ユーコさん勝手におしゃべり

9月29日
 噴火お見舞い申し上げます。
 27日土曜日、御嶽山噴火の報を聞き、動揺した。その数日前、山へ出かけ、帰宅したばかりだったのだ。
 御嶽山ではなく、安曇野経由で白馬方面へ向かい、栂池高原で山の景色を楽しんだ。安曇野では真青な高い空にすじ雲がひろがっていた。
 萩やコスモスの力強さに、長野の土力を感じた。
 私の見知った東京の萩は、トンネル仕立てになって、なよらとしなだれかかる。トンネルの中で木洩れ日をあび、しなやかで明るい色気のある花だ。コスモスは人の背丈ほどにスラリと伸びて風にゆれ、はかなげな薄ピンクの花を持つ。清純な少女が似合う花だと思い込んでいた。
 それが、コスモスは地面からボッと音がするように拡がり、一株ずつ屹立して生えている。萩は土から太く生え、群れ立つ姿はたくましい。花の認識が変わった。
 白いそばの花があちこち満開で、花盛りのそば畑とわさび田をバックにそばを食べた。
 黄金に輝く稲田と白いそば畑の道を北上する。そして高度が上がるにつれ、白いそばの花が実になってゆく。茶色いそばの実に来月の新そばの楽しみがいやました。
 栂池へ到着しゴンドラとロープウェイを乗り継いで栂池自然園へ入った。ゴンドラの乗り場の方が、
 「今日はここ最近で一番の晴天だ」 という。来る途中車で聞いていたFMラジオのDJも、
 「今朝は9月に入って一番の空だ」 と同じことを言っていた。山は紅葉が始まっていて、パレットに絵の具を並べたようだった。
 白馬村で一泊して、翌日も山と温泉を楽しんだ。
 帰宅後、仕事をしながら余韻を味わっていた。紅葉シーズンに入り、次はどこへ行こうか、どう日程をつくろうかとめぐらしていた思考は、噴火の一報で暗転した。
 それはまるで、入ろうとしても出入り口の見つからない建物の前にたたずんで途方にくれているような心細さだ。
 私は何によらず研究者である人を尊敬しているが、どれだけ探求しても、地震も、火山の爆発も、隕石も、予知はできない。地球の上にいるものは自然の恵みを受けて暮している。が、自然がプイと気をそらせば、地球の表面に巣くう我々にはどうする術もない。あれから数日、旅中の道々集めた各地各種の観光パンフレットに囲まれながら、くすぶる思いを思いあぐねていた。
 そして今朝、花壇で、今夏枯れたと思っていた冬珊瑚の木が、わき芽から枝を伸ばし、またもとの木になっているのを見つけた。つけた花が実になっている。
 幸せの貯金を引き出そう、と思った。いいこともあれば、そうじゃない時もある。大震災の年の夏、福島の桃がとてもおいしかった。それを食べたとき、もしまた不幸を感じることがあっても、このおいしさを思い出せば、「あの時のプラス分だけマイナスになってもチャラだ」と、たいていのことならやり過ごせると思ったものだ。あれ以来、おいしいものを食べたり、満ち足りた気分になると、心の中にプラス貯蓄をしている。
 少し落ち込んだ気持ちが持ち上がった。
 なるようになるのだ。今行けるところへ行き、楽しめるものを楽しもう。そして、心満たされても慢心せず、いつも次のがけっぷちにうろたえぬ心の準備をしよう。
 とりあえず、そばの花が待っているな。今週はそばの花を見に栃木県粟野へ行こう、と思う。

