ユーコさん勝手におしゃべり |
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3月18日 おととい亀を起こした。 冬眠用の水槽を棚から下ろし、落ち葉をのけると、泥の中でわずかに手足を動かした。今年も元気に出会えて、良かった。水道で洗ってやると、さっそく店主と散歩に出て、ひなたぼっこを楽しんだ。 小庭では、早咲きのチューリップにつぼみがびっしりついて、ビオラがいっせいに謳歌しだす。 飼い亀が冬眠からさめた翌日、今年初のバイクツーリングに出かけた。 申し分のない好天の朝、土手に菜の花の香る江戸川を北上し、常磐自動車道で茨城へ向かう。桜土浦で高速をおりて、見渡す限りのれんこん畑の中、春霞の霞ヶ浦沿いを走る。れんこん畑に腰や胸まで浸かって農作業をしている姿に、今年もたくさんれんこん食べよう、と思う。 夏に一面、蓮の花が咲く光景を思い描くうちに、景色は蓮田から稲田にかわった。バイクは茨城から千葉に入り、水郷の町へ向かう。佐原の街並みを散策し、香取神宮へお参りして帰宅し、店を開けた。 早起きして、いいものたくさん見て、頭を切り替え仕事する。一日を二倍に生きたようで、これも日が長くなったのと暖かい日ざしのおかげと、お天道様に感謝した。 3月13日 白木蓮は、またたく間に咲く。 沈丁花は冬の間から緑の葉の中に赤いつぼみをたくわえ、人や鳥の期待を集めて気を持たせながら開花する。 白木蓮は葉もなく、地味な仕様で目立たずにいて、花芽がふくらんだと思う間もなく、いきなり花があらわれる。 先日外出帰りに車窓から木蓮のつぼみを見つけ、道端の木々に気をつけるようになった。そちこちで、白くふくらんだつぼみをみかける。 裸木に白い小鳥が降り立ったようで、祈りの手にも、ランプの灯りのようにも見える。白い木蓮が咲くと、続いて赤い木蓮も桃も開き、いよいよ街に色があふれる。 今年も方々へ梅を見に出かけた。近くには自転車で、近県の名所には、車や電車で行った。でも実は、今年いい眺めだなあと思ったのは、どこの庭園よりも、農家のお庭の梅だった。 栃木でも埼玉でも千葉でも、農地の周辺には、花をたんとまとった梅がある。 「質実剛健」とばかりに立つ姿が、何度も何度もあらわれ目を楽しませ、その度、旅の楽しみは幾重にもました。 3月6日 おととい、ある雑誌のバックナンバーをホームページにアップした。 2月の後半から、発送などの仕事と併行して、来る日も来る日も、同じ雑誌のバックナンバーを見続けた。誌面には多くの記事があり、その中のどれをつまむか、書き手全員を並べるわけにはいかないので、著者欄に誰を出すか、毎日頭を悩ました。 年代が古くなるほど紙は貴重で、各記事は隙間なくツメツメに入れ込まれている。一作家のスペースが半ページとか見開きひとつということも多い。名前を出すか否か悩む。 悩んだ時基準となるもののひとつが、過去のお客様の声だ。以前草稿を買ったり、自ら年譜を編んだりするような熱心なファンのいる作家だと、そういった人に向けて、著者欄に名前を入れる。 「○○さんのものなら小さな資料でも欲しい」というリクエストを時々いただく。しばらくは探すが、なかなか応えられず、そのまま時は過ぎてしまう。でも頭の片隅には残っていて、フト雑誌等でその名前を見つけると、往年の罪ほろぼしのつもりで、著者欄に名前を入れる。もしかして、まだ探している人がいるかもしれないと思って—。 記事や名前で検索して本を買ってくれたお客様が、本を見て、 「たった これだけ」 と思うか、 「ああ、こんなところに」 と足跡を懐かしむか、これはひとつの賭けでもある。 最初は投稿者だった人が、ある号から正式な書き手になり、流れる時代や個人の成長がみられることも多い。その全てを書くわけにはいかず、そしてたいていどんな雑誌でも、書きたいことがたくさんあって書ききれずに漏れてしまう号と、書きたいトピックがみつからない号というのがある。頭の痛いことだが、やり終えると、総じて楽しい作業だったと思える。一度ネットにのせると、売れるまで何年でもそのまま残る。年に何度かは、お客様からの注文の際、コメント欄に、 「祖父の書いたものです。出会えてうれしいです」 などと書かれている。あるいはそれは祖母だったり、大おじ大おばだったりする。 苦労して記事をつまんだ甲斐があったと、こちらまでうれしく、懐かしいような気持ちになる。古本屋冥利を感じる時でもある。 そういえば、このところ入力中に、たてつづけにパソコンに笑わせてもらった。 「花も嵐も」のつもりで打つと、「鼻も嵐も」と出てきたのは、今年の花粉症の発症の日だった。 「現代文学選」は「現代文が苦戦」となり、「わざとか?」とパソコンにつっこみを入れたくなった。きわめつけは今日、「犬神家の一族」のところが、「犬が三毛」という何ともかわいらしい一族が出てきた。 もちろんすぐ訂正するが、仕事中思わず頬がゆるみ、手近な紙にメモして、何度も見ては笑った。 3月2日 梅が咲いている。自転車で買物に出ると、 「この通りをまっすぐ行けば、あそこに咲いている」「この角を曲がったら、パッとあらわれる」 と頭の中には梅地図ができている。 今は梅地図が描けるけれど、一年たつと、たいてい忘れる。梅の時、桜の時、ひまわりの時、椿の時とぐるりと回って翌年の咲き初めにまた新鮮な喜びで花と出会える。 寒い冬や暑い夏がなければ、この小さな驚きもない。四季があることに感謝する。 2月の最後の日、近所で沈丁花のさいしょの一輪が咲いているのを見た。顔を近づけ、鼻いっぱいに香りをかいだ。 3月は雨ではじまった。強い雨の一日と激しい風の一夜が過ぎ、今日、沈丁花は二部咲きになっていた。 これから、沈丁花地図がつくられる。 2月のユーコさん勝手におしゃべり |