笠山の登山口の手前にマナスル山荘がある。店主が、
 「あ、やっぱりここだ。」 と声をあげた。
 まだ学生だった数十年前、友人と二人で来たことがあるという。「鐘があれば、絶対そうなんだ。」と言いながら近くへ行くと、はたして入口に鐘があった。とてもうれしそうに思い出を語る。
 「何にも考えずに友達とバイク2台で一号線をずうっと走って、京都まで行ったんだ。仮眠をとって夜中に京都を出るんだけど、同じ道で帰るんじゃつまらないからって、地図を見て諏訪湖の方へ行ったんだ。まだ雪は降ってなかったけど冬だったから、もう寒くて寒くて、服の中に体中新聞紙巻いて走ってきたのよ。それで早朝ここに着いて、あったかい朝食つくってもらって、やっと生き返ったのさ。出発する時この山荘の人がカンカンカンって鐘を鳴らしてくれて、今登ってきた車道をバイクでおりて、20号線に出て東京に帰ったんだ。」
 と、話しながら、その時だけ遠い青春の頃に戻っているようだった。
 代はかわっていたが、現在の山荘の方も話を聞いていて、
 「鐘、今でも鳴らすよ。出発の時、鳴らしてあげる」 と言う。山荘で焼きたてパンを買って、昔のままの鐘の音に送られて、入笠山の山頂にむかった。
 1955mの頂は、360度の絶景で、真青の空に白い雲と、ぐるりの山々が見渡せる。快い風に吹かれて、山荘で買ったパンを食べた。店主は、ちょうどよい角度の岩の上にゴロリと眠り、私は岩に背をもたれて持参の文庫本を読んだ。
 休憩の後は、次の目的地大阿原湿原まで下る。マイカー規制でひたすら歩く我々を尻目に、湿原の駐車場には伊那市のマイクロバスがとまっていた。市の植物観察教室のようで、レクチャーの声が聞こえてくる。一行が私たちと入れ違いに湿原を出てきた。さいごに残った老植物学者風の方が、私たちが下から登ってきたというと、「いいこと教えてあげましょう。特別ですよ」 と、テキストを開いて、
 「今日、リンネ草が咲いてました。」 とリンネソウの絵のページを見せる。
 「内緒の場所があるんです。この木道をずっと行くと、沢を渡ります。…」 とリンネソウの咲く地点を教えてくれた。
 「私も、2ヶ所でしか見たことないんですよ」 とゆったりとした笑顔を向けて、バスに戻っていった。
 清々しい木道とカラマツの林をぬけて楽しい出会いの大阿原湿原を一周した。そして、コースとしては来た道を戻って駐車場へ行くところなのだが、店主が、「同じ道を歩くのはつまらない」と地図をみて、舗装林道を下る道を提案する。山荘の人が、こっちの道も景色は良いと言っていたけれど、つづら折りの林道は大回りで距離は長くなる。沢もあり、木と草と花と虫とふれあいながら2時間、大汗をかいて下りつづけた。
 3時近くにやっと駐車場に着くと、マイカー規制のために駐車場にいた係りの人が、
 「元気だねぇ。こっちの道から来る人は100人に5人くらいだよ。なかなか降りてこないから心配しちゃったよ」 と言った。マイカー規制は3時までで、それを過ぎると帰ってしまうので、ヘルメットや荷物をバイクに置いたままだった私たちを心配してくれていたのだった。
 もうヘトヘトだったが、元気だねと言われて、元気をつくろい、再びバイクに乗って、長野自動車道を安曇野方面へ行く。夕方、安曇野のおいしいわさびでそばを食べ、本日の宿泊地穂高へ向かった。平らな地面に人が住み田畑が拡がるが、まわりはどちらを向いても山並みなのだった。学校の一クラスの人数よりも多いそれぞれの山にみな名前がついていて、地元の人は山の名前を教わったり教えたりしているのかなと思うと、ひとつひとつの山が生きているように思われ、おいしい空気をあらためて胸いっぱいに吸い込んだ。
 そばで夕食も済ませたので、宿で温泉につかると、早々に寝てしまった。夜半に店主が、「満天の星だよ」というのを、夢うつつで聞き、気付いたら朝だった。目覚めた鳥の声を聴きながら露天風呂に入り、出発の仕度をする。
 2日目の目的地は湯の丸高原池の平湿原である。
 その前に、長野へ行ったら定番の上田のそば店へ行き、昼食に大もりの旨いそばをたいらげた。上田から東御市へ入り、ただただ暑い平地の市街地を走りぬける。昨日は各地で今年一番の暑さとなり猛暑記録を更新したとニュースが告げていた。
 バイクが湯の丸高原への坂を登りはじめ、湯の丸スキー場を過ぎると、暑さは去り高原の空気が一面を支配する。池の平湿原の駐車場へバイクをとめ、アヤメが咲く湿原へ下りてゆく。黄色と白のまたたきが視界の中にひらひらと入ってきた。あざやかな蝶が2頭、たわむれながら舞っている。黄色の中に白と薄茶の柄のある1頭と、白くてふちに黒いレース飾りがついたような1頭である。後で調べると、ミヤマモンキチョウとミヤマシロチョウだった。
 しばらく蝶と一緒に歩き、見晴岳への山道に入る。毛虫が1匹地面に落ちて、数匹の蟻に襲われていた。「ダメだよ、これから蝶々になるんだから」 と言って、かたわらの小枝で毛虫をすくいとり、木の幹に乗せた。そういえば、朝宿から出るときも、コンクリートのバイクガレージに迷いこんでうろうろ歩いていたメスのカブトムシを、外の木の幹に戻した。
 虫たちも生きてゆくのはたいへんなのだ。なんのこれしきと、足を運び、2110mの雲上の丘まで登って、景色と涼風を楽しみ、駐車場へ戻った。
 この日は、もうひとつ、年来の目的地があり、再びバイクに乗り、長野から群馬へ県境を越え嬬恋のキャベツ畑をぬけ草津を通って、中之条町六合へ入る。対向車もあまり無くて心細い道だが、途中で「チャツボミゴケ公園」への案内看板が見えて、安心した。数年前、その存在を中之条町の役場で聞いたときは、まだそう整備もされていなくて、手書きのコピーの案内図をもらったのだが、その後ラムサール条約に登録されたそうで、入場が3時半までになっていた。ぎりぎりで間に合って、チャツボミゴケの群生地とそこに至る川と滝の道を楽しんだ。
 梅雨時、台風のはざまの二日間だったが、「天候に恵まれ大満足の旅だったね、」とバイクの前後で話しながら尻焼温泉への山道を走っていると、ポツポツと雨が降り出した。しばらく雨やどりを、と思う間もなくズザザザザーと雨が来て、二人であわててカッパを着る。
 「山あいだから仕方ないね。台風の影響かな」 と言うと、店主が空を見て、
 「東京の方は降ってないから大丈夫だよ」 とこたえた。暮坂峠までは雨だったが、その先はもうどこも降っていなかった。中之条の役場の駐車場で濡れたカッパを広げて干し一休みしていると、仕事の終った役場の人がやって来て、チャツボミゴケ公園の話しがはずんだ。国の天然記念物にも指定されるようで、ますます整備されてゆくらしい。今の内に行っておいてよかった。
 その後、渋川の永井食堂でもつ煮定食をたいらげ、旅のスケジュールはひととおり終了した。
 あとは、「旅は無事に帰りつくまでが旅の内」とお互いに言い合って、暮れゆく関越自動車道を東京に向かった。あんなに周り中にあった山が背後だけになり、しまいにはひとつも見えなくなる。それに従って、空気は体にまとわりつくように暑さを増した。
 ビルとビルの間の溝のような道を走ってゆくと、だんだんと頭が仕事モードに帰ってゆく。
 それはそれで、楽しく仕合せなことだと、バイクの後ろのシートで帰宅後の段取りが組み立っていった。

7月1日
 曇天だが雨は降らない予報の6月の最終日、河口湖へラベンダーを見に出かけた。月末なので渋滞も覚悟して、早起きした。身支度をして、先に外に出た店主が、すぐ戻ってきて、
 「亀が卵 うんでる」 と言う。
 外に出てみると、小庭の水槽にいくつも卵があった。網ですくうと、全部で10個で、すでに割れているのもあった。
 「水とりかえなきゃ。 おなかすいてるだろうから、冷蔵庫の鶏肉持ってきてよ。」
 と店主が言う。おなかに卵を抱えて食の細くなった飼い亀が、前日食べ残した小分けの鶏肉が冷蔵庫に入っていた。
 とりあえず、お出かけは後回しで、よくがんばってケロリと元気を取り戻した亀の労をねぎらって、店主は水槽の掃除を始めた。
 今年は5月が暑かったので産むのも早く、しかも一度に10個と大量だった。小出しに産んで何日もかかることもある。
 朝からうれしいハプニングで、早起きした分の時間は帳消しになったが、明るい気分で家を出た。
 出発が遅れ、渋滞必至の首都高速道路に乗る。
 順調に走った車が、王子あたりで超低速になった。渋滞でゆっくり走っていると、鳩が一羽ヨラヨラと飛んできた。少し飛んで道路脇のフェンスで休んでいる。よく見ると尾羽が傷ついていた。落ちてしまうのではと心配していると、すっと飛んで前方の観光バスの上にとまった。そしてそのまま移動している。
 「はとバスだ!」
 と店主が言った。
 「ほんとだ。はとバスだね。」
 希望の地点まで進んだのか、鳩はまたスッと飛び去った。
 一時はとバスになったとも知らずに、他社の観光バスは進んで行く。
 鳩の行動を話のタネにしているうちに渋滞を抜けた。中央自動車道を快調に通過し、本日のメインイベント河口湖に行く前に、本日の影のメインイベント吉田うどんをいただく。目当てのうどん屋さんで満足の食事をして、新しくできた新倉河口湖トンネルを抜けると、すぐ河口湖に着いた。花盛りのラベンダーと、咲きそめて初々しいあじさいを楽しみ、温泉へ向かった。湖沿いの道を、タヌキが一匹、車の進行方向と同じ向きにタッタと走っていた。
 かちかち山の舞台の天上山の近くだった。天上山にある太宰治の、「惚れたが 悪いか」の碑を思い出した。
 朝から動物づいた日であった。

6月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の「おしゃべり」