ユーコさん勝手におしゃべり |
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2月26日 南関東の沿岸に春一番が吹いた翌日、三浦半島南岸へハイキングに出かけた。 歩くコースやバスの時刻は店主が調べ、前夜までに即席パンフレットを作成した。 早朝、車で出発し、宮川湾の駐車場へ車を入れた。宮川町から毘沙門天入口までバスで行き、海沿いを宮川湾まで歩いて戻る三時間ほどのルートだ。誰もいないバス停でおにぎりを食べながらバスを待つ。二人ほどの乗客を乗せたバスは、海岸を離れ、キャベツと大根の畑の中を走ってゆく。見渡す限り緑色の中で、降りるバス停の名前が告げられ、あわてて降車ボタンを押す。運転手さんも、「降りますか?」と意外そうに言い、バス停にバスが止まった。バス停には誰もいない。遠くに畑作業をする人と軽トラが見えるだけで、人影はなし。おだやかに晴れた空の下で、大根とキャベツだけがスクスク育っていた。どっちへ向かって行けば、と周りを見ると、「岩礁のみちハイキングコース」の看板があった。道を下ると視界がひらけ、海に出る。 見晴らしの良い岩礁の間に時々砂浜があらわれ、貝殻の上を歩く。店主が、「牛みたいな貝」と言いながら、小さな白黒模様の貝を拾う。きれいな貝を見つける競争と称して、目を凝らし手に取るが、どこか欠けていたり穴があったり、なかなか完璧なものはない。 「見て見て」と店主が手招きする方へ行くと、大小さまざまたくさんのヤドカリが、たまった水の中をうごめいていた。とても小さいヤドカリは、とても小さい貝をしょっている。こんなに小さくて、しかも形のいい貝が彼らにはみんな見つけられることに驚いた。 一番小さいヤドカリの入った貝殻は、少し大きくなって脱ぎ捨てる時いらなくなるから、次に生れた小さいのが使う。つまり、ヤドカリだまりには、赤ちゃん用品のリサイクルショップみたいなのがあるのかなぁ、と思う。大きくなれば自由に歩いていろんなところへ行けるけど、 「卵を産むのは、小さい貝のいっぱいあるあそこがいいわよね、みたいな…」 と、つまらない妄想話をしながら、岩場を歩いた。 結局貝殻は、店主が三個選択し、私も二つ白地にさくら色模様の貝を手に歩いていたが、途中で、「これ二つ持ち帰ってもしょうがないな」 と思って海に返した。 天候に恵まれ、気持ちよく歩き、たくさん食べて、帰宅した。 帰宅後店主は、「貝、持ってこなかったのか」 と聞いた。 「うん。」と答えて、書棚を見ると、10年ばかり前、店主がバイクで日本一周ツーリングをした時に北海道のどことかで拾ったという小さい石が目に入った。 こういうのを持ち帰って、それを思い出とするのがコレクター気質というものなのだ。 私も持ってくればよかったかなとも思ったが、今目に入ったものを次々楽しみ次々忘れる私には、やはり不要だと気付いた。 夜、それぞれ形が違い、きれいに洗われた自慢の貝殻が三つ、白い洗面台の上に並べられていた。 2月22日 季節がゆれている。 雨、晴れ、雪、曇りと、同じ週内でもめまぐるしく天候が変わる。寒暖をくり返し、春への勢いをつけている。 梅が咲き出し、時間をみつけては、ちょこちょこ出かけている。開きかけのつぼみを見ると、初々しさに思わず顔がほころぶ。 店主は今にもはじけそうな白梅のつぼみを、「ポップコーンみたいだ」と言う。 昨日の朝行った足立区大谷田公園の梅園は、足元に植えられた福寿草の輝く黄色が、梅の紅白に映えていた。 帰宅後、昼食の用意をする時、ダイニングのカウンターに出した自分用の小さいおひな様が目に入った。そばに永谷園のお吸い物の袋がある。二つずつついたお吸い物の絵柄が金屏風に見えた。切り取り線のところで二つ折りにして内裏雛のうしろに立てると、ちょうどぴったりの大きさだ。 今年のおひな様は、永谷園の[松茸の味お吸いもの]の袋の前に鎮座することになった。 2月14日 冬はみかんの皮を干して、お風呂に入れる。 2月に入って、みかんにデコポンの皮も混ざるようになった。香りがはずみ、浴室が一段明るくなった。 おとといスーパーに行ったら、「西郷どん」と「くまモン」のビニールに入った新ごぼうがあった。一本買って、さっそく他の根菜やきのこと、いり鶏にしていただいた。 房総の菜の花も、連日お行儀よく売り場に並んでいる。 早春は、暖かい地方の柔らかな香りからやってくる。 そろそろ、おひな様を出す場所をつくろうか。 2月12日 今週の火曜日、栃木の佐野へラーメンを食べに出かけた。車で首都高から東北自動車道へ入ると、前を走る新潟ナンバーのトレーラーのうしろ扉から、晴天に照らされた道に、雪片がコトリコトリと落ちていった。 空気は冷たくても日ざしは暖かく、田んぼは霜が降りて白いが、麦畑は緑に萌えていた。 寒気の底とか、今冬最大級の寒波ということばとはうらはらに、少しずつ春の気配を感じる。おとといの朝、私が一匹、昨朝に店主が一匹、室内の壁にクモを見つけた。 「クモは悪い虫を食べてくれるんだから」と常々店主は言い、店や書庫を歩いていてもおとがめなしだ。冬になって見かけなかったが、今年初おめみえである。 今朝、ゴミ出しのために外に出ると、地面になめくじがいた。これも今年初めてのおでましだ。なめくじやカタツムリは、葉っぱを食べてしまうので、たくさん出てくると困りものだが、最初の一匹は季節の使者のようでうれしい。 冬眠中の飼い亀にも、もう虫は出てきたよと声をかけてみたくなったが、もうしばらく寝かせて置いてあげよう。 早咲きのチューリップの咲く頃起き出して、桜の花見の頃散歩に出る。 いつもの春が、今年ももうじきやってくる。 2月8日 2月がやってきた。やってきたと思うとすぐ過ぎ去ってしまう2月が日数をかせいでいる。その間私は、「欲」と「夢」の境界について答えのない問いを繰り返していた。 パソコンのニュースサイトや新聞は、あまりにも重さの違う見出しの並列、羅列で、頭を混乱させる。2月はバーゲンの時期でもあり、あちらからもこちらからも広告がやってくる。 夢、欲、希望、野心、そんなことばのうず巻きに入りこんで数日がたった頃、寄席へでも行こうと思い立って、上野行きの電車に乗った。その日は一日雪か雨になると天気予報が告げていた。 昼の開場までまだ時間があるので、本屋に入った。平置きに積んである本を一通り見て、棚にある本の背を眺め渡す。手には取らず、題名だけを読んでいく。 題名にはそれぞれ工夫があり、中身を彷彿しながら見ているので、それだけで充実した時間が過ごせる。 本屋を出て、雪まじりの雨の降る上野の街を、寄席へ行く。 上野広小路亭は入り口で靴を脱ぐ。スリッパで階段を上り、下駄箱へ靴を入れて、3階に高座がある。畳席に座って半日過ごした。落語に出てくる人たちは、ちょっとずるくて、ちょっとぬけてて、心から善人でも心から悪人でもない。本音で生きる昔日の人たちが、歯切れのいい江戸弁で語られ、寄席へ行くと、その日と翌日くらいまで、口調がうつって冗舌になる。 2月の寒さとともに背負った課題は、高座を見上げながら食べたみかんの皮や飴の包装紙といっしょに一皮むかれて軽くなった。 軽くなって、頭の隅の未解決ゾーンに収納された。 「きれいはきたない。きたないはきれい。」 欲と夢にははっきりと境界はないんだろう。あいまいを許そう。 2月、何はあっても梅は咲く。 1月のユーコさん勝手におしゃべり |