ユーコさん勝手におしゃべり

10月27日
 郵便局へ発送に出かけた帰り道、ケータイ電話で話をしながら歩いている女の人を追い越した。
 「その時は仕方なく、『ああ、いいですよ』って請け負ったんだけど…」
 同じ歩調で進んでいるので、私のすぐ後ろでケータイに話している声が、聞くともなしに耳に入ってくる。
 「ふつふつと憤りが、今さらのように湧いてきて…」
 笑いながら喋っているけど、怒っているのだった。
 若い女性だったが、語彙力の豊かな人だな、と感心した。仕事もできるに相違ない。今回の徒労も、きっとすぐに報われますよと、背中で応援した。もちろん同僚(?)への電話に夢中の彼女には目に入らなかったろうけれど—。

10月25日
 飼い亀の冬眠時期が近づいてきた。
 店横の小庭に放すと、小さな隙間を探してはもぐり込み、プランターと柵の間にはまって抜けられなくなる。散歩に連れて行っても、春夏はどこまで行くつもりだろうと思うくらい歩き回るのに、今は草の下に分け入ってじっとしている。
 半月くらい前からは食餌もとらず、排泄もせず、たまにのどを鳴らしてクーと鳴く。朝、日が昇ると起きて、夕刻暗くなると寝る生活はまだそのままだが、来月東京の紅葉が始まると寝ている時間が延びてゆき、12月落葉と共に冬眠水槽にもぐることになる。
 通常は外にいる亀だが、冷え込む日は、店主が店に連れて入ることがある。先日、店主が亀を指して、
 「コイツは、アンドレア・ボチェッリが好きなんだ」 と言った。
 「見ててみ、聴いてるから」 と、店に音楽を流しているパソコンの音量を上げる。
 「ボチェッリがかかると首を伸ばして聴きに来る。特にアマポーラが好き」 なのだそうだ。 最初は、「エー、自分が好きだからそう見えるだけでしょ」 と笑っていたが、何日か観察しているうちに納得してきた。耳は敏感で、私や店主の足音や声は聞き分けている。犬が救急車や時報チャイムなどそれぞれ決まった音にだけ遠吠えするように、自分に合う波長とか好きな音域とか、あるのかもしれないと思えてきた。
 ともあれ、あと一月ちょっとで冬眠だ。月が変わったら、冬眠水槽に入れるきれいな落ち葉ふとんを探しに出かけよう。 

10月19日
 前回この欄に、方丈記の「手の奴(やっこ)、足の乗物(のりもの)、よくわが心にかなへり」のことを書いたが、店主には自分の足以外にもうひとつ、オートバイという16歳から絶え間なく乗っている足の乗物がある。
 この10年間、山へ海へ、果ては日本一周の旅へも、乗っては磨き、出かけては整備した一台を、先日、次の10年の為の新車に乗り換えた。納車以来、開店前・閉店後は、毎日バイクにかかりきりである。新車なのに、何をそれほど整備調整することがあろうかと素人の私は思うが、とにかく知りたいことが山のようにあるらしい。
 昨晩も未明まで作業していたが、今朝も気付くと調べものに余念が無い。朝、店の机の上には、バイクの部分平面図を描いたノートがあり、「これは移動可?」と書かれていた。
 メカニカルなことから、「ここにカッパが入るか」とか「うしろの人(私のこと)は、こうした方が快適か」といったバイクの中の空間のことまで、新車が目に入るたび、頭の中にいろんなことが浮かんでくるらしい。
 金はかけずに手はかける、をコンセプトにもくもくと遊んでいる。明日は慣らし運転を兼ねて部品を買いに出かけるそうだ。
 これから寒くなって、遠出をするのは来春になるだろう。そろそろ動きが鈍くなって冬眠時期が近づいてきた飼い亀と、先日植えたチューリップの球根、そして店主と、この冬はそれぞれに春が待ち遠しいことだろうな。

10月17日
 秋の日はつるべ落とし。
 秋の日は暮れるのも早いが、紅葉の見頃の秋日和が終わるのも早い。気付いたときには通り過ぎてしまうので、日程と天気が許せば、店主と二人でさっと出かける。
 今週は奥日光へ、いろは坂をのぼり中禅寺湖南岸ハイキングコースを目指す。
 朝5時に起きて焼おにぎりとサンドイッチをリュックに入れ、車にトレッキングと帰りの温泉の仕度も積んで出発。8時には歌が浜の駐車場に着いた。ここでお湯を沸かして水筒に入れる。店主の思いつきで、ティバッグの紅茶と緑茶、ドリップバッグのコーヒーをひとつずつ持ってきた。休憩のたびに違った飲み物が飲め暖もとれる、グッドアイディアだった。
 8時半に立木観音の前の歌が浜駐車場を出発した。平日とはいえ、紅葉の盛りで、このあたりはにぎわっていたが、湖畔を歩き出すともう周りにほとんど人はいない。
 積もった落ち葉をしゃかしゃかと音をたてて踏みしめながら、目の保養をして進む。今回、「方丈記」を読み終えたばかりで、「勝地は主なければ、心をなぐさむるに障りなし (景色のよいところは、持ち主もないので、思う存分眺めても支障や物入りがない)」のところや、「手の奴、足の乗物、よくわが心にかなへり (他人を指図し気がねをするより、自分の手を召使として使い、自分の足を使って歩く方が、自分の思う通りになる)」 を話題にして、本の余韻を楽しんだ。
 途中、目の高さで何かがささっと動いた。小型のキツツキのコゲラだった。ここは野鳥のテリトリーなので人が近づいても慌てることなく、太い幹をよじ登っている。けっこうな速さで縦移動するので、小鳥が高速エレベーターに乗っているように見えておもしろい。時々止まってくちばしで木の幹をコツコツたたいていた。
 しばらく行くと、岩の上に真っ白な鹿の頭蓋骨があった。生きている鹿や猿に出会うこともあり、骨を見ることもある。店主が、
 「あ、見て」
 と足元を指差し、目を地面に落とすと、ヒメネズミが木の葉の上に乗っていた。黒くてフワフワの毛をした人の親指ほどの小さなネズミが、こちらのことはお構いなくセッセと動いている。
 顔を上げると、雄大な日光連山と中禅寺湖と空だけが目の中いっぱいに見える。その他には何もない。何もないところにすべてのものがつつまれていた。
 途中3回休憩をとり、ちょっと迷ったりしながら、5時間半でハイキングコース終点の千手ヶ浜に到着した。そこからバスを乗り継いで立木観音に戻る。中禅寺湖畔北側の車道を走るバスの車窓から、南岸を眺め、
 「あそこを全部歩いたなんて信じられないなぁ」 と店主が言った。終始景色がよく、帰り道に車窓から歩いたところが復習できる、満足のハイキングコースだった。
 車をとめた駐車場に戻るころには、もう日は斜めにさすようになり、気温も少し下がった。ハイキング中に出会った何人かの名も知らぬ一日の友と、「お疲れ様でした。気をつけて」と声を掛け合って、それぞれの車に乗り込んだ。

10月10日
 10月10日、晴れの特異日。半世紀前の東京オリンピック開会式と同じようによく晴れた秋日和になった。
 10月に入ってから、あわただしく日々が過ぎてゆく。毎日行くべきところがあり、やるべきことがある。ともすれば忙しさに流されそうになる日常だが、夜、すっと背が伸びるひとときがある。
 先月店主と安曇野のちひろ美術館に行くと、企画展でスズキコージの「聖コージズキンの誘惑展」が催されていた。スズキコージの絵のインパクトはもちろんのこと、私と店主の目をひいたのは、彼が影響を受けた作品として、インノチェンティ作画の『くるみわり人形』(ホフマン作・西村書店刊)の本が出ていたことだった。
 「あ、インノチェンティだ」と二人同時に言い、東京に帰ったらこれを読もうと決めた。絵本だけに目で見て読むより朗読だということになり、夜の朗読会が始まった。朗読会といっても私が読んで店主が聴くというだけのミニマムな会である。
 「どうせやるならもうひとつ、『方丈記』も読みたい」と店主からリクエストがあり、一日一章ずつ、『くるみわり人形』と『方丈記』という時代も地域も異なる二作品を読み進めている。
 短い時間だが、声に出して耳で聞くことは、目で読む読書とはまた違った趣きがある。
 こうして一日をしめくくると、夜、不思議な夢をみることが多い。一日を二倍に生きているようで、それもまた楽しみである。

9月のユーコさん勝手におしゃべり
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