ユーコさん勝手におしゃべり

4月25日
 先週末からしばらくぐずついた天候が続き、大地は水をたくわえた。そして一気に陽光があふれ出る。よく晴れた一日、高尾山へハイキングに出かけた。
 店主のバイクのうしろに乗って首都高速から中央道を通り、圏央道へ入るころには、視界は山に囲まれる。山は緑のバリエーションを開示する。頭の中のパレットにいろんな緑色を並べても並べきれない。
 高尾山で高速を降り、コンビニで昼食を調達した。
 リフトに乗ると、目の高さにも足下にもモミジの若葉が初々しい。リフトを降りてから頂上まで山道の天は緑、そして地には桜。落ちたばかりの桜の花びらが、地面に模様をつくっている。今まで、木のてっぺんで最後に開く桜の花の無為に同情していたが、「緑になったその木は桜だ」と、教えてくれる役割があった。時に はらはらと花びらを舞い落とし、立派に役目を果たしていた。
 頂上で昼食と思ったが、だんだんとにぎやかさが増してきて、頂上付近にはいくつもの学校遠足の小学生があふれかえっていた。このたくさんの子どもたちがみんな、原稿用紙に一枚か二枚の遠足の感想文を書くのだろう。すごい量のことばだ。
 お弁当を食べ終わったクラスから順に記念撮影をしては、元気に下山して行った。
 感想文と写真を残して、小学校は思い出となるのだなと、頂上にいる昔小学生だった人々の群れを見ながら考えた。
 シャガが咲き始め、山吹、野茨、すみれが咲き揃う道を気持ちよく下山し帰宅した。
 来週はそばと歴史を求めて、栃木・日光へ進路をとる。
 気候がよければ読書もはかどる。もちろんお仕事もがんばります。

4月19日
 読みたい本が数冊、身の周りにあると安心する。今読んでいる本が読み終わっても、次に読む本がすぐ手にとれるから。
 本との出会いはいろいろなところにある。店のお客さんに
 「○○読んだ方がいいですよ。
 人生かわりますよ」
 と言われて手にすることもある。「人生かわりますよ」と言われて読んで、人生かわらなくても、あまり自分を責めないようにしている。
 以前は良いといわれたものが理解できないのは、自分の能力の問題だと思っていた。気に入りの作家ができたなら、その人の書いたあれもこれも読まなければならない、本に拒絶されるのは、自分の力が足りないのだ、と気負いこんでいた。
 しかし世の中の全部を読みきれるものではないと気付いてから、自分に合うものだけ、気楽に読めばよいと思えるようになった。
 数年前に読んだ本の一説が気に入って、座右の銘のひとつにしている。
 「賢くない者は利口ぶらず簡単に読め。分別のある者は読んだものについて論じればよい」 (『通訳ダニエル・シュタイン』下巻より リュドミラ.ウリツカヤ著  前田和泉訳 新潮社クレスト・ブックス )

 おととい千葉の鴨川へ行った。暖かい風と陽光があり、水を張った田んぼに初夏を感じた。鴨川シーワールドで海獣たちを見て、上着の要らぬ好天の一日を過ごした。
 それが昨日は一変、北風と冬のような寒さがやってきた。冷たい雨が降り、夜半には強い雨音が聞こえた。
 一夜明けて今朝、コートを羽織って外へ出ると、明るい朝日を浴びて、花数が爆発的に増えていた。季節は戻ったりしない。一時の寒さにめげず確実に進んでいる。
 冷たく濡れた花ガラを摘み取り、来るべき多忙の初夏をうれしく妄想した。

4月15日
 堀切菖蒲園の駅舎にも、つばめがやってきた。最近まで線路の高架橋の耐震工事で、いつも巣を作る場所が覆われていたので、どうなるかと思っていた。無事に工事も終わって、今朝、郵便局へ行く途中、頭上のにぎやかな声に誘われて見上げると、つばめが群れ飛んでいた。駅高架下の照明器具の上に巣ができている。
 田畑のある郊外のつばめは、豊富で質の良い泥土に恵まれて巣ができるけれど、コンクリートの駅舎に毎年飛来するつばめは、どうやりくりしているのだろう。
 お互いにお互いを比べることのないつばめに聞いても、「さぁ、それなりに幸せですから」と相手にされないだろう。ともあれつばめは、とにかくたいへん忙しそうであった。

4月14日
 季節はどんどん進んでいる。公園は染井吉野から八重桜へ。街路樹は桃からつつじへ。藤は日々花穂を伸ばしている。
 先週末、店の横でジャスミンがさいしょの花をつけた。白い羽衣ジャスミンが花をつけると、冬の間さしこまなかった陽が店舗にあたりはじめる。本が焼けないように、11日に今年初めて日除けのシートを出した。それまでほとんど食べ物を口にしなかった飼い亀がエビを食べた。
 週が明けて、昨日は黄色のジャスミンが花をひらいた。
 そして今日、発送する本を持って郵便局へ出かけたとき、よく晴れた空を見上げると、もくもくとした白い雲がみえた。雲も冬とは違ってきたな、と足元を見る。交差点の道の隅で元気な黄色を輝かせていたたんぽぽも、もくもくと綿毛をわきあがらせていた。
 店に戻って空の話をすると、店主がインターネットの画面を見ながら、
 「今晩は、火星が地球に最接近する日だぞ。」 という。
 さっそく私も調べてみると、月の左側にみえる赤い星が火星で、夜8時が見頃だとわかった。
 よし、今晩は火星を見よう、と決めてせっせと仕事に精を出す。
 閉店後、単眼鏡を持って、店主と月と火星を見に外へ出た。近所の歩道橋の上で、マンションの横に出た月とオレンジ色の火星を眺める。火星は小さな点だった。
 明日山中湖方面へバイクツーリングに出かける予定の店主は、
 「上着を着なくても全然さむくないもんなぁ。あったかくなったなあ。」
 と、うれしそうだった。

4月9日
 今年初めてつばめをみた。
 花を追ってバイクに乗り、北へ進路をとる。東京では花びらが舞い、葉の出はじめた染井吉野が、タイムスリップするように枝いっぱいに花をまとってゆく。
 幸手の権現堂桜堤で菜の花と桜の競演を見た。
 畑では麦がスクスク育っていて、昼食のうどんへの期待が高まる。鷲宮町にうどんとそばのおいしい店があり、年に何度かは必ず出かける。今年も期待にたがわず、美味であった。
 梨の花の咲く道を、埼玉からちょっぴり群馬に入り再び県境をまたいで栃木県に入る。渡良瀬遊水地の周辺は、埼玉、群馬、栃木、茨城がキュッと集まって、川一本渡るたびに表示が変わる。
 栃木、太平山の桜を愛でる。風がなくともハラハラと際限なく花が降ってくる。山頂へ続く長い桜のトンネルを生身の体で行き来できるのは、オートバイならではの楽しみだ。
 帰途、道沿いのそちこちに、こちらも満開の桃の花が増えてくる、茨城の古河を通って利根川を渡り再び埼玉へ入る。
 五霞町の道の駅で一休みした。トイレのある建物に一歩足を踏み入れると、チュピチュピチュルチュル声がする。見上げると黒い鳥の影が見えた。つばめだ。たくさんのつばめが来ていた。
 旅の仕上げに大いに春を感じ、満足して利根川から江戸川沿いへ、菜の花の帯の中を家路についた。

4月8日
 数独が好きである。解けたときの解放感がクセになり、やりはじめると他のことができなくなってしまうので、週に一回一問だけと決めている。新聞の土曜版に一問載っているので、夜、仕事が終わってからの楽しみにしている。いつもは15分から小一時間で解けてスッキリと次の作業に取り組めるのに、今回はてごわい。二度破綻して行き詰まり、解決できないまま就寝した。
 明け方、夢を見た。夢の中でも数独に苦しんでいた。そして、「あっ」と気付いた。どうしても入らないと思っていたひとわくは、数字ではなくマンチカン(短足で体の四角い小型の猫)が入るのだ。
 「発想の転換だ」 と夢の中の私は思った。
 「なんだ、数字じゃなくてマンチカンを入れればいいのか。わからないはずだわ」
 そこから、空白になったいくつかのわくにマンチカンが入り、数独は解けてきたが、中心部のあるひとわくには、何とマンチカンが9匹も入っている。
 「えっ、ひとわくにはひとつしか入れられないんじゃ…」 と思ったが、「数字じゃなくて、マンチカンだから、いいのか」 と納得したところで、目がさめた。
 ヘンな夢だったなと苦笑した。現実の数独の紙にはマンチカンは入らず、今もまだ未解決を楽しんでおります。

4月5日
 桜が開花しはじめてから、天気さえ許せば毎朝少し早起きして、自転車で花を見に出かけている。今暮しているところは東京の下町で、とにかく平らい。けっこう遠くまで自転車で楽にまわれる。
 私は品川で生れたが、幼稚園のころから大人になってここへ来るまで横浜で育った。視界に山坂があるのがあたりまえで、自転車はあまり便利な乗り物ではなかった。通った学校はみな丘の上にあった。中学と高校は、毎日「修行か」と思うほどの急坂を登った先にある。丘のてっぺんにある学校の下は、桜の名所の県立公園で、春には眼下がうすいピンクに染まった。家の庭にも八重桜と芝桜が植えてあった。
 桜は、幼時の記憶とつながって、私を昔の春につれていってくれる。小学生のころから新聞や本を読むのが好きだったから、部屋のすみっこで、日当たりのよい部屋が薄暗くなるまで活字を追っていた。本を読んで面白がっている自分に気付くと、子どもの時と変わっていないなと思う。途中でいろんなことをしたはずなのに、とりあえず、中略で、元に戻った。
 自分の立ち寄る部屋に一冊ずつ置いて、たいてい何冊かを併行して読んでいる。その中で去年からつかず離れず、芹沢光治良を手に取っている。時代を映して登場人物は、自分では決して使わないことばづかいと態度なのだが、読み易い文体で入り込みやすく、映画を見ているように読める。
 夜寝室で芹沢を読むと、必ず夢をみる。今自分がいる世界と入り込んだ本の世界とのギャップに脳が混乱するのだろうか。
 夢に忙しいのと、少々の早起きで、寝不足気味である。それでも本を読むのも花を見るのも、やめられない。うれしい悲鳴の春である。

3月のユーコさん勝手におしゃべり
それ以前の「おしゃべり」