ユーコさん勝手におしゃべり

5月31日
 タイトルにひかれて本を手にとることがある。
 棚に並んだ本の背の中で、その文字列が突出し、「あ、おもしろそう」と思うのだ。今まで機会がなく未読の作家である。
 特に気を使わなくてもスッと自分になじんでページが進むこともある。期待通りでうれしい。
 でも時に、作家の思考ペースに合わさないとおもしろさが感じられないことがある。
 前者の場合は問題はないが、後者は途中で放り投げないで、がまんの数十ページを過ごさなければならない。
 エッセイとか短編集で、
 「何でこれを書いた(書かずにはおれなかった)のだろう」
 「何故、ここで終わりなんだろう」
 と、逡巡しながら読むうちに、作家と歩調が合ってきて、いつのまにか、「どこがおもしろいんだろう」 という疑問がなくなるころには、一冊のなかばくらいまでページは進んでしまっている。
 「ああ、あと半分しかない」 と惜しみながら、頭の隅で、
 「これは前半も、も一度読まねばならないな」 と考えている。

 先日、三木卓の『午前中の少年』を手にとった。小学校入学前から低学年の幼少年期を、自分の人生の午前中だったと称して、その記憶をつづっている。タイトルの妙が気に入って読み出したが、自分の中に入ってくるまで少し時間がかかった。
 そして惜しみながら終わって、その後日談といえる『砲撃のあとで』が刊行されていることを喜んだ。ペースはつかんだので、2冊目はスッと入っていく。イヤ、ペースはこちらがつかんだのではなく、作者につかまれたといった方が正しいのだろう。
 「おもしろい」はすぐにいえるけれど、「つまらない」は軽々にはいえない。年齢を重ね本と付き合って知ったことのひとつである。

5月25日
 天気予報をとくと見て、
 「今度の休みはそばと温泉」 と店主が言えば、目的地は瞭然だ。店の二階の居室には、鹿沼の地図と粟野そばマップが貼ってあり、今回は、前日光井戸湿原のつつじプラスそばの旅となった。
 22日木曜日、よく晴れた朝、東京を後にした。
 東北自動車道をゆく。埼玉をぬけ栃木に入るころ、急に空がひろくなる。左右の景色が田畑になり、その上に大きくまるく空がある。
 金色の麦の穂が風で波打つ。田植えが進み活気づく稲田と、野辺で満開の赤いポピーが麦秋の喜びをふくらませる。
 高速を降り、道の駅の直売所へ寄る。
 「いちご、買おうよ」
 「これから一日歩くのに?」
 「だって、帰りじゃなくなっちゃうよ。今年いちごジャム作ってないんじゃない?」
 「うん。今年はキウイジャムたくさん作ったから。…おいしかったねぇ。」
 「4パック買おう。どれがいい?」
 と店主はいちごを選び出す。今春のなごりにきれいなとちおとめを一箱買って、持参のクーラーボックスへ入れ、そば屋へむかう。
 本日の一杯目は永野川沿いで、永野産の水そばをいただく。美味。
 車窓の景色を楽しみながら粟野へ入る。粟野の直売所でそば粉を500グラム買う。そばは現地で食べるに限るが、そばが恋しいときは、うちでそば湯を作っていただく。
 粟野川のほとりのそば屋で、もりそばを注文する。冷たい水でしっかりしめてあり、美味。たけのこの煮たのとおしんこがついてきた。掘りたてのたけのこのえぐみが絶品のごちそうだった。
 ここから車は横根高原へ向かう。牛の避暑地の前日光牧場にまだ牛は来ていない。車を降りてガランと広い高原の道を通り、井戸湿原へ歩を進める。
 木々が生い茂り、呼吸をしているだけで、鼻を通して口の中まで空気の甘さが広がる。
 紫がかった桃色のミツバツツジの群生の中で、山つつじの朱色のつぼみがキャンドルのように屹立する。白ヤシオは一本だけ、魁が花の見本を見せてくれた。少し高台から井戸湿原を見ると、湿原全体に花でピンクのもやがかかり、夢の中にいるような気分になる。
 木道で湿原を一周して、再び高原の道をおりると、私たちの前をテンが歩いていた。
 次の目的地は前日光つつじの湯で、本日三杯目のそばをいただきに行く。まずは温泉でハイキングの疲れをいやす。休憩室で仮眠をとって、大もりそばをたいらげる。昼間そば粉を買った直売所で製粉されたそばは、このつつじの湯の食堂で食べられる。ていねいな仕事で、気持ちよくおいしくいただく。
 朝昼晩と、三食そばの旅のしめくくりに、もう一度お風呂に入る。
 夕暮れ、巣に急ぐつばめたちを露天風呂から仰ぎ見た。
 外がすっかり暗くなってから、カエルの大合唱の中を帰路につく。FMラジオをつけると、朝の晴天から一変、東京では雷雨と突風の一日だったと告げている。高速道路に入ってからも、南の空に雷光が見えた。
 「最近、天気予報の精度が上がったよな。」 と店主が言う。
 この日は、関東南部では局地的な大雨、北関東はおおむね晴れ、という予報だったのだ。
 夜もふけて、おいしい思い出といちごをお土産に、雨上がりの東京に戻った。


5月20日
 今朝、実家に電話をしたが出なかった。留守電にメッセージを残してしばらくすると、母から電話があった。
 「今ちょっと外にいたのよ。」 と、こちらが電話を取るなりまだ荒い息で言う。
 「別にそんなに急がなくてもいいよ。たけのこご飯炊くから、食べるかなと思って」
 「ああ うれしいわ。こないだの砂肝もおいしかったよ。
今、キウイが花盛りで…。いっぱい咲いてるから、外で掃除してたの。道路にも花が落ちるものだから。」
 母のはずんだ声だけで、キウイの白い花と、その下のフェンスいっぱいに這う赤いバラの光景が目に見えるようだ。
 昨年大腿骨骨折をしてから一年たち、母はもう杖無しでも近くなら出られるようになった。病気や怪我で何度か手術をして、その都度
 「ちょっと活躍しすぎちゃった。これからは手を拡げないように、整理していくんだ。」
 と言うのだが、しばらく養生すると生来の好奇心が頭をもたげる。
 今回も、庭の手入れはもう無理だからと言っていたのに、遊びに行くたび、鉢が少しずつ増え、いつの間にか地に植わっている。
 習い事も洋裁も、少しずつ復活しているようだ。
 好きに生きるのが一番。高齢だからおとなしくしていなきゃならないなんてこともない。
 保冷ケースにたけのこご飯とお惣菜を詰めて、翌日午前指定の送り状をつけて発送する。失ったものを惜しむより、楽しいことを数えて生きる、と身をもって教えてくれる80歳代の父母へ、せめてもの応援パックである。

5月12日
 5月の光を浴びてバラが咲き出した。
 朝、足立区の青和ばら公園へ散歩に出る。小さいながら、バラが全面に植栽されていて、公園のそばまで行くともう、ほわりといいにおいが風に乗ってくる。
 花に鼻先を近づけて、香りをたのしむ。
 朝のこととてまだ人出は少ないが、写真を撮るには絶好らしく、大小様々なカメラを手にした人が園内を回遊していた。長いレンズをつけた一眼レフもあれば、ケータイのカメラで撮っている人もいる。
 高齢のご婦人グループがあれこれとバラの品定めをしていた。
 薄紫の大輪のバラの前で、
 「この紫色は、ケータイじゃ出ないわよね」
 「そーねぇ、はっきりした色じゃないと」
 「ましてや、私のは原始的なケータイだから」
 と言って、花の前にさし出したケータイをたたんでしまった。

 「原始的なケータイ」って…。博物館の昭和コーナーにあるような大型肩かけの初期携帯電話が頭に浮かび頬がゆるんだ。
 微妙な色味は、談笑するおばさまのことばと共に、自分の目で記憶に焼きつけた。

5月4日
 「私、『いにしえの本、読んでいるのよ』って言うの。」 とお客様がいう。
 「昔の本は字が細かくて読みにくいんだけど、今は読めない本だって、自慢してやるの」 と笑った。
 店の外の均一文庫を買いにいらした高齢のご婦人のことばである。
 病院の待合室で古い本を読んでいると、「めずらしい本 読んでるのね」と声をかけられるので、そう答えるんだそうだ。
 「いにしえの本」という響きが、それ自体いにしえの言葉遣いで、お客様としばらく話をした。
 脳梗塞で言葉が不自由になっただんな様を自宅で介護していたのだが、先日階段から落ちて手首を骨折してしまい、腰も打ったので介護ができなくなって、ご主人は入院することになったそうだ。しばらく自分も外へ出られなかったのだけれど、やっとだんな様のところへ通えるようになったので、本を持ってゆくのだという。
 「主人も本が好きだったから、『今○○読んでいるの』と言って話をしてやると、『ああ、ああ』と声を出して、とてもうれしそうなの。」 とおっしゃる。
 それで、今となっては古典になってしまった老夫婦の共通の青春時代の本を、彼女は一冊二冊と、買ってゆくのだ。
 いろいろなお客様がいる。それぞれに物語がある。
 本を通じて、少しは役に立っていることがある、と、店番がうれしくなる出会いだった。

5月3日
 春から初夏へ季節が動いた。何となく肌寒かった今春も、一気に花を咲かせ帳尻を合わせてきた。
 先月末、日光へ行ったとき入った中華屋さんには暖房機が置いてあり、お店の方がお客さんに、
 「寒くないですか、暖房つけましょうか」 と聞いていた。
 我々の後から来た青年たちは、
 「イヤ、ぜんぜん大丈夫です。僕たちもっと寒いとこから来ましたから」 と答えていた。
 「ああ、(いろは坂の)上は寒いものね」 と言って、お店のおばさんは、私たちにも尋ねたが、「温泉入って来たので、寒くないです」 と言うと、「寒いのは私だけね」 と笑っていた。
 おいしく食べて、外に出ると、駐車場にとまっていた青年たちの車のルーフには、人数分のスノーボードが積んであった。それで、「寒くないけど、お尻が痛い」と言っていたのかと、納得した。
 日光の寺社巡りの行き帰りは、鹿沼市の粟野でそばを堪能した。おいしいものが待っていると、旅は一段と楽しい。
 しだれ桜に木蓮、りんごの花、ハナミズキ、少し季節を巻き戻して、春の花と再会した。水と空気のおいしさと朝晩の寒暖差で、花木はどれもイキイキとしていた。
 東京に帰り、5月に入って夏日が二日続いた。薄手の長袖シャツでも少し汗ばむ陽気だ。
 洗濯ものをとりこむ。洗濯ピンチからはずすヒートテックのアンダーウェアや、ハンガーにかけられたジャケット類、数日前まで着ていたのに、、急に不思議なものにみえてくる。いろいろな季節のものが散らばり並ぶ衣替え期、季節が動き終わるまで、今しばらくの乱雑ぶりである。
 今年もゴールデンウィークに合わせてジャスミンが咲いた。ジャスミンが散りだすと、庭も衣替えとなる。
 今年の春のなごりの小庭は、こんなかんじ、になった。

4月のユーコさん勝手におしゃべり
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