9月15日
 皆それぞれの、文化の秋だ。
 店主は午前中、葛飾区郷土と天文の博物館の街歩きアーカイブスの最終日に、知人と連れ立って出かけた。私は上野の東京都美術館へ「楽園としての芸術展」の記念講演をききに出た。体が動き、見たいものや聞きたいものがある。これ以上何を望むことがあろうかと、幸せをかみしめる。
 「楽園としての芸術展」は先月一度出向いたが、作品がよかったので再見である。その後主催者の講演も聞き、作品を産む空間をつくってゆくことの大切さに身が引き締まった。
 心が開放される空間をつくらねば、本心をさらけ出す作品ははき出されない。無心になって相手を感じとろうとする受け手に向かって、作家の全幅のエネルギーがなだれ込む。
 ダウン症などの障害を持つ作家たちの展覧会ではあるけれど、アトリエの代表佐久間寛厚氏は何度も「プロだから」と口にした。画材を選んだり色をつくるに際して、自分はプロの仕事をしているのだという強い自負を感じた。心地よい緩やかな空間を作るために、ピンと張りつめた細心の準備がなされる。
 ふと青木書店の空間のことが思い出された。隙間なく本を並べつつ、空間を作ることに店主は少なからず心を砕いてきた。いわゆる効率の良い展示とは無縁でいられる古本屋の店内でも、限られた場所で、理想と現実の制約とのせめぎ合いはある。妥協に流れようとしていないか、講演を聞き、我が身を省みた。
 そして、今誰もいない青木書店の店内の本が、インターネットを通じて、誰かの読書の役に立っているかもしれないとも想像した。
 講演の後、5時半の閉館までもう一度展示を見て、6時に店に戻った。
 午後一人で店番をしていた店主は、私が帰るなり、「弓道に行ってくる」と立ち上がり、入れ替わりに私が店番となった。店は7時で閉店なので、もう終りかな思っていると、お客様が一人入ってきた。手には、今私の足もとにあるのと同じパンフレット類の袋がさがっていた。今日の講演会で配られたものだ。何冊か本を手にして、お会計のとき、
 「私も、行ってきたんですよ。」 と笑って袋を見せると、お客様もパッと明るい顔になり、
 「ここで知って、行ったんですよ」 と応えてくれた。
 「ユーコさんでしょ。ホームページに良かったって書いてたから」 と言う。とたんにうれしくなって、先日見てとても良かった板橋区立美術館「種村季弘の眼 迷宮の美術家たち展」のパンフレットを
 「機会があったら行ってみてください。住宅地にある小さな美術館ですけど、いい展示でしたよ」 と渡すと、
 「おもしろそうですね。種村も興味あります」 と会話がはずんだ。
 お客様が帰り、踊りだしたい気分で閉店作業をした。
 次は、上野の森美術館へ「葛飾北斎展」を見に行く予定だ。
 楽しみが次から次へとあらわれる、クライマックス続きの紙芝居のような、今年の文化の秋である。

9月9日
 関越自動車道を北上して、群馬へ。
 朝5時起きで身支度をして、家を出るときはまだ曇天だった。前日雨をもたらした台風はぐんぐん北上して、しだいに晴れるという天気予報を信じて、店主と二人、小雨の高速道路をゆく。渋川伊香保で高速をおり国道17号を行くと、こちら方面に向かう時は必ず寄るもつ煮屋さんがある。開店の9時より15分程早く着いたが、お店はもう開いていて口開けの客となる。てきぱきと準備中の店員さんが、「も、ちょっと待っててね」と言っている間にもうもつ煮定食が配膳された。
 持参の保冷バックにお土産のもつ煮も買って、再び北上、玉原高原へ向かう。
 台風一過、極上の晴天となった。
 沿道は稲穂が実り、ススキが穂を出し、サルビアが目の覚めるような赤色を発色している。久しぶりの好天で高速道路のサービスアリアは車がたくさんとまっていたのに、みんなどこへ行ったのやら、玉原へ向かうにつれて車は少なくなり、玉原高原センターハウスの駐車場には一台とまっているのみだった。
 大きな空がひろがり、湿原ひとりじめ(正確には店主と二人じめ)。ドングリがびっしりと実をつけ、トリカブトの青い花が満開だった。湿原から山へ入ると、キノコの宝庫。あんな色のもある、こんな形のもある、とキノコをたどりながらブナ林を行く。長沢三角点から水源ルートで沢水の流れとともにもとの湿原へ降りる。水音がここちよく、木漏れ日を浴びて気分のいい道だ。
 沢を越えるところには細い丸太が渡してあり、バランスをとってその上を通る。店主とお互いに、「気をつけてね」と声を掛け合いながら行く。そのうちの一本を渡りきり、「へっちゃらよ」と得意満面に足をおろしたところが深めのぬかるみだった。「何やってんだよ」と手を貸してくれた店主の方へ身を寄せると、ハイキングシューズだけが片方脱げてぬかるみの中に残っていた。靴下だけの足をもう片方の靴の上に乗せて、「ええーっ」とか「アラァ」とか言っている私を無視して、店主が靴を引き抜き小川の水で洗ってくれた。さすが防水のきいたハイキングシューズは、中を濡らすことなくきれいに私の足に戻った。
 ぬかるみにポツンとはまった靴の図が思い出すとおかしくて、「だから言わんこっちゃない」なんて言ってる方も言われてる方もしまいには大笑いとなった。
 「旅にはこんなエピソードがなくっちゃね」と、反省しつつも口は軽やかなまま、湿原に戻ると、陽も高くなり、ようやく一組二組ハイカーの姿があった。
 湿原をもう一周して、景色のいいベンチで休憩して車に戻る。たくさん歩くのは、次の名物のためである。涼風が快かった高原から沼田の町へおりると、陽射しは一気に力強くなる。そして空が広い。
 「これなら探さなくても月が見られる」と思った。普段暮している店の周りには広い空がない。月を見たい夜は、その日の月の出る方角を調べて、そっち方面の道に出る。空は建物と建物の間にあるのだ。見上げればぐるりの空があるところで育った人は、月ひとつ見つけるのにも工夫と知恵が必要なことに軽いカルチャーショックを感じるかもしれない。
 そんなことを思いながら、群馬といえばの登利平のお弁当をいただく。いつもおいしいし、お店のおばちゃんがいつも暖かい対応でうれしい。
 おなかも満足してしゃくなげの湯でじっくり温泉につかり、帰途に着いた。
 月に叢雲、「夜は関東北部ほど雲が多く南部ほど晴れる」とFMラジオは言っている。厚い雲にはばまれ、スーパームーンは出てこない。すると黒い空に一筋濃いオレンジ色の箇所があった。
 「何か変な色の雲があるよ」 と言うと、
 「月だよ」 と店主が言う。ずっと見ていると、少しずつ黒い雲がとれていき、オレンジの面積が増えていった。
 南部ほど晴れるという天気予報の通り、雲は南下するにつれはけてゆき、月は見え隠れしながらだんだんオレンジから白っぽくなり、高度を上げていった。館林から東北自動車道にのり、羽生パーキングへ休憩に入ると、多くの人がスマートフォンやデジカメを空に向けていた。山で人がカメラを向ける方角に野鳥がいるように、みんなのカメラの先に丸い大きな月が出ていた。
 夏を締めくくり、秋へ踏み出す、いい旅であった。

9月8日
 季節が動いている。
 もう一度着たらしまおうと思ってハンガーにかけたままの真夏用のワンピースに、袖を通す機会はないだろう。ほんのちょっと前なのに、盛夏はずい分以前のことのように感じる。
 今朝、堀切菖蒲園へ散歩に行った。萩のトンネルをくぐり、彼岸花を見ていると甘い香りに包まれた。風をたどってゆくと銀木犀が咲いていた。猫が赤トンボの軌跡を目で追っている。
 部屋に出ている衣類を整理しなくちゃなと考えて、日程と天候が合致せずにあきらめた山行きを数えた。8月後半から天候不順で、今夏ほど天気予報を注視した年はない。休日前、「あちらはダメ」「こちら方面は雨」と雲のご機嫌をうかがい、前日の晩に行き先を変更して、先週は、奥多摩の御岳山に登った。
 今晩は中秋の名月を楽しみにしていたけれど、太平洋を北上する台風14号の影響で雨が降っている。明日は晴れの予報なので、玉原高原へ行く計画だ。久々の湿原散策、そしておいしい名物と温泉のために肉体を酷使できる喜びに心はずませている。

9月2日
 今年もさんまをいただける幸せ。
 昨日、今年初もののさんまを買った。開店と同時にスーパーに行き、氷の詰まった発泡スチロールの中から口先の黄色いムッチリとしたさんまをトングでつまみあげる。
 冷蔵庫に入れ、夕方、塩焼きでいただいた。
 震災の年の心配を思い出し、さんまが滞りなく市場にやってくるこの日常をありがたく受け止めた。パリッと焼けた皮の中からホワッとあがる湯気はこの上ない喜びだ。
 9月に入り、さんまにぶどうと秋の味覚が並び、新米も顔を出し始めた。
 今年は9月8日が15夜(中秋の名月)で、9日が満月となる。
 晴れたら、さといもでもゆでてお月見をしよう。

8月のユーコさん勝手におしゃべり
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