ユーコさん勝手におしゃべり

6月25日
 亀は毎日チャレンジング。
 ふだんは従順にひなたぼっこにいそしみ、エサをねだる飼い亀が、この時期、エサを拒否し、ひたすら脱走を試みる。
 甲羅があるのでお腹は出ないが、妊婦になったのである。甲羅があるから、卵があると食べ物が入らない。好物のエビも少し食べると、
 「もう よござんす」 という風に前足で払いのける。
 昼間は店の横の小庭に囲いをして放している。毎年少しずつ知恵をつけ、体も大きくなっているので、去年は登れなかったところも乗り越えられるようになっていた。人が見ていると、あらぬ方を向いて、とぼけているが、亀は日々身をよじって脱走ポイントを探しており、こちらは毎日、柵を強化工夫している。
 外へ出たところで外で産卵するわけではなく、産むのは決まって自分の水槽の中なのだが、なぜかこの時期、彼女はどこかここではない場所へ行きたくなるらしい。
 この前の店舗休業日、庭に彼女を置いて出かけた。「これで出られないから大丈夫」と出掛けに各所の柵も点検した。
 夕方帰宅すると、亀は長いビニールひもで上手に縛られ、犬のように花壇のアーチにつながれていた。店主と私は顔を見合わせ
 「脱走したんだ!」
 「どうやって? そして、誰がこんなにうまく結んでくれたんだろう」
 と驚き合った。亀は慣れた人に慣れてはいるが、持ち上げられるとけっこう抵抗する。そして20歳ともなるとけっこう重い。 その日は、ひもを解いて水槽に戻した。
 翌日から、「亀、どうしました?」 と何人かに声をかけられた。脱走してひとりで歩いているところを見かけた方たちからだった。
 「どなたかが捕まえて、庭に戻してくれてたんですよ」 と応えたが、上手に結んでくれた人が誰だかは、わからなかった。
 数日後、店主がよく亀をつれて散歩に行く場所の、すぐ前の家のお姉さんが通りかかって、
 「亀さん、大丈夫でした?」 と笑顔を向けた。あの日、亀は彼女の家の玄関の前にじっとたたずんでいたのだそうだ。
 「まぁ、すいません。ほんとに上手に縛ってあって、どなただろうって思っていたんですよ。ありがとうございました。」 と頭を下げると、
 「ひもが、からまっちゃわないように、なるべく高いところに結んどいたんだけど、どーしたかなーって、心配してたんです。」 と笑って言った。
 こういった生き物の扱いに慣れた力の強い人の手になるものだろうと思っていたので、軽やかに答える若い女性と、あの日の十文字に縛られた亀が結びつかなかった。
 人は見かけによらないのである。それにしても、愛ある人に出会えてよかった。
 もちろん、脱走後、店主工夫の柵はも少し高くなり、隙間も念入りにふさがれた。
 無精卵だし、産んでしまえばケロリとしたものなのだが、産卵が終了するまで、脱走本能との闘いはしばらく続く。

6月21日
 雨の朝は、博物館や美術館へ出かけることが多い。おとといは、目黒雅叙園の百段階段へ「神の手・ニッポン展」を観に行った。
 JR目黒駅から雅叙園へ店主と二人で坂を下って行くと、大圓寺と書かれた大きな門があった。中に五百羅漢がおわす古刹に魅かれて門をくぐりお参りをした。すると急に雨足が強まり、あわてて折り畳み傘をひろげた。その日は、店主のお気に入りの傘を持って出ていた。
 雅叙園の展覧会も大満足で、帰りの電車内で出品作品のあれこれについて話は尽きなかった。上野で昼食をとって店を開け、発送作業に追われた。
 昨日は曇りで、自転車に乗って足立区立博物館へ「版本の世界」展を見に行った。出がけに干した昨日の傘を、帰ってきて畳んだ時、店主が、
 「傘の袋は?」 と聞いた。二人とも記憶になかった。その日持って出たバッグにも入っていなかった。 店主のイライラが伝わってきていたたまれない。
 頭の中で前日の足取りをたどり、大圓寺さんに電話をかけてみた。傘袋の特徴を告げると、「届いていますよ」 とうれしいお返事だった。
 さっそく翌日取りに行くことに決め、天気予報を見ると、雨だった。せっかく電車で出るのだからと、上野から目黒方面の展覧会を探す。
 有楽町の出光美術館で「田能村竹田展」がはじまっていた。10時の開場時に美術館に着くように時間を逆算して、8時半に家を出た。まず目黒へ行き大圓寺さんへ。大黒天、五百羅漢、そしてこの寺にゆかりの八百屋お七の恋人吉三さんの碑にもお礼を言って手を合わせ、社務所で傘袋を受け取る。そのまま目黒駅へ取って返し、有楽町まで電車に乗ってちょうど10時に出光美術館の前に着いた。
 田能村竹田の絵を見るのは初めてだ。昨日のうちにざっと下調べをしたが、百聞は一見に如かず。ネットの画面で見るのはただの知識だが、実物は息づかいが違う。絵の中に入り、登場人物の一人になったり、全体を眺めて絵の季節を感じたり、江戸時代の作品なのにもっとずっと近くにあるように思われた。
 解説も細やかでわかり易く、充実の展覧会だった。予定より長く鑑賞していたが、今日は雨で店舗は休業なので、すこしゆっくりお昼をいただいて店に戻り仕事についた。
 傘の袋を失くしてしまわなかったことで、昨日今日は世の中全体に感謝したい気分である。

6月20日
 もしも桜が匂ったら、と考えている。考えているうちに慌しく一週間が過ぎた。
 乱暴な梅雨がやってきて列島を席巻し、北関東各地にも大雨突風の注意報が出た火曜日、茨城だけポッカリと雨の予報からまぬがれていた。当店の観光大臣を自認する店主が月曜の晩、天気図を見て、
 「明日は茨城へ行く」 と決め、二人でかすみがうら市の雪入山へ出かけた。
 雪入ふれあいの里公園まで車で行き、曇天の千代田アルプスのハイキングコースをまわった。暑くなく寒くなく、時折陽も出るハイキング日和だった。コースのところどころに山桜の大木がありランドマークになっている。桜の時期にはさぞ壮観だろう。
 道は歩きやすく急斜面にはロープがかけてある。大きく枝を伸ばす桜の木々が印象に残るコースだった。
 そして帰宅後、「もしも桜が匂ったら」 と想像した。
 角を曲がるとふっとくちなしが香る季節である。沈丁花、ジャスミン、金木犀、香りの花はたくさんあるけれど、みな小花である。くちなしは純白に開くけれど、すぐ茶色くなってしまう。バラも芳香は黄色やピンクのものに多く、大輪真紅のバラは香らない。
 ゴールデンウィークの頃店の横でジャスミンが満開になると、近所にはばかられるほどの香りを放つ。しかし街中にジャスミンがあるわけではないので、一時一角のことである。
 どこにでもあり、ずらりと並んで植えられた染井吉野が、あの花数でいっせいに香ったら、日本の春は逃げ場がない。
 桜は大木になっても、花が人に見えるように下を向いて咲き、花弁からポトリと落ちずに花びら一枚ずつヒラヒラと散るサービスのよい花である。あれから数日考え続け、花に香りがないのも桜のサービスの一環なのかと思い至った。

 桜もち 香りは葉っぱで 楽しんで

6月14日
 スズメとカラス
 どちらかに加担するものではないが、やはり判官びいきになる。
 今朝、店の三階の窓辺にいると、カラスの声が間近でやけにうるさい。窓を開けると、店の前の電柱の変圧器にあるスズメの巣の真下の電線に、カラスが2・3羽来て鳴いている。巣はシーンとしている。
 私が小声で
 「だめよ…」 と言うと、カラスはいっせいに飛び立った。静かな巣に耳を凝らす。何年か前カラスに襲撃されてしばらく来なかったスズメが、昨年くらいからまた営巣するようになっていた。
 「遅かったか…」 と不安になる。まもなく巣の中からチチチチといくつもの元気な声がした。呼応するように親鳥も来た。それからは日常の出入りがはじまり、ホッとした。

 先日、横浜にある実家に行った時、いつものように綱島温泉へお風呂の仕度をして向かった。出掛けに父が、
 「もうすぐ閉めるって新聞に出てたよ。まだやってるかなぁ」 と言っていたが、はたして入口にはフェンスがしてあり、中にはもう重機が入っていた。
 綱島温泉東京園は、東横線綱島駅前という都会にありながら、100%源泉かけ流しの温泉だった。湯舟に浸かると自分の体も見えなくなるくらい真っ黒な湯で、広い休憩室と大きな庭がある。それが銭湯価格で利用できるという、そこだけが昭和に戻ったような空間だった。
 実際の年代も昭和だった子どもの頃には毎日前を通っていたのに興味もなく、入ったことがなかった。その良さと希少価値がわかったのは大人になってその地を離れてずい分たってからだった。
 こんど東横線と相鉄線が相互乗り入れして、地下鉄が綱島温泉東京園の直下を通ることになり、温泉としての営業ができなくなったらしい。数年間は資材置き場として利用され、その後はここに新駅ができるか、温泉として復活するか、まだ不確定なようだ。
 いずれにしても、駅前にぽっかりと残った広い土地だったので、もとの姿にはならないことは確実だ。

 鉄道と銭湯
 カラスとスズメ
 大きいと小さい。強いと弱い。
 どちらに加担するものでもないが、どちらもより良く、うまいこと生き延びてほしい。

6月13日
 好天を受けて花は一気に咲き進み、一気に終息しようとしている。そろそろ堀切菖蒲園の菖蒲も見納めだ。
 うたげの後は淋しいものだが、花は終らねば来年につながらない。手入れをする人はもう次の手筈を整えていることだろう。
 一年に半月ほどの見ごろのために、ひと気のない園内で作業する庭師の方たちをよくシーズンオフの散歩の折に見ていた。雪の積もった後は水をかけ、わざと雪を凍らせていた。それから氷のかたまりをきれいにはぎ取って、土を出し、菖蒲の一株一株に肥料を撒くのだ。
 そんな影の努力が花になって、波が来るように人を呼び、波がひくようにもとに戻る。江戸時代から繰り返された波を、また来年も見てみたい。

6月5日
 今日から菖蒲まつりがはじまった。
 堀切菖蒲園は初日というのに、はや見頃。近来の温暖化で、6月中は菖蒲まつりという昔からの日程が、花の盛りとズレてきた。5月下旬から6月半ばとした方が適時ではないかと思う。
 今年は5月に好天高温が続いたせいか、つばめの肥立ちが良い。堀切菖蒲園の駅舎の巣でも、ムクムクとよく太り、巣からあふれだしそうに育ったつばめが、それでもまだ親の来るのを待っている。
 一生のうちで一番おなかがすく時期で、エサの来るのが待ち遠しかろう。どれが親やら子どもやら見分けがつかなくなったころ、可愛い飛行練習がはじまる。
 日々かわる様子に、駅前を通るのが楽しみな季節である。

5月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の「おしゃべり